元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

目の前のことから変えていく/制服は強制なのか

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


12月に映画「夢みる小学校」の上映会をたからべで開催しました。

「テストがない」
「宿題がない」
「成績表がない」
「校則がない」
「定期テストがない」
そんな、公立学校を2校含む3つの学校が出てくるこの映画。
学校にあって当たり前だと思っていたものは、制度上も無くても構わない、むしろ無い方がいいものなのではないか。
《学校って、もっともっとあったかくて、楽しい場所でいいんだ》
そんなことをたくさんの方に伝えてくれました。

少しでも、多くの子どもたちにとって、より良い学校に変わってほしいと思って。
実在するそんな夢みたいな学校を知ったら、いろんな人たちが動き出してくれるんじゃないかと思って。
学校を変えるのに必要なのは、「みんなの声だよ」と伝えたくて。

blog.himitsukichijyajya.com


そして、こんな感想を10歳の女の子からもらいました。

ゆめみる小学校では自分のままでいいんだなと思いました!!
子どもたちがのこぎりで木を切ったり、
くぎをうったりすることがいんしょうにのこりました。

わたしは今行っている小学校が好きです。

でも、宿題をなくしてほしいのと、
昼休みを長くしてほしいです。

あと、今、コロナでしょうがないけど、
給食をみんなで楽しくわいわい食べたいです。

でも勉強はしたいし、テストもしたいです。

学校で一回おとまりしてみたいです。(みんなで)
(10歳 女の子)


10歳の女の子のこんな健気な思い。
「宿題を無くす」
「昼休みを長くする」
「給食をわいわい食べる」
「学校で一回おとまりをする」
正直そんなに難しいことなんだろうか、とわたしは思いました。
目の前の子どもたちの声に、大人が誠実に耳を傾けようとすれば、どうにでもなりそうなのになって。

わたしは、この上映会で「学校が変わらないのは制度とか仕組みの問題じゃない」って知ったら、一気にみなさんが声をあげてくださって、それが大きな波になって、学校が変わっていくんじゃないかと思っていたんです。

でも、実際の反応は、わたしが思っていたのと少し違いました。

上映会後、たくさんの方が「こんな学校がいい」「こんな学校があったら」とおっしゃっていました。
学校関係者の方も、各自治体の議員さんも見てくださいました。
でも、「目の前の学校を変えよう」と動き出すには、大きなハードルがあるのかなと感じました。
「とは言ってもね・・・」って、感じているんだなって。

* * *

日本財団の調査で、「自分の国や社会を変えられると思う」 と答えた日本の若者はたった18%だったそうです。
アメリカは65%、インドは80%超だったにも関わらずです。 

www.nippon-foundation.or.jp


日本人の多くの人は、「社会は変えられない」って思っているんだなと感じます。
そして、その根本は、これまでの学生生活にあるんじゃないかと思うのです。

これまで、多くの中学校では、制服を定められてきました。
子どもたちは、 毎日自分が着る服すら、自分で考えて、選ぶことができずに、 多感な大切な時期を過ごしてきました。
自分たちが決めたわけでもない校則を押し付けられ、 「変だ」「嫌だ」と思っても、 制服以外の服を着ることも、校則を変えることも基本的には認められてきませんでした。

そして、今、子どもたちは本当にいい子で、 「決まっているルール」に疑問を持つ子すら、もうほとんどいないのではないか。
そんな中、多くの人が「社会は変えられない」と思っているのは、 必然ではないかと思うのです。

* * *

制服は強制なのか。
わたしなりの見解でいくと、
学校は、子どもたちに制服や校則を強制することはできません。

それは、過去の制服に関わる裁判の判例を見ても、日本国憲法を読み解いてもそうです。

過去の裁判で、学校長が模範となる服装として制服を定めることこそ認められているものの、それを着るか/着ないかは子どもたち個人の判断に委ねられています。

また、子どもたちが学校にどのような服装で通学するかは、「自己決定権」(憲法13条)、「表現の自由」(憲法21条1項)にあるとおり、本来自由なはずで、もし、指定した制服でないと学校に通学出来ないということであれば、その指導は子どもたちの「自己決定権」や「表現の自由」に対して行き過ぎたものであり、なにより子どもたちの「教育を受ける権利」(憲法26条1項)を奪うことになるからです。

時代の変遷で変わってきたのではなく、わたしたちが制服を着るのが当たり前だと思い込んでいた何十年も前から、制服も校則も、無条件に従わなければいけないものではなかったわけです。

それなのに、未だにほとんどの中高生が制服を当たり前に着ています。
なんで制服を着なければいけないかの説明も無く、なんでこの校則があるかの説明もなく、そして、当たり前に全額自己負担で制服を購入します。
子どもなら誰でも通える公の学校であるにも関わらずです。

職場の制服は基本支給されます。
公道を指定の車種や色で走りなさいなんて言われることも無いです。
なぜ子どもたちだけが、そんな変なルールに縛られなければいけないのか。
どう考えても、おかしいんです。

* * *

そんな中、娘が公立中学校に行くことを決めていました。

上映会が終わってすぐの12月中旬、
進学予定の中
学校から入学説明会の案内が配られました。
入学説明会と同時に、当たり前に制服の採寸が行われること。
「何も考えずに」当たり前に子どもたちが制服に袖をとおすこと。

そんな状況を前に、わたしは「自分の目の前の世界から変えていこう」って思っていました。
そうやって、活動を広げていこうと。
ちゃんと、好きなものは好き。嫌なものは嫌。変なものは変。違うものは違う。ってみんなが言わなきゃいけない。
全てが通るわけでは無いかもしれない。
具体的に、誰かの不利益に繋がるなら、ちゃんと話し合う必要はある。
でも、ルールだからって、ただ黙って、従わなければいけないわけじゃない。

そして、自分が納得いかないことは、ちゃんと貫いていいって。
だって、それは、わたしたちみんなに認められた当然の権利なんですから。

もちろん、娘の世界だから、わたしの考え一つで、ズカズカとはできないけれど、娘とよく話して、娘にも考えてもらって、できることをやっていこうって。

今まで、「1人だけ勝手なことをしちゃいけない」「迷惑かけちゃいけない」そんなふうに思って、みんながみんなのために、我慢して、忖度してきたことが、周りまわって、結果的に社会全体を苦しいものにしています。

制服については、今や誰もそのことに疑問すら無いし、むしろそのほうが楽だとも思っている。
でも、本当にこのままでいいのか。
「自分の国のことなのに、自分たちでどうすることもできない」
「自分のことを自分で決められない」
そんな社会でいいですか。

わたしたちの起こした波が、誰かの行動の後押しになって、またそこから新しい動きに繋がって。そんな行動の一つ一つによって、社会が変わっていくことを願って、まずは「目の前のこと」の一石を投じてみることにしたのです。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました