元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

2023年5月の語らう会レポート


こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

先週末5月27日(土)に、
さんすう教室コポリで、第3回目の語らう会を開催しました。

語らう会って?↓

blog.himitsukichijyajya.com

さて、2023年5月の『語らう会』のテーマは、
【何を目指して、子どもたちを育てていますか?《子育て/保育/教育》】

わたし個人のことになりますが、、、
わたしは親として、数年前まで「何かに向かって」子育てしようとは思っていませんでした。
「子どもは勝手に育つ」と思っていたし(まぁ、そういえばそうなのですが)、「子どもの未来」を親が決めてしまうようで嫌だった部分もあると思います。

でも、何より、そんなことを考えようと思ったことが無かったのです。

「妊娠した」「出産する」と初めてづくしの経験の中で、目の前のことで精一杯で、子どもたちにどんなふうになってほしいかなんて考える機会がありませんでした。

みなさんはいかがでしょうか。

* * *

今回、参加してくださったのは、
・現役の小学校の先生(しかも新任の方おふたり!)
・保育士さん
・長年学習塾をされている方
と見事にいろんな立場の方が集まってくださって!とても気づきの多いお話をすることができました。

また、
・子育てを終えた親の視点
・絶賛子育て中の親の視点
・子育てしていないからこその子ども側の視点
という多角的なお話になりました。
参加してくださったみなさん、本当に貴重なご意見をありがとうございましたっ!

* * *

まず、率直に
「あなたは、あなたの立場で、何を目指して、子どもたちを育てていますか?」
と問わせてもらいました。

立場によっていろんな意見が出ました。


■保育士さんの場合


日々
保育の中では、子どもたちが家庭と同じような安心した状態で過ごせるようにと考えていた。
(保育園でいい子にしている子もいるが、保護者さんから聞くような家庭での素顔が保育園で見られると「よっしゃ!」と思っていた。)

だけど、保育士の中でも「貸して」「いいよ」「ごめんね」「いいよ」というような表面的なやりとりを子どもたちに強要する人はまだまだ多い。


■新任の先生の場合


先々も見据えつつとは思うが、今は目の前のことで精一杯かもしれない。

年配の先生は、次の学年に渡すために、今ここをしっかりさせておかないと考えて、今しっかりさせないと思っている先生が多いと思う。

今、目の前の一人ひとりとしっかり向き合う時間がほしい。

 


■子育てを終えたお母さんの場合(子どもが就職/大学進学をしてひとまず子育てを終えた方)


社会に出るとき(18才/大学卒業時)に
 "じりつ”していることを目指していた。

※そもそも"じりつ”ってどんな状態?自立なのか、自律なのか。
深く掘り下げられなかったのが残念でした・・・
時間がなかったこともですが、わたしの力量不足。
次回、またお話しできたらいいなと思います。


■現役子育て中のお母さんの場合


特にこれといったものを目指したいとは思っていない。
(子どもをこうしなければ、ここを目指さなければというものを設定したくない。)

も、将来も「人を好きになってほしい」と思って育てている。


語らう会という場に集まってくださる方なので、教育や子どもたちのことに関心が高い方のご意見だと思いました。
そして、

■子どもの立場から考えると・・・


「あいさつがしっかりできるようになってほしい」とか「嘘をつくような人になってほしくない」「将来の目標をしっかり持ってほしい」「簡単にあきらめない我慢強い子になってほしい」みたいな、子どもを理想の姿にしたいと思うような目標は立てないでほしい!

という意見も上がりました。

それぞれの意見でも上がったとおり、親と言っても、保育士と言っても、先生と言っても、それぞれ考え方が違うわけで、この場に来られた方の意見だけが全てでは無いと思います。
それでも、この場に集まった人の意見だけでも、その目指す時期も、目指している地点も、それぞれの立場によって、価値観や考え方によって、大きく違うことがよく見えたんじゃ無いかと思います。

* * *

その上で、
初めてのお子さんの入学の際に「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」という学校からのお便りがあったというお母さんのケースを事例についてどう考えるかということをお話ししました。

わたしは、文字については「小学校に入学するときに自分の名前が読めればいい」と思っています。もちろん本人の興味にはよるけれど、親があえて先取りする必要はないと。

今、この社会では、大人が基本的には文字を使用して生活していますから(そうでないケースも一切ないわけでは無いのですが、ここでは一旦置いて考えています。)、子どもたちは、興味が湧けば、必要性が出れば、急がずともその子のタイミングで、いずれ必ず習得すると考えています。
(むしろ、先々の子どもたちを考えると、この時期に文字を覚えることに躍起になるより、その前段階の学びの土台になるような体感を伴うあそびや生活の中での実体験をゆっくりじっくりたくさんする方が絶対に必要!たくさん工夫して、遊ぶことが大切!と思っています。)

参加された保育士さんも、ひらがなの習得は幼児期にさせなければいけないものではないと考えているというお話しで、遊びや生活が大切というお考えでした。

一方で、学習塾の先生から「現実的に、小学校に入ったら、ひらがなの読み書きを完了するまでの期間が短いことから、みんなができていることができないという劣等感が自己肯定感を下げるので、子どもの興味を刺激して幼児期に習得させておいた方がいい」という意見も出ました。
ただし、それはワークブックを開いてにひらがなを覚えるというようなスタイルではなく、子どもが文字に興味を持ったときに、その興味から自然な形で広げていくと、ものすごい勢いでひらがな学んでいくのだからということでした。

繰り返しますが、わたしの考えとしては、早期にひらがなを習得させなければいけないとは全く思いません。小学校で学ぶということでいいと思います。(それでも、子どもの環境や親の考え方によって、この最初の段階で子ども自身の心が折れてしまうケースもあるのだろうなぁと感じました。)
でも、この「子どもの興味に沿って」ということは同感です。
保育士さんからも話がありましたが、やはりおてがみのやりとりをしたい女の子の方が、教えなくても文字の習得は早いわけで、今の社会の中では、ほとんどの場合、興味さえ湧けば、自然と習得して行くものだと感じます。
なので、子ども一人ひとりの興味や関心によって、あそびや生活の中で、当たり前に文字や数量を体感する機会があることが大切だと思います。

2018年度に、幼児教育に関する法令が変わり、保育園/幼稚園/子ども園に関わらず、その中で「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」が示されました。
この中で、文字や数量に関することも謳われていますが、あくまで方向性であって、卒園時/小学校入学時の「ひらがなの習得」や「数が数えられる」という到達点を設定しているわけではありません。
今回の語らう会で出たような、文字や数量への興味が沸くような関わりが、保育園/幼稚園/子ども園の期間には必要だということが示されています。

www.nhk.or.jp


こういったことをみなさんとお話ししていて、このケースでの学校側からの「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」という言葉は、もしかしたら「生活の中で文字や数量を取り入れてみてくださいね」という意図かもしれないと感じました。
わたしもこのケースを聞いたときにそう受け取っていたように、多くの親御さんは、そういったことを学校から言われたときに学校の意図をしっかりと確認せずに、「ちゃんと文字や数字を書けるようにしなければ」「幼少期からひらがなを書かせるということが必要なんだ」というふうに受け取るケースは多いのではないかと思いました。

そう考えると、学校側からの言葉「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」をそのまま鵜呑みにして、もしくは 学校側の意図を誤解して、今までのその子やその子の性格興味、その子が今どんな状況か、なども全く無視して、子どもに「ひらがな」や「数量」を単に大人の都合で、タイミングで、大人が思うように習得させようと親が焦るのは得策ではなく、そこは先生と親とがしっかりとこまめに対話をし、協力をして、子どもにしっかりと時間をかけて対応していく必要があると思うのです。
(そんな時間が学校の先生にあるか、親にあるか、というのが、今の社会の難しいところ。みんな生きるので精一杯なのよね、という話にもなりました。それはそうなのですが、、、でも、その皺寄せは全部子どもたちがかぶっているのが現実なんですよね。)

子どもの本質的な学びにおいては「これをやったから、◯◯がすぐできる」というようなことは、ほとんどの場合ありません。
何か飛び抜けた特性がある子もいますが、誰にでも通用するわけではないし、もし「すぐできた」としても、その前段階のあそびや日常生活の中で十分な積み重ねがあって、学びの土台ができていたということです。

子どもたちがひらがなを学んでいくとき、ほとんどの場合は、本人の興味などの主体的な動機があって、読みと文字の繋がりに気付くタイミングや書き順などは気にせずに模倣するなどその子それぞれの一つ一つの段階を経て、知識として「知る」「わかる」というステップがあるからです。

「大人の都合で、大人の思うように」を求めて、仮にそれがなんらかの目に見える形になったとしても、それは本当の意味でその子自身のモノには全くなっておらず、単に周りの大人の満足だけで終わってしまう可能性が高いと思います。

「もし、そういった親と先生間の認識のズレがもしあるのだとしたら、そこを解消できるようにしてほしい」という声ももちろん上がりました。
親も先生も、お互い、子どもたちのことを思うのであれば、当然必要なことです。

ただ、学校の先生方には本当に時間的な余裕が無いという現実。

新任の先生お2人。今まさに真っ新な目で見ているリアルな教育現場の話を話してくださいました。


・一人ひとりと向き合いたくても、一度に相手するのは30人以上の子どもたち。
 1人と向き合う間に残りの子どもたちはどうするか。
・また、鹿児島県では県版テストという県下で一斉に行われるテストが独自で行われていて、学期ごとにテストが行われ、クラス単位での成績が出てその結果に敏感な保護者もいる。そこに合わせるために、遅れることができない(ようになっている)状況。
・通知表をつけなければいけないので、子どもたちに△をつけないようにしたい。
(絶対評価で、基準に達しなければ△をつけなければいけなくなっている)
・親が子どもの学びに対してちゃんと関与していればいいけれど、そうでないケースもある
・学校によっては、まだまだ長時間労働を強いるような先生や環境もあること。
・親側が、”先生”に不信感を持っているような学校のケースもあること。


* * *

わたしは、数年前まで、特に何も考えずに子育てをしてきました。

ただ、娘の不登校という現実を目の当たりにして、教育について学んで行く中で、
「子どもが18歳になったときに、
 子ども自身が、自分の基準で物事を判断し、自分らしく行動できる人にする」
ということを目指して、今は子どもたちに接しています。
我が子にもそうだし、コポリの子どもたちにも、わたしと関わる子どもたちに対して、そう思っています。

時間が無くて、深く掘り下げられませんでしたが、語らう会のご意見にもあった、「社会に出るとき(18才/大学卒業時)に、"じりつ”していることを目標にしている」ということに近いのかなと思います。
それは、「子ども自身を親が思っている理想の姿にしたい」ということではなく、だからといって「なったようにでいいよ」ということでもなく、具体的にどんな形になるかわからないけれど「自分の基準で物事を判断し、自分らしく行動できる人」という方向/方針だけを定めている感じです。

そして、わたしは、今、そのためには、子どもたちにとってどんな教育が必要か、どんな環境が理想的かといつも考えています。

実のところ、文部科学省は、通知表もテストも必須とはしていないのです。
(わたしが昨年12月に主催した上映会の映画「夢みる小学校」を観るとよくわかります。
よかったら、予告編だけでもご覧になってください→映画「夢みる小学校」上映会inたからべ

では、なんのために、通知表やテストは存在しているのでしょう。

もし、先生が接している目の前にいる子どもたちに今必要なことがあるのだとしたら、テストや通知表のために、先生たちがそこに向き合う余裕を持てないことは、子どもたちのためにはなっていないと思います。
大人が勝手に作った枠に子どもたちを当てはめることなく、子どもたちが今目を輝かせていることに取り組んでもらいたい。
話題に上がった、ひらがなができないという劣等感が自己肯定感を下げるのであれば、子どもたちがその仕組みに合わせるのでは無く、その教育の仕組みを変えてほしい。
子どもたちが合わせるのではなく、子どもたちに合わせてほしい。
今のまま、仕組みに合わせていたら、早期教育はますます進んでいきます。

わたしは、娘の不登校で学校外の学びの場を経験してきました。
「友達と過ごしたい」という娘の意思で、今は公立中学校に通っていますが、わたし自身は、学校で学ぶ選択よりも良い教育はたくさんあるし、自分で学ぶことも十分可能だと思っています。
そんな視点で、実際の学校で起っていることを見ていると、学校にはおかしいと思うことばかりです。学校目標で言葉では「自律」や「自分で考えて」と掲げられているけれど、子どもたちに「みんな同じ」を強いたり、「自分で考えない」ようにしている場面がたくさんあると感じます。
そして、わたしは、そのことで、学校の先生や教頭先生、校長先生、教育委員会の方などとも直接お話ししていて、実際に文部科学省や各教育委員会の方針が明らかに変わってきているのも肌で感じています。
そして「学校は変わらなければいけない」と感じている先生が増えているなと感じています。

それでも、こうやって現場レベルでの学校の実情を聞くと、まだまだ学校の現場はそういう状況なのだということがわかります。それが全てとは限らないけれども、もうほぼ学校現場は変わってきていますよという状況でも無いということです。
(このことは、学校や学校の先生だけの責任ではなく、国が教育にお金を割いていないことの表れです。大人一人ひとりがもっとしっかり考えなければいけないです。)

学校現場も、保育現場も、実際に子どもたちに接する先生や保育士、その環境、その教育施設や保育施設のカラーで、実際に子どもたちが受け取るものの質はガラリと変わります。

公立学校は、現実に、少しずつは変わってきた要素はあると思いますが、毎年先生の入れ替わりがありますし、多くの先生の質が一気に向上するわけでは無いし、もちろん新しい先生も入ってくる中で、急に大きく変わるわけではないということを踏まえると、現段階では「公立学校はそういう場所だ」と、親としては、しっかり受け止めなければいけないなと思うのです。

本当は、親が信頼できる先生・保育士や教育施設・保育施設に預けるのが一番だと思いますが、保育園や幼稚園はまだ選べるけれど、公立学校となるとそうはいかない。
今の学校システムではどうしても難しいわけです。
公立学校は、住んでいる場所だけで自動的に通う場所が決まってしまうわけで、そこに集まる先生がどんな集団かも、どんな先生が担任に当たるかも、毎年全くわからない「一か八かの環境」

そんな不安定な場所でしっかりと子どもたちを育むためには、やっぱり子どもたちの一番身近にいる親が、「誰か」任せにするのではなく、しっかりとした親の方針のもと、向かうべき方向を見て考えていかなければいけないと思います。

子どもたちを取り巻く環境が、大きく変わる中で、子どもたちの学びの土台は本当に築かれにくくなってきています。
「ひらがなが読める/かける」「数字がわかる」ということではなく、小学校のスタート時点で本当の意味で、学びの土台が整っている子がいるのかと思うくらいです。
言葉でどんなに説明しても、ピンと来ない子が本当に増えています。

今は、学校が変わることに期待するよりも、親自身が子どもにとってどんな教育が必要かしっかり学び、親なりの考えを保育士さんや先生に伝えていく。

その姿勢が、これからはますます必要では無いかと感じました。

学校の先生が子どもたちと接するのは、ほとんどの場合、たった1年です。
でも、子どもたちの人生はその先にずっと続きます。
しっかりと、子ども自身の、子どもの親の意見も踏まえて、その子その子にあったスタイルを子どもに関わる人全てで、作り上げていくような関係が築けたらいいなと感じます。

親としては、
運良く、教育方針が合う保育士さんや先生だったとしたらラッキー。
そのときはタッグを組んで子どもに向き合っていけたらいいと思います。
そんな先生が増えて行くことを祈るばかり。
でも、もし運悪く方針が違う先生だったとしても、お互い違う立場ということで、折り合いがつくところを見つけて、親として通したい方針は貫いたまま、なんとかやり過ごす。(ここがなんとも歯痒いですが、いろんな人がいて成り立っている世の中なので、それも良い経験かも知れません。)
親が信頼できないところに子どもを預けるなんて・・・というご意見もありました。
もし、方針があまりにも違って、悪影響だと思うなら、必要に応じて、学校に通わないという選択でもいいのでは無いかとわたしも思います。(それも、良い経験かも知れません)

「公立学校がそういう場所」である以上、「先生から言われたこと」をどうするかについては、親も、子ども自身も、しっかりと自分ごとにして考え、判断して行く。
それが必要だなと感じた語らう会となりました。

* * *

来てくださった方からは、

自由の中に学びがあるのが良かったです。
私たちの話を聞いてくださり、ありがとうございました。
いろんなことにアンテナをはっていきたいです!(20代女性)

 

いろんな場面・いろんな考えを
学ぶことができて良かったです。(20代女性)


とご感想をいただきました。
こちらこそ、ありがとうございました!

* * *

次回の『語らう会』は・・・
2023年7月22日(土)15:30-開催です!

注意⚠️7月は第3週はこどもたちのなつまつりとなるため、
   語らう会は第4土曜日の開催になります⚠️
たくさんお話ししたい方は、持ち寄りごはんをご持参ください♪
語らう会の後、夕食を食べながら、一緒にお話ししましょう!


次回は、今回の話を振り返りつつ、こちらの話題で語らいます!

詳しく知りたい方や参加ご希望の方は、さんすう教室コポリの公式LINEかインスタグラムのDMにメッセージお願いいたします。

 

さんすう教室コポリ 公式LINE

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さんすう教室コポリInstagram

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前回2023年3月の語らう会のレポートはこちら↓

blog.himitsukichijyajya.com

______________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

昨年の映画「夢みる小学校」上映会を機に始めることにした《語らう会》。
今後、細ーく長ーく続けていけたらなぁと思っています。

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

何にも出なかった「運動会」

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


次女5歳、年中さんの秋。

新しい環境が苦手な次女が、移住に伴って保育園を転園して半年以上が経過した頃のこと。

blog.himitsukichijyajya.com


入園して、半年以上が経過して、、、
なかなか慣れなかった保育園に、ようやくすんなり行けるように。
ようやく、自然とおともだちの名前がチラホラ出てくるようになっていて。

入園後はずっと、自分の知らないルールをただおともだちが親切で説明しているだけなのに、注意されていると思っているのか、ずっと険しい顔をして保育園に通っていました。。。
毎朝、行きたくない・・・グズグズに付き合うのもなかなか大変。
そして、しばらくの間、なかなかおともだちと遊ぶって感じじゃなくて、保育園でも弟である長男と2人連んでいるだけのように見えていたけれど、、、。

ようやくです・・・
あぁ長かったー。まぁ山は超えたかなぁ。
と、思っていたのも束の間。
あれ?なんか変だぞ・・・?
次女は、また何かぐずぐず言っている・・・?

一体何!?と思っていたら、園庭で、なんとなく運動会のようなことをやっている!?
コレか!と直感で思ったわけです。

今、通っている園では、一般的な「運動会」はやらないことになっているって聞いていました。
みんなで行進して、お遊戯して、マーチングさせてみたいなものは、子どもたちにしっかりさせるということが目的となってしまって、子どもたちにはただただ負担だからという園の方針。
これは、前に通った園もそんな考えで、次女がこの前に出たことがあるたった1回の運動会(前の園)は、田んぼでのどろんこ大会だったんです。

よくよく聞くと、フェスティバルと名前をかえて、運動会みたいなものは一応やるみたい。
普段どおりの子どもたちの遊びそのものを見てもらうという趣旨のもののよう。
練習っていう練習はせずに、普段そうやって園庭でやっていることをそのまんま、親の前でやるよって感じらしい。

でも、わたしも実際見たわけじゃないから、わたしも実際どんなものかはわからない。
コレか!と思った園庭の様子は、大人の目で見れば、まぁ運動会に向けてやっているのかなというもの。
他の子どもたちは、まぁ楽しそうに遊んでいるようには見えたけれど、いつもとはやっぱり違う!と、敏感で察しのいい次女は、その微妙な大人の温度感みたいなものを拾っちゃった様子でした。
まぁ、次女の知っている運動会(どろんこ大会)とは全く別物だから、まぁ仕方ない。

次女の様子を見ていると、先生たちの様子に、運動会に出なければいけないと察していたのだと思います。
出たくないなら、自分で「出たくない!」「出ない!」と言ってくれたら、わかりやすいし、話が早いのだけど、次女は、相手が期待しているのに出ないなんて言えない、言ったらいけないと思っているのか、はっきりとは言わない・・・。
でも、まぁ子どもだから、我慢もしきれず、またまた険しい顔をしていて、言葉にできない想いを機嫌の悪さに出して拗らせた様子。

入園のときと似たような様子に、こりゃ、このままじゃこの子が生きるのは辛くなるようなぁと危機感を持ちました。
「必ず出なさい」と先生に言われたわけでも、親であるわたしたちが言っているわけでも無い。むしろ、その練習だって、「やりたくない」と言えば、全然尊重してくださってるんです。それなのに、自分に素直な気持ちに蓋をして、「出た方がいいんだよね」と思っているから、ぐずぐずが長く続く・・・・。

ただ、次女に相手の期待を感じても、「察するな」「気にするな」と言っても無理があるのはわかる。
わたしも、つい察しよく、勝手にアレコレ考えてしまっていた子どもだったから。
でも、自分の気持ちは逆方向を向いているのに、相手に合わせて生きていく辛さをわたしは知っています。
ぐずぐず言ったって、親であるわたしはわかってやれるけど、この先、自分の身の回りの他の人にわかってもらうなんてことは正直難しいわけで。
本人がはっきり言わなければ、無かったことになってしまう。
自分が自分の気持ちを大事にしないと、自分以上に取り上げてくれる人はなかなかいないのです。
「察しが良くて」「人のために働けること」は悪いことでは無いけれど、やっぱり、「自分」を偽っていたら幸せにはなれない。
どんなに、相手の期待を裏切るかも知れなくても、「自分」は「自分」として大切にしなければ、結局のところ、相手のことだって苦しめることになるんです。
「自分だって我慢してやってるんだから、あなたも!」って。

それで、、、
わたしは親として、
たった一回でも、自分の気持ちを貫いて、自分に正直に生きても大丈夫だという経験がこの子には絶対に必要だ!と思って、
「あなたは本当はどうしたいの?
 運動会に出たくないのなら、出なくてもいいのよ」

と声をかけたのです。
すると、次女は最初はぐずぐず言いながらも、最終的には「運動会には出ない!」と決めました。

そして、担当の先生に「無理に出さなくても大丈夫です」と早めにお伝えして、そうすることで、また保育園にすんなり行くようになっていました。

* * *

運動会当日、次女は、晴れやかに保育園へ。

もう1人の主役である弟である末っ子は、運動会で主役になるタイプってことで、思いっきり運動会を楽しんでいました。
わたし自身がどんなものかわからないなと思っていた次女が出る予定だったの競技も、実際見てみると、遊びの延長を、運動会の競技としても見て参加して楽しめるように工夫されていたものでした。思っていたよりも楽しそうな内容に、次女も見ていたら出たいって思うんじゃないかと思っていました。それで、親子競技になら出るというかな・・・と思って、わたしだけ楽しんで参加させてもらってはみたものの、、、結局次女は頑なに「運動会」には何にも出ずに、誰もいない子ども席に1人座って、終始、他の子たちの参加する様子を笑顔で観覧していました。

後日、園長先生が園便りに書いてくださったこと↓

《ひとりひとりに寄り添うとは》
〜一部抜粋〜
競技に参加せずともみんなの様子を園児待機席から見ている子どもさんもいました。競技ごとに誘いましたが、余計なお世話でした。「笑顔で応援していたよ」と横にいた上司の言葉。声も出ていたそうです。
みんなと同じを強いるのではなく、その子どもなりの参加の仕方が保証される、そんな運動会(行事)が理想と考えます。乳幼児期の時代は、多様な社会を生きていく基礎の時期です。自分とは違う考えや思いを受け入れたり認めたりできる子どもを育てていくことが私達保育者の使命だと思います。


次女の運動会は、一見、【何もしなかった】運動会でしたかが、こんなふうに暖かく見守ってくださる中で、このときのありのままの次女の姿で「運動会」に参加させてもらえたことは、とても有意義だったと思います。

こういう機会に直面すると、大人はつい「せっかくの機会だから」と子どもの気持ちは無視して、無理にでも参加させた方がいいかなという気持ちがひょっこり顔を出します。
このときのわたしもそうでした。
案外楽しそうだからとわたしの価値観で、やっぱり参加させた方がよかったかなという考えが頭をよぎり、直接では無かったものの、誘おうとした気持ちがありました。
でも、娘自身が、このときはこの観覧スタイルを楽しむことを貫いてくれました。
(どうなったかはわからないけれど、直接声をかけなくて、本当によかった・・・)

娘は、「この行事はこんな会なのか」と知ると同時に、「自分が嫌だと思ったら、どんなに周りが出た方がいいと思っていても、無理に出なくても大丈夫」って経験をすることができました。

例え、子ども自身が「参加すればよかったな」という後ろ向きな気持ちになったとしても、子ども自身の心の底からそういう思いが湧き上がる経験ができたのなら、それは確実に次に繋がるステップです。

そして、同じやり方をしても、「やっぱり参加しなくてよかった」と思う子も、「少しだけなら」と思う子もいると思います。
違う方法もあると思う。

「どんなふうにすればいいか」は、その子によってまたその時によって違うとは思うけれど、ちゃんと目の前の子どもひとりひとりに寄り添って、向き合って考えないといけないなと思います。

「ちゃんと出る」「ちゃんとやる」ということだけではない、娘にとって、これからを大きく左右するような本当に大切な経験をすることができたと思っています。

* * *

運動会そのものの始まりは軍隊行事だそうです。
「子どもたちをちゃんとさせなければいけない」入場行進から始まる、組体操をしっかりする みたいな運動会は、わたしはもうやめたらどうかなと思っています。
こんな投稿もありました↓
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0vHNMFgoog9pEjgG2CL33UJj7C4BMUuaj8F8n4DthbKDJvbFoZxRGPYpdeZpM12Utl&id=100001343388488
どうせやるなら、子どもたちを真ん中においたこんな運動会がいいなと、わたしは思っています。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

うちの次女

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


ここのところ、長女のことばかり書いていたので、次女のことも。

うちの5歳次女は、長女とはまた違うタイプ。

わたしは、子どもの性格や特性と、出産スタイルって繋がっているなぁって勝手に思っていて、、、。
長女の出産は、予定日9日押し。
自分が思い立つまでは動じない。しっかりとマイペースを貫いてる今の姿に繋がっています。
(と言っても、何にもしてないように見えるその間に、ちゃんと様子を入念に観察していて、しっかり計画を練っているんですけれど。実際、初産だったにも関わらず、陣痛始まって4時間でスルッと生まれてきました。)。
うちの長女は、生まれるときから長女そのもの。
無理せず、しっかりと機を待って、自分を貫くタイプです。

次女はというと、、、
ちょうど長女が小学校入学した直後に生まれてきました。
予定日の1週間前。
参加できるかしら・・・と心配していた長女の初めての運動会終えた直後、長女の学校の関係で里帰りしなかったので田植えの時期を見計らって母が来てくれたその日の夕方に、本当にこちらの期待通り、ピンポイントに生まれてきました。
しかも、家で長女の宿題が終わるまで見届けて(←こんなことしなくてよかったと今は思いますが笑)、病院着いて2時間で生まれてくるという。
ちょっと出来過ぎなくらい、本当に察しよく、こちらの期待をそのままやってくれる子で、誰かのために生きるのが向いている子なのです。

しかも、自分じゃない誰かが怒られているのをよく聞いています。
だから、次女に直接言ったことが無いことまで、しっかり守って、大人の手を煩わせないような子に見える。
そんな子なのです。

* * *

次女(と末っ子も)は、保育園をたくさん代わっています。

本題から少し逸れますが、、、、。

初めての園は、長女が卒園した園でした。
わたしたち夫婦が、親1年目で、「子どものために」ではなく、通勤しやすいとか近くで便利とかそんな「大人の都合」で選んだ園です。
それでも、その園で出会った先生方が、娘のマイペースさを否定することなく、娘と長く関わってくださったから、親として全く未熟なわたしたち夫婦の下でも、長女は長女でいることができたなぁと思っていて、とっても感謝はしていたのですが、それでも、いろいろ学ぶ中で、やっぱり「子どもをまんなかにした」より良い環境を選びたくて、次女と末っ子は、入園して半年強で転園をしました。

二つ目の園は、園長先生が「子どもまんなか」を貫いている素敵な園でした。
いろいろ勉強して、日本の中には、いろんな保育園があるって知ったけれど、わたしは、実際に自分の子どもたちを通わせる場所として見てまわった中に、ここ以上の保育園にはまだ出会っていません。
次女も、園長先生のことを正直とてもこわがっていたけれど笑、親以上の愛を下さった出来事があって、時々ふっと思い出して、そのことを話してくれます。
今は華やかでキャッチーな言葉が溢れる世の中ですが、厳しさの中に、本当の暖かさを持った関わりをしてくださって、本当に大切なことを学ばせてもらいました。
わたしたち自身も、親としてとても成長させてもらったと思っています。

blog.himitsukichijyajya.com


そして、今通っている園は、福岡から鹿児島への移住に伴って、選んだ園です。
時期が悪く、前に一時保育の園を数園挟んだものの、今通っている園も、教育方針を子どもまんなかにして、考えてくださっています。
どんなに、大人が求めるものが変わっても、「やっぱり、子どもたちには!」と園長先生がおっしゃっていることを信頼して通園させています。


最初の園に入園したとき、わたしはまだ公務員でした。
次女、長男と2人を出産して通算3年のお休みをいただいたあと、仕事復帰に伴っての入園。
当時まだ2歳だった次女なのですが、慣らし保育の当日から、ハイテンション♪
とっても楽しく、通い始めてくれて、こんなにスムーズでいいのか!と思っていました。
ですが、仕事をスタートしてしばらく、入園後1ヶ月過ぎた頃から、結局退園するまでずっと、毎日毎日グズグズ「保育園行きたくない」と言っていました。
そして、その当時、わたしは「あぁ、やっぱり保育園の選び方が悪かったのか」と思っていました。

次の園に入ったのは、年少さんの11月からでした。
入って1週間もしないうちから「ずっと、通ってたかと思うくらい、馴染んでいるし、楽しんでます」と言われていました。
仲良くしていたおともだちもいたし、「やっぱり、選んだ保育園がよかったのだなぁ」と思っていました。
でも、次は入園後3ヶ月を過ぎたあたりから、半年ほどぐずぐず・・・
いろいろやって、いろいろあって、退園するころにはそういったことも少なくなっていきました。

そして、今の園では、入園当初から!半年近くぐずぐず言っていました。

* * *

その時々、その時点では気付かなかったのですが、そうやって、いろんな園をまわったおかげで気づいたことは・・・。
次女は「新しい環境がかなり苦手」ってこと。
最初、全然、ピンと来ていませんでした・・・。
よく保育園の通い初めは「最初は泣いた方がいい」「泣かない子の方が後が長い」って聞くけれど、こういうことか!と自分で気づくまではなかなかわからなかった。
だって、はじめはスムーズだし、ハイテンションで、一見、本当に楽しそうに見えるのですから。

そして、今になって思うこと。
一番最初の園に入園した当時のわたしは、なんとか保育園に楽しく通ってほしくて、「保育園はこんなとこだよー」「楽しいよー」と、通う前から、暗示をかけるように次女に話をしていました。
当時のわたしは、まだまだ、なるべく「何事も起こらないように」「子どもたちがぐずらないように」「子どもたちが楽しくできるように」と考えていました。
その期待をしっかりと察して、入園当初に見事に出来過ぎのシナリオをなぞってくれた次女。
「察しがいい」「相手のために何かしてあげたい」そういう次女の性格や特性を、親の都合で利用して、娘らしく踏み出す一歩目を無意識に邪魔していたわたし。
「無意識に」というのが本当にこわいことです。
次女は、そうやって自分に無理をする分、それが反動となってあとで出てくる・・・。
そして、出てきたのときには、そのぐずぐずの元は、よくわからないという状況だったわけです。

さすがに、2回の転園で新しい環境が苦手ってことかなぁと薄々感じ、今通っている園に入園したときは、「いやだなぁ」って気持ちの蓋をさせないようにして通わせました。
それでも、新しい環境に慣れるのに、半年くらいはかかったわけですが。

* * *

こうやって過ごしていると、本当に、子どもって、色々なんだなぁと思います。
大人だって、本当に色々だろうなぁと。
我が子でもこんなに違う。
3人産んで育てていても、3人目の子は、初めましての子。
我が子でもわからないことだらけです。
わたしの小さな考えでは、1人育てただけでは、
わからない、理解できないことがたくさんあります。

それでも、こうやって、長いスパンで、良かったことも悪かったことも含めたいろんな出来事をひたすらにただ見続ける中で、そのときの表情や行動をそれぞれ照らし合わせて、「あぁ、この子はこういう子なんだなぁ」と日々発見して、表面や発せられる言葉だけではわからない「この子らしさ」「この子自身」に、少しずつ近づかせてもらっている毎日なのです。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

「宿題」を子どもの成長の機会にするために

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


宿題は誰のため?
子どもたちは「自分のため・・・」と渋々答えます。
学校では、そう、言われていますからね。

では、おとなのみなさん。
宿題のおかげで今のあなたがあると思いますか?

わたしはそうは思いません。
わたしが、学生時代に勉強ができたのは宿題をやったからじゃなかったからです。
自分なりにノートにまとめたり、自分が覚えやすいように工夫したり。
宿題のおかげでは無いし、宿題をしなかったからといって、そんなに変わらなかったんじゃないかなぁと思うわけです。

まして、学校で学んだことで、今身になっていることがどれくらいあるだろう。
学校で教えてくれたらよかったのに!と思っている もっと大切なことの方が山ほどあるなと思っているくらいです。
小中高校で学んでいることって、受験のためのもので、本当にそんなに長い時間かけてやらないといけないのかなって思っています。

話が逸れましたが、みなさんの場合はどうでしょう。
「宿題」があったから、今のわたしはあるって言えるくらい、重要なものだったと思いますか?

* * *

学校の先生が、クラスのみんなに出す宿題は、クラス30人〜40人全員に向けたものです。
クラスの中には、成績のいい子もいるし、地頭のいい子もいる。
勉強はあんまりだけどスポーツが得意な子もいますし、勉強嫌だけど絵を描くのが好きな子もいます。
みんな理解度も、関心も違うのに、みんなおんなじ宿題。
なんなら、一度代わりにやってみましょう。
そうやって、少し考えたら、「あれ?本当に宿題って自分の子のためになっている?」
そう気づくのでは無いでしょうか。

もし、目の前の子が、やっている宿題の問題の前の単元でつまづいていて、今やっている宿題が全くチンプンカンプンだったとしたら、「今やっている宿題をちゃんと終わらせる」ことは、その子にとって何も意味が無いことはわかると思います。

それでも、

毎日、たった1枚の宿題でしょ。深く考えずにやらせておけばいい。
わたしたちもそうやってきたでしょう?

って意見が聞こえてきそうですが、、、、
本当にそうでしょうか。

昔は、不便だったり、楽しいものがこんなに溢れていませんでした。
だから、宿題をしていたって、どうしても自分で考えないといけない場面があったんです。
だけど、今は、とっても便利だし、楽しませてくれるものばかりだし、おとなが常にあれこれ指示して安全だし。
子どもが何にも考えなくても、なんでもうまく、安全にことが過ぎてしまいます。
その中で、やりたくもない宿題。
子どもたちは、日常生活の中で、考える(必要がある)時間がありません。
遊ぶために、ゲームをするために、「いかに考えずに、簡単に宿題を終わらせることができるか」この技をどんどん身につけていきます。

たかが宿題だけれども。
1日30分・週に5日やったとしたら、1ヶ月で10時間。
1年で120時間。
義務教育の9年間で1080時間です。
高学年になったら、もっと求められますよね。
それだけの時間を、「考えない」ために使っているなんて・・・。
本当に子どもたちの力になるものに使うことができたなら・・・。

わたしは、今、お金云々よりも、子どもたちには「時間」が足らないと思っています。情報が多くなって、サービスも多くなって、子どもたちが本当に忙しい。
ゆっくり、心を動かして、あそぶ中でしか育てることができない体・心・頭があるはずなのに。

その中で、「学校に通う時間」「学校の宿題に割く時間」が
本当に《子どもたちのため》になっているか、よく考える必要があると思っています。

「自分」のことを心底考えてくれる人は「自分」以外にはなかなかいません。
宿題を出している学校の担任の先生が、「自分の子」のことだけを心底考えてくれるとは限らないのです。
担任の先生は、大体1年で変わります。
10年後、20年後まで責任を持ってくれるわけじゃない。

「宿題を(自分にとって本当に必要かどうか何も考えずに)言われたとおりにする」ということは、「自分の人生を他人に任せている」ということなんです。

子どもは子どもだから、宿題が何かなんて知りません。
宿題がこの先にどう繋がっているのかも知りません。
大好きな親が『自分を通わせている学校』の先生が「良いものだからやりなさい」「ちゃんとやってきてね」と言われたら、「そういうもんか」とやってしまうものです。

だから、年齢が小さいうちの環境設定は、誰よりも我が子のことをいちばん考えている親が、真剣に考えて選ばないといけないとわたしは思います。

* * *

さんすう教室コポリで扱っている「どんぐり問題」。
その問題を考案した糸山先生は「学校の宿題はさせないで!」とおっしゃっています。
「しなくてもいい」じゃなくて「宿題はさせてはいけない」と。

自動宿題しますマシーン(親が宿題を代行する)を稼働させても、させたらいけないとおっしゃっています。

それは、無意味どころか、子どもたちの考える力を奪うからです。
さんすう教室コポリのサイトにも書いていますが、わたしも、心からそう思っています。

kopolimath.hp.peraichi.com


学校から出る宿題が、本当に「自分の子どものためになっているか」「自分のためになっているか」、一度しっかり立ち止まって考えてみませんか。

いきなり「宿題はしない」って選択でなくても、

毎日、「これは我が子の今の状態にあっているものか」「これは自分にとって必要か」ちゃんと向き合って考えてみる。

「これはやらせるけど、これはいい」と子どもの様子をみて、まずは親が決めてみる。

そのうち、子どもも自分で考えて、学びを選ぶようになれば、大したものです!

それを毎日週に5回やったら、
月に20回、年間240回、9年間で2000回以上、
人任せにせず、自分で自分のことをしっかり考える、自分に向き合う時間をとることになります。

毎日のことですから、そこに取り組むか/そうでないかが、5年後、10年後の子どもの考え方、在り方に大きな影響を与えるのは間違いのないことです。

せっかく毎日やってくる「学校の宿題」。
子どもが少しずつでも確実に、大きく成長するの機会にしませんか。
そういった我が子の身近なことを、自分でしっかり考えて取り組む材料にする。
それが、必ず、子どもの人生を支えてくれるとわたしは思います。

* * *

追伸:
学校の先生との摩擦は、親がしっかりフォローしましょう。
家庭訪問や普段のやりとりの中で親の考えをしっかり伝えておけば、「親の責任で宿題をさせていません」と言えば、わかってくださる先生方もたくさんいます。
また、そう言った考えの人が増えてくれば、学校側も変わって行かざるを得なくなる。

今まで、学校のいうことに対して、わたしたち多くの大人が従順に従ってきてしまったがために、学校は変わるチャンスを逃してきたのだとわたしは思っています。

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2021年春、
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みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

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その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
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さんすう教室通学が「出席扱い」になった

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


3月のさんすう教室の日のこと。

わたしがやっているさんすう教室コポリに、平日通ってきてくれている子が在籍している小学校の校長先生が見学にきてくださいました。

文部科学省は、不登校の子どもが学校以外の民間施設で教育を受ける場合、学校長が適切だと判断すれば、「出席扱い」とできると通知を出しています。

www.mext.go.jp
そのことは、教室に入会してくださった際に、ご両親に事前にお伝えして、「希望があれば、わたしの方から学校へおはなしに伺いますよ」とおはなししていました。

(中学校の出欠は、鹿児島県・宮崎県において、県立高校のいわゆる内申書の記載事項になっています。直接中学校へ聞いてみたところ、今は不登校ということが考慮されることになっているそうで、出欠については、気にしなくても大丈夫とのことだったのですが、私立高校等がどういった判断をしているかについては学校の判断によるのだそう。これだけ、不登校の子どもたちが増えてきていることで、今後変わっていく部分もたくさんあると思いますが、現時点で、もし学校側が「出席」として認めてくれるのであれば、それはその方がいいかなと思っていて、何より、学校側が認知してくれることが、社会の中での理解に繋がっていくと思うので、本人や保護者さんの希望があれば、積極的に動いていきたいと考えています。)

ただ、小学生の間は特に出席/欠席が何かに影響があることはほぼ無く、1日も出席しなくても、その時期が来れば、小学校の(中学校も)卒業証書がもらえます。

ご両親は、入会してくださった当初から、学校が認めてくれる/くれないに関わらず、「お子さんにより理想的な環境で学んでほしい」ということでコポリに通学してきてくださっていて、特段そういうことを求めなくてもいいというお話しだったので、学校からご連絡をいただくまでは、こちら側(生徒側)からは学校側への出席の交渉はしていませんでした。

であるにも関わらず、学校側から連絡をいただいて、校長先生自ら足を運んでもらって様子を見にきてくださったのです!


正直、そういった通知が文科省から出ていても、実際の教育現場に浸透しているかというと実情は伴わないというケースがほとんどです。

うちの娘こそ、福岡の小学校と移住後の小学校2校、計3校でフリースクールへの通学を「出席」と認めていただいてきたのですが、福岡でも認めてくださらないところもまだまだたくさんあるし(同じ福岡のフリースクールに通っていた子も、学校や自治体によって状況は様々と聞いています)、宮崎・鹿児島については、移住前(2年前)にフリースクール等から直接話を伺った範囲では、まだまだ教育委員会判断が主流で「出席扱い」を認めてもらった事例は無いと聞いていたので、今回の学校側からのアクションには、わたしも驚き+感激したのでした!

校長先生によると、曽於市教育委員会に判断を問い合わせたところ、「児童も、保護者もその学びを求めていて、学校長が適切と判断するのであれば、出席として認めて構わない」ということだったとのこと。
(今、曽於市の教育委員会は、アツいのです!令和3年度に市長が新しく中村教育長を迎え、その中村教育長のお考えの下で、曽於市の教育の変革の舵を大きくきっている印象です!今後に期待✨)

そして、この校長先生、講師であるわたしが主催した 映画「夢みる小学校」の上映会も観にきてくださったのだそう。

miraiwohagukumu.hp.peraichi.com

 

不登校のこと、
娘のこれまでのフリースクール出席扱いのこと、
コポリでやっている体験を通じて学びに繋げていること、
取り組んでいるどんぐり問題について、
色々とお話しさせていただき、大きな学校ではなかなか個別に対応する学びは難しい部分があることはあるとされながらも、コポリの教育方針については、大きく共感してくださいました。

後日、コポリへの通学が「学校出席」として認められたと伺っています。

* * *

コポリでの学びには、目に見える成果はなかなかありません。

でも、学びについて深く理解をしてくださっている方、子どもたちと普段に直接接している方は、今の教育に不足している大切な部分をコポリでは扱っているということをわかってくださいます。

数年前までは、学校外の民間施設に校長先生が見学に来てくださることや、まして、さんすう教室の通学が「学校出席」として認められるということは、全く考えられないことだったと思いますが、校長先生や教育委員会など、関わってくださる方の考えが一つ一つ変わっていくことで、実際にここまでの変化が起こっています。

「出席」に認められようが、そうでなかろうが、コポリで子どもたちが「何を学ぶか」ということについては本質的なことは何も変わりません。

それでも、このことが、この先の「学校に行かない」という子に、社会に、少しずつでも、確実に影響することは間違いないとわたしは思います。
うちの娘が通っていたフリースクールの代表と、そのフリースクール通学を出席と認めてくださった校長先生のおかげで、わたしはそういったことが可能だという実体験をしてきました。
そのことを、移住先の鹿児島でも、真摯に校長先生方にお伝えして、2つの小学校で引き続き、フリースクールの登校を出席と認めてもらってきました。
また、中学校においても、もしフリースクールに通うのであれば、出席として認めますとお返事をいただいています。
わたしは、「子どもたちにとって、何が一番良いのか」その視点で、子どもを取り巻く人たちが考えていけば、自ずと答えは出てくると信じているので、今後も、真摯に教育に関わる方と対話していきたいと思っています。
今後も、こういった小さな波が、徐々に社会の中に広がっていくことを願って!

それもこれも、関わってくださっているたくさんの方のおかげさま。
通ってくださる子どもたちや保護者の皆さんと共に、いろいろな経験をさせていただいているコポリです。


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2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
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まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
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そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

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はじめまして、公務員を辞めました  

 

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それでも、感謝している

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
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制服に纏わるわたしたちの行動。
そして、学校の反応と対応。

 blog.himitsukichijyajya.com


学校や周りの反応で見えてくる考え方や価値観は、
わたしたちが考えていることとは大きく違います。

ときに、「えー!」と思うようなことを言われたり、あんまりだなと思うような行動が対応されたりします。
抗議したい気持ちになることもありますし、度を過ぎれば抗議すると思います。

それでも、わたしは、どんな反響だったとしても、対応してくださる学校や、反応してくれる周りの子、周りの人がいてくださることに「ありがたいな」と思っています。

もし、何の反応もなければ、わたしたちがやったことは何の意味も無いことになってしまうからです。
何もなかったことになってしまう。

わたしたちとは考え方が違っても、でも相手にとって「どうでもいい」こと、「どうでもいい」存在では無いから、反応してくださるわけです。
貴重な時間も割いてくださっています。

学校側の対応や周りの反応は、ときにひどいなぁと思うこともあります。
わたしたちだって、人間です。だから、もちろん、傷つきます。

それでも、わたしは、感謝しているんです。


分かり合えなくても、伝えます。わたしたちの想いを。
分からないから、耳を澄まします。相手の考えに。
そして、対話し、それぞれの想いや考えを尊重し合う。
そんな時間を持てるのは、お互いがちゃんとそこに存在しているからです。

* * *

今の世の中、「波を立てないように」「事を荒立てないように」「何事もないように」そんなふうに動いています。

でも、お互いに違う考え方の人たちが、この世の中に存在する以上、必ずどこかでぶつかり合う。
それでも、それは、お互いがお互いである証拠。
この世の中にいろんな人が存在しているからこそです。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
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まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
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はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

わたしたちが立てた波

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


親主導で、中学校のルールをほんのちょっとだけ破って、入学式に参加した娘。

blog.himitsukichijyajya.com
うちの娘がやったのは、シャツを一枚変えただけ。

たったそれだけだったけど、わたしは、自分が納得のいかないことをただ黙って見過ごすのは嫌でした。それに、娘が「みんなと同じ」と言う世界に、ただなんと無く流されていくのも違うだろうと思っていました。
たとえ、変わらなくても、選べなくても、ちゃんと立ち止まって、ちゃんとそれぞれの頭で考えて進みたいと思いました。

たったそれだけのことだったけれど、入学式の日、入学式の次の日と、何人かの子が娘に声をかけてきたのだそうです。
「どうして、違うシャツ着ているの?」と。
娘はなぜか頑なに、なんて答えたのかは教えてくれなかったけど、娘のしたことが、他の子の中になんらかの考えや感情を引き起こして、そして、反響として、娘に問いかけてくれました。おかげで、また娘も何かをきっと考えたと思います。
それは、大人が思うような立派なものではないかもしれない。
それでも、子どもたちには、何かを考える機会にはなったのではないかと思うのです。

そして、後日、クラスの中で、旧制服であるセーラー服(合服)を着てきた子もいたそうです。
それが、うちの娘が与えた影響だったかは分かりません。
だけど、その影響で、今度はうちの娘がセーラー服(冬服)を着て登校しました。
いい傾向だなと思っています。
お互いがお互いに影響し合っていく。
そんな空間の中にいたら、みんなと同じじゃなくてもいいって、みんなが思えます。
古い制服でも、新しい制服でも、新しい制服のシャツが違ってもそれでいいって。

そういう小さなことがきっと学校を、社会を変えて行くのだとわたしは思います。

* * *

また、入学式後、校長先生にも改めて話をする機会を持つことができました。
実は、この春、異動があり、校長先生が変わっていました。
でも、おかげで、2人の校長先生に、「こんな考えもあるんだ」「学校は今後どうしていくのか」をほんの少しでも考えていただくきっかけをつくることができました。

PTA会長さんからもご連絡いただき、お話しする機会を持つことができました。
「校則があるとはいえ、認められている権利ですよね」とお話しすると、「いや、違うでしょう!国民の権利とかはよくわからないけど・・・」と言われてしまいました。
でも、一つ一つ対話させてもらうと、理解してくださった部分もあったのではないかなと思います。

きっと、先生方、周りの方にとったら、忙しい業務の中で、きっと迷惑で、頭の痛い親子だとは思います。
(周りが騒いでいるだけで、直接は特に何も迷惑かけていないとわたしは思ってるんだけど・・・)
でも、それでもだからこそ、みなさんが考えるきっかけになっているのではと思っています。

わたしたちが立てた小さな小さな波。
わたしたちがしたことは、ほんの小さなことです。
でも、それが、何かに繋がっていく。わたしはそう信じています。

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そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

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