元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

自分の生きる毎日を選ぶ/選べなくても選ぶ【中学入学前にやったこと】

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪



さて、公立中学校に進学することを自分で決めた娘。

いろんな選択肢の中から、自分で選んだってことが素晴らしいなぁと思っています。
わたしの考えとは違ったけれど、娘の決めた道。
心の底から応援しています。貫くもよし、途中での心変わりもよし。
「好きなようにやんなさい」と思っています。

blog.himitsukichijyajya.com

 

ただ、わたしの本音は
「公立中学校には弊害の方が多いのに・・・」という考え。

公立の学校の何というか・・・
「惰性」の流れに、無責任に子どもをただ任せるのはちょっと違うなと思っていました。
「学校ってこんなもん」みたいな流れに乗せても、良いことは何もないってわかっているからです。それは違うやろと。

とは言っても、もう中学生。
親の出番はもうありません。ただただ、見守ることしかできない。

どうしたもんかなぁと思いながら、娘の様子を見ながら、公立中学校への入学の道のりを進んできたわけですが、入学して半月を迎える中、こうして進んできてよかったなと思うことがあります。

入学する前に、
「自分の生きる毎日を、娘本人にしっかりと問うてきたこと」です。

* * *

◆毎日の自分が食べるものを選ぶ

前のブログにも書きましたが、公立中学校に進むにあたって、まず最初に本人に確認したこと。

【お昼ごはんはどうする?(弁当を持参するか/給食を食べるか)】

娘が小学校低学年の頃まで、一切「食」にこだわってこなかった我が家。

ですが、、、娘を通わせることになったフリースクールは「食」を大事にしていて、無農薬・無添加の食品の給食を提供してくださっていました。
娘は、素直だし、友達大好きなので、全然抵抗なく、その「食」を受け入れて、我が家も影響をじわじわ受けて、すこーしずつすこーしずつ「食」を気にするようになり、今となっては、なるべく無農薬、危険な添加物の入っていないものを選ぶ、できるだけ日本食と考えて、毎日の食事を選んでいます。
もちろん難しいときもあるし、無性に食べたくなって食べちゃおーってときもあって、「食にこだわっています!」と大きな声で言えるほど素晴らしいものではないけれど、でも「毎日食べる」給食ってことになると、今の、慣行農業の作物や一般的な食品を中心に作られている給食を食べるってことにちょっと抵抗が・・・。もし、毎日通うなら、たまに・・じゃないのでね。

いざって時は、おにぎりだけでも良いだろうし、娘が作っても夫が作ってもいいんだし、わたしとしては「弁当にしようよ!」とわたしの思いを本人にも伝えて、「あなたの毎日だから自分で考えてみて」と託しました。
「ちょっと考える」と言った娘。結局「給食を食べること」を選びました。
娘は、人が好きなんです。「食」の喜びを友だちと共有したいんだろうなぁって思います。「美味しい!」って食べることが何より大切なので、娘の選択を尊重しました。

先々、子どもたちが食べても安心できるオーガニック給食と変わっていくことを切に願っています。

ただ、一つだけ、どうしても気になることが・・・・
「牛乳はどうする?」
牛乳自体がどうかと言うことは、いろんな意見があります。
わたしは、牛乳を給食で毎日出すってことに疑問を持っています。
なぜ、牛乳ばかりが毎日出るのか?
牛乳もあって、豆乳もあって、お茶もあって、、、ならわかるけど、毎日なぜ牛乳?
(食事中の飲み物も、基本的にはやめておいた方がいいとは思っていますが・・・。)
(わたし自身、牛乳がホントは大好きです。でも、嗜好品だと思っています。だけど、子どもに毎日飲ませるものではないんじゃないかなと。)

娘は、小さい頃に牛乳飲みすぎていて(何も知ろうとしなかった頃・・・)、あるメーカーの牛乳以外はもはやもう飲めないんです。受け付けないのだそう。

というわけで、「牛乳は飲まない」と娘。

そんなこんなで、娘は、ひとまず、お昼ごはんは「給食を食べる(けど牛乳は飲まない)」という選択をしました。


◆毎日の自分が着るものを選ぶ

年が明けて、1月末に公立中学校の入学説明会があって、説明会の後に採寸をする予定になっていました。

実は、娘が通う予定の公立中学校は、昨年度からブレザーに変わっています。
でも、わたしも娘も、移住してくる前から
「(以前の)赤いラインに赤いリボンのセーラー服がかわいいよね!あの制服は着てみたいよね!」
と話していて、昨年の春、見慣れない制服の子どもたちを見かけて、制服がブレザーに変わったことを知り、親子とも愕然したのを覚えています・・・。
(その時は、中学も引き続き、フリースクールに通うつもりでした。制度上、一応、在籍は地元の中学校と言うことになるので。)

そして、前のブログに書いたとおり、わたしは制服大反対派なので笑、娘には「私服で行きなよ」とけし掛けていました。
娘は制服に憧れがあって、すでに制服っぽい服を持っているから、それでいいじゃんってずっと言っていたんです。
それか、前のセーラー服を誰かに譲ってもらって着るとか!?と話していました。

でも「みんなと同じ制服が欲しい」と娘。
普段の様子から、人ほど「みんなと同じ」にこだわる子では無いのですが、娘なりに中学へ入学する不安とか、期待とかある中で、そうしたい気持ちが往々にしてあったことは感じていました。
でも、わたしは、ここは簡単には譲りたくなかったんです。
わたしは「みんなと同じ」にこだわってほしくなかった。

制服を買ってしまったが最後。
一度「みんなと同じ」にしてしまったが最後。
そう思っていました。

この時期の子どもたちは周りが気になる。一度「みんな同じ」になってしまったあとに、たった1人で「みんなと違う」ていう世界に足を踏み入れるのは容易くないとわたしは思っていたんです。
1人でも違う子がいたら、違ってもいいんだ!って、娘だけではなくて、みんなが思える。
人と「違う」行動を実際にするか/しないかは、その子に寄って違って全然構わないけど、初めから、
認識のベースに「人は違っても構わない」って思っていることが本当に大切だから。
わたしの勝手な想いだけど、それが、みんなにとっていいことだとわたしは信じてました。

あと、これはわたし個人の好みだけど、新制服のシャツのデザインがイヤでした・・・。(わたしがね笑🤣 誰が着るんだ!?って話だけど)
全然カワイくない・・・。
これは人それぞれなので、別に制服としてそのシャツなのは全然構わないし、好きな方がいても全然いいんだけど、わたしはそれをわざわざお金出して、買うのがどうもイヤだったのです。
わたしは、わたしが着る服と子どもたちの普段着る服は、リサイクルだったり中古のものだったり、あとは譲っていただいたものとか、それか古い着物などリメイクされたものなんかを中心に選んでいます。
(夫には夫の好みがあり、長女ももう中学生、長女の好みがあるので、基本的にはそれぞれに任せてますが。)
なので、自分が納得していない(本人も本当にほしいのか?)、しかも新しいものを買うっていうのにも、かなり抵抗ありました。環境上の観点から考えると、皆同じもの、決まっているものを着なければいけないなんて、本当にナンセンスだと思います。この世の中には、うちにも、服が山のようにあるのに。

入学説明会の案内が届いた年末から、何度となく、娘と押し問答を繰り返していました。が、娘がなかなか折れない。
「絶対イヤ!」と言う始末。

わたしも最後の最後まで粘った末、
「まぁ、本人の毎日だしね・・・・」と観念して、受け入れることにしました。
入学説明会後の採寸会場の片隅で、娘と話した上、注文書の(指定されているもの)全てのものに◯をつけて、提出したのでした。

・・・・
なんですが、ここで一つ事件がありました!

体操服/ジャージの採寸会場に、なぜか、実際の体操服・ジャージが無い?!
Sサイズ、Mサイズ・・・とその箱の中に入っているのはなぜかいろんな種類の体操シャツやズボン、ジャージたち。
「え?採寸なのに、なぜ実際のものでは無いんだ(驚愕)」と思いながら、採寸は娘のことなので、ただただその様子を見ていました。

うちは長子なので、どんな体操服なのか、どんなジャージなのか、親子ともども、よく知らなかったんです。こちらがお金を出して買うのに、どんなもの買うかわからんなんてことがあるんか?!と思って、後日販売店2店のうちの片方のお店を訪ねて、見せてもらうことにしました。
娘は行かないって言っていたんですが、「あんたが着る服でしょうが!来なさい」と引っ張っていきました。

事情を話すと、快く出して試着させてくださいました。
娘がその実際のものを着てみた感想。
「思っていたのと全然違う!」
ってことで、注文書に書いた内容のサイズ変更をさせてもらいました。
そして、娘にもう一度しっかり話をしました。


お金を稼ぐのは簡単なことじゃないよ。100円でも簡単じゃない。
うちのお金は、わたしたちが一生懸命働いて稼いだお金なんだよ。

わたしたちも自分たちで直接お金をいただくようになったからわかるけど、みなさんがそんなふうに稼いだお金をいただくってことは、すごく大変なことだよね。

だから、誰かからお金をいただくときは、ちゃんと何に価値交換するのかってことは、ちゃんとお客さまの立場に立って考えて準備しないといけないとわたしは思う。

わたしは、自分が欲しいもの、やりたいこと、そして、子どもであるあんたたちの本当に欲しいもの、やりたいことには惜しまずにお金を出そうと思っている。
それは、買ってみてやっぱ違ったってことでも全然構わないって思っているけど、、、。
制服は本当にあなたが欲しいもの?
本当に必要なもの?
もう一度よく考えてみて。


娘は、しばらく、注文書の金額をじーっと眺めていました。
そのあと、自分の部屋にしばらく篭っていました。
1時間ほどして、出てきて、
「シャツと靴はあるやつでいい」と言いました。

娘は、人に指示されるのとか強制されることが嫌いです。
だから、わたしが頑なだったから、娘も頑なだったのかもしれないなと思います。
「どちらでもいい」と言うベースに立って、初めて、フラットに考えてくれたのかなと思います。

あと、「ありえない」と思った販売店の採寸だったけれど、結果、娘自身がちゃんと考えるきっかけをくれました(ありがとう!)。
やっぱり、自分が納得できないところはちゃんとこだわる。諦めちゃいけない。自分のことですから自分でちゃんと行動する。いろんなことに通じる、大切な姿勢だと思います。

そして、以前の制服であるセーラー服も着たいと本人も含めて以前から思っていたことも大切に。セーラー服も譲っていただける方を人づてに探して、譲っていただきました(本当にありがたい。感謝です!)。

というわけで、娘は、毎日着る服は「新旧両方の制服(けど新制服はシャツと靴は自分の持っているもの)」という選択をしました。

* * *

でも、、、
うちの子は別に牛乳アレルギーでもなんでもありません。
ただの、牛乳を飲まない子。で牛乳を飲ませたくない親です。

入学説明会で配られた資料には、制服のシャツは指定と書いてありました。

昔のわたしなら、「学校ってそんなもんか」と思って、
たとえ、イヤだったとしても、「イヤだ」とすら伝えてこなかった。
そんなのただのワガママだと思っていたかもしれません。
みんなそうなんだから、我慢しなきゃといけないと。

でもね、そっと、伝えていいんじゃないかと思うんです。
だって、
食べ物は、子どもの将来的な健康に関わってくる部分です。
制服だって、いくら指定されているとはいえ、支給されるわけじゃない。わたしたちが稼いだお金で買うんです。

なぜ、ただ「校則で決まっているだけ」で、しかもわたしたちが決めたわけでも、その理由を提示されたわけでも、またその理由があったとしてもその理由に納得できないかもしれないのに、無抵抗に従わなければいけないのでしょうか。
おかしいんじゃない?って言えないんでしょうか。


別に、学校と対立したり、学校と戦ったりする必要は全くなくて、ただ、「これはこういう理由でイヤなんです」と伝えるだけです。
そして、自分がそれがいいと思っているならば、それを通せばいい。
通す自由も、わたしたちには認められている権利です。

ただ、一つ気をつけないといけないことは、
自分の権利だからといって振りかざしていいわけでもない。
基本的には、人の権利は奪っちゃいけないと思います。
そこに、もし、他の人に実際の不利益がある場合は、折り合うところを探せばいい。
ちゃんと対話して、穏やかにやればいい。
それだけです。
(子どもたちが先生を舐めてしまうことになると、子どもたちが大人を敬えなくなって、いろんなことが成り立たなくなることもあるから、親が子どもの意見にただ乗っかって、不満をぶつけたり、文句を言うってのは違うと思っています。)

よく考えてみてください。
うちの子が、給食を食べようが、弁当を食べようが、誰も困らないです。
うちの子が、牛乳を飲んでも飲まなくても、誰も困らないです。
うちの子が、制服を着ようが、他の服を着ようが、誰も困らないです。
学校以外の社会では当たり前にみんなしていること。
なぜ、子どもたちだけが、その権利を奪われないといけないのでしょうか。

よく、全体の規律が乱れるとか、他の子が真似して困るとかいう話が出てくるけど、それって、うちの子が直接かける不利益でしょうか。
学校とか、世間は、本当に、そういうところで、ずるいこと言ってくる。
「経済的な理由でできない子もいますから」とか。
そこをなんとかするのは、社会の仕事です。個人の我慢に頼っちゃいけない。
そこをなんとかできる仕組みに社会を変えなきゃいけない。
「新しい制服を買う」ってことが経済的な負担になっていることもある。
淡々と、冷静に、対話していくことが本当に大切です。


別に、アレルギーとか認められていることだから言うのではなくて、認められていなくても伝える。
選べなくても、選んでいい。
だって、自分の毎日です。自分の食べるものです。自分の着るものです。
自分以上に考えてくれる人なんて、誰もいないんですから。

選べなくても、みんなが立ち止まって選んだ方がいいとわたしは思う。
だって、自分の、自分の子どもの体や心に直結する話です。
子どもたちには、「自分のことは、ちゃんと自分で選べる」そう心から思っている人に育ってほしく無いですか。

そして、そうやって、みんなの小さな小さな意見がいくつも上がれば、少しずつ少しずつ、きっとこの世界は変わっていく。
わたしはそう信じてます。

今まで、わたしたち日本人は、みんな従順過ぎたのだとわたしは思います。
わたしたちは、全体である前に、それぞれが大切な一人一人なんです。
忘れちゃいけない大切なことです。

* * *

この行動を後押ししてくれた本があります。
さんすう教室コポリで奇数月に行っている語らう会でも取り上げました。
対話についても、実践を通して、みんなで学んでいます。

よかったら、こちらのブログ↓も読んでみてくださいね。

blog.himitsukichijyajya.com


______________________

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました