元優等生の"人生やりなおし”物語

元優等生の30代後半までの葛藤と、"人生やりなおし”を決意したその後の日々や思いを綴っています。

娘が通う「未来の夢みる小学校」

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

 

 

わたしは今、映画「夢みる小学校」の上映会がやりたくって突き進んでいます。
ついに12月3日(土)、4日(日)に開催を決めました。
春に、映画館で映画を観たときから、絶対にやりたいと思っていて、ついに!です。

とにかくこの映画を、ただただ、たくさんの人に観てほしい。
そんな気持ち一心です。

この映画を観ると、不登校の子の特別な子のためだけじゃなくて、どんな子にとっても本当に価値のある学び、大切なものがそこにあるって感じると思います。
そして、その結果、社会全体があたたかいものに、本当に良くなっていくってわたしは本気で思っています。

本当は上映会のサイトを作るつもりは全くなかったんですけど、なんだかいろいろ考えていたら、想いが溢れて、猛烈に作りたくなって、2時間くらいで作ってしまいました。
ぜひ、覗いて見てほしいです。
予告編だけでもどうか見てください。(←しつこい笑)。

miraiwohagukumu.hp.peraichi.com


映画を観て見て、「こんな学校がいい」ってそう思わない人がいても、もちろん構わないのですけど、こんな世界があるとも知らずに、目の前に並べられたものしか無いと思って、学校なんてこんなもんだって、たくさんの子どもたちが大切なものを後回しにして、一生懸命黒板写して宿題して、大人になってしまうのは違うと思っています。
子どもだったときのわたしは、そんな世界があるって知らなかったから。わたしは、ずっと大人が、学校が求めることをちゃんときちんとやってきた優等生でした。その結果、世の中が良いと判断しているものは手に入ったけれど、それは自分の心が求めているものではありませんでした。でもそのことに長い間気が付かずに、自分が何者かがわからなくて、本当に本当に苦しい苦しい20代30代前半を過ごしました。そんなふうに、20年以上も遠回りしてしまったんです。
子どもたちには、本当にフラットに、自由に、これから子どもたち自身がどう生きるか選べるようになってほしい。心からそう思っています。

* * *

わたしは「夢みる小学校」は夢じゃないと本気で思っています。

いつできるかわからない新しいそんな学校ができるのを夢みるより、今ある目の前の小学校自体がそんな学校に生まれ変わることがいちばんいいってそう思っています。お金もかからないし、何よりたくさんの子どもたちの"今”がより良くなるってこと。そして、それはすぐにでも実現可能だって思います。(正確には、そういう研修も先生方にしてほしいし、十分な人手がいるからお金はかけなきゃいけないんだけど。)

必要なのは、場所とか、制度とか、仕組みとかじゃないんです。
変わらないといけないのは、「社会の考え方」で、それは「親や先生や地域の考え方」で、結局「わたしたち一人ひとりの考え方」です。

何より大切なのは、目の前の子どもたちを一人ひとりの人として、大人がちゃんと向き合う、子どもたちへの誠意だと思うんです。

* * *

うちの小6娘は、不登校です。
福岡に住んでいた小2のときに一時的に、小4で完全に不登校になり、フリースクールへ移行しました。親であるわたしには苦しい苦しい期間ではありましたが、娘自身はフリースクールで、本当に楽しい素晴らしい毎日を過ごさせてもらいました。この期間があるからこその、今のわたしたち家族です。

そして、わたし自身が自分の人生を生きるために、昨年末に鹿児島県曽於市財部町へ移住しました。
(これは完全に親の都合に子どもを付き合わせました。子どもたちのことを思えば、フリースクールや下の子たちの通うこれまた素晴らしい保育園のある福岡に残るのが本当はベストだったからです。
だけど、そうしないと、移住してわたしが「わたしらしく」自分の人生を歩まないと、夫が「夫らしく」いられないと、不登校の娘が「自分らしく」生きていく姿を、本当の意味で応援できない。と、そう思ったのです。)

* * *

そして、移住後の今年の4月から、娘は、特認校制度というものを利用して、住んでいるところの校区ではない、山間の学校に在籍しています。
全校生徒で十人程度の小さな小さな学校です。

今、娘はこの学校に、1日のうち1時間か2時間か、通っています。
通っているのは、体育とか、総合の学習が主なのかな。毎日の宿題はもちろんしていません。
ですが、宿泊研修や運動会などの行事には、積極的に参加していて、友達とも仲良く過ごしています(元々友だちいっぱいの娘なので)。校区外なので送迎が必要で、わたしの都合でお迎えが本人の希望に沿わないときももちろんありますが、そのおかげで、先日の台風明けの学校清掃に参加したり、本人の意に沿わない授業に参加したり、そんなこともありながら、それでもあたたかく対応してもらって、そんなふうに学校に関われていて、とてもいい関係を築けています。

そして、実は、福岡のフリースクールにも、いまだ通い続けています。
移住後9ヶ月以上たった今ですが、それでもなお です。
月に3度ほど、泊まりがけで通う日々です。
フリースクールでは、普段から川に行き、海に行き、体を使って走り回って、みんなでキャンプをしたり、また1年を通してマルシェでお金を稼いで、自分たちで稼いだお金で修学旅行に行ったりもしています。修学旅行先は自分たちで決め、どうやって行くか、どれくらい費用がかかるか自分たちで調べて、行きたい場所が友達とぶつかったときはzoomで話し合ったり・・・そんな貴重な体験を日々積ませてもらっています。
フリースクールでは親同士も、この子は今こんな感じだとか、家ではこうだけどどう思う?、その子その子の今の課題はこの辺りだなとか、そんなやりとりをしながら、みんなでお互いの子どもたちをずっと見合ってきました。そんなふうに、子にとっても親にとっても、「大切な仲間と、信頼できるスタッフと、安心して好きなことやりたいことに取り組める場所」がそこにはあるのです。

そんな形で、週の半分の数日間は山間の公立小学校に通って、残りの日は福岡のフリースクールでのびのび過ごすという、不登校だけれど、ハイブリッドでヘンテコな楽校生活を送っている娘なのです。
(「ハイブリッド通学」は、今はうまくいっていますが、わたし個人の感覚で言うとあまりオススメではないです。その理由はまた何かで書きたいと思いますが、もし気になる方は直接ご連絡ください。)

* * *

そんな一般的に言うとかなりへんちくりんな生活をしている娘なのですが、小学校の先生方もお友達も、ありがたいことに、それがうちの娘だと認めて接してくださっています。そんな子、普通はいないでしょうから、最初はびっくりはしたと思うのですが、本当に自然に受け入れてくださって、感謝しかありません。

クラスの友達に「なんで学校来ないの?もっと来てよ」って言われることもあるようです。
数年前の不登校当初は、その言葉がわたしも娘も辛いときがありました。
当時は「みんな学校に来てるのにずるい」って言われているような気がしていました。
でも、今、友だちから掛けられているそんな言葉を、娘は、純粋に「もっと娘と遊びたいのに」っていう気持ちからだと思っているようで、そう言われてほんと嬉しそうにしています。

福岡に住んでいる頃の小学校は、1学年が30人×2クラスくらいの規模の学校でした。
先生方も一生懸命考えて対応してくださってたと思いますが、(学校に数時間だけ登校して)途中で帰るとき、
担任の先生が「はい、さようならです。皆さん!」と声をかけられて、
「(独特なイントネーションの)さ よ う な ら 」と
挨拶をしてもらっていました。そんな「娘」と「娘の友達である同級生たち」の姿に、わたしはいつも心を痛めていました。良かれと思ってなのでしょうが、そんな無理に言わせなくても・・・と心の中で思っていました。

今は、授業の終わり(3時間目とかの終わり)に「さようなら」「じゃーねー」「バイバイ」と子どもたち同士の自然なやりとりの声が教室から聞こえてきます。
帰る前に、娘は校長先生にも声をかけて少しやりとりをしてから帰ります。
そして、毎回ではないけれど、担任の先生が娘と談笑しながら階段を降りて靴箱まで送ってくださいます。そして、親であるわたしともたわいもないコミュニケーションをとってくださっています。そんな形式張らないそんなやりとりの一コマ一コマが、とっても自然で、あたたかくて、本当に本当にありがたいのです。そんなへんちくりんな通い方をしている娘でも、特別に対応してもらっているのではなく、ちゃんとここに存在している『ひとりの生徒』として認めてもらっているなと思うのです。

こうしないとダメってことではなくて、そこにそれぞれがそれぞれを思う「気持ち」がちゃんとあるなぁと思うんです。

ただ、大人数が通う学校で、こんなやりとりを先生方に求めるのは本当に酷だとわたしも思います。先生方が少ない人数で、下手したら担任の先生1人で、何十人という子たちを束ねて、定められた学習を全てこなさなければならない。先生方も必死なのだと思います。

でも、それでも、子どももみんなそれぞれ違う人間です。学校の当たり前の波に乗れない子もいる。その波がゆっくり過ぎてつまんない子もいる。
それなのに、ほとんどの全ての子が「みんな」と一緒に同じところに注目させられて、みんな同じように学ばなければいけない。
書くのが得意な子は書いて覚えて、見て覚えるのが得意なら見て覚えるでいいと思うのですが、未だに漢字ドリルは全部埋めるのが基本で、早く綺麗に全部埋められた子が誉められる世界です。
そのように、学習面だけでなく、色々な面で、「みんな同じようにする」ことが求められているという現実があります。(特別支援学級などもありますが、あくまで、「普通クラスでは難しいので」と言う対応で、「みんな」「普通」と言うものが「通常」であって、「そうでない」場合と区別される感じにわたしは違和感があります。)

そんな中で、今、通っている山間の学校には、「みんな」が存在していないとわたしは感じています。
人数が少ないから、「みんな」ではなく「ひとり一人の集まり」という感じがするんです。
違う考えや生き方のひとりひとりが集まっている場所だなって。
「学校に普通に行っている子」も「そうでない娘」も、当たり前にそこにいて、自然にやりとりしている。
社会でも学校でも、こんなふうな考え方で成り立ったら、こんなに素晴らしいことはないと思います。


* * *

こんなエピソードもあります。

娘は、夏休み明けにに小学校のお友達からもらってきたというお土産のクッキーを本当に嬉しそうに大切にしていました。「本当に美味しかったから、みんなにも食べてほしい」とお友達が学校のみんなと先生たちに持ってきてくれたのだそうです。
そして、担任の先生もこの間、離島へ戻られたとき(奥さまが離島の学校の先生)にお土産のお菓子をクラスの子どもたちにも買ってきてくださいました。

とびきりの出来事では無いけれど、なんだか、とってもあったかいやりとりですよね。
学校でこんなやりとりが自然とあることが本当に貴重だなと、こんな心の交流を子どもたちにはたくさん心に刻んでほしいとわたしは思うのです。

だけど、ほんの少し大きな学校になると、「学校にお菓子は持ってこない」と言うルールのもと、一蹴されてしまうことでは無いでしょうか。そうでなかったとしても、「ルール」だからって、勝手に忖度して?お土産持っていかないのが当たり前になってたりしませんか。「お土産を持っていく/いかない」ってことではないんです。「『みんなに食べてほしい』だから持っていこう」っていう子どもたちの本当に自然な優しい気持ちを素直に出せないのって本当に残念だなってことです。小さな小さなことだけれど、本当はあたたかくて子どもたちに必要で大切な交流が、今の一般的な学校では、本当にたくさんのルールで全て封じ込まれてしまっているのでは無いかと感じます。

「ルール」や「きまり」で縛るのは簡単です。「ルール」だから守りなさいと言えば済む。でも、そうではない目の前の人と人同士のやりとりや交流の中で、落とし所を見つけていくような感じでいいのでは無いかと思うのです。「ルール」は本来そういう人と人がスムーズにことを進めるためのツールで、「ルール」通りで無くても、そこにいる人がそれでいいと思えるなら、別に「ルール」を守ること自体には深い意味は無いのではないかとわたしは思うのです。「ルール」は守らなくてもいいと言いたいのでは無くて、そこにいる「人」が「人」を想えば、きっとそんなギスギスしたものではない「あたたかい」解決策がきっとあると思うのです。

結局は、子どもたちそれぞれがそれぞれの一人ひとりの人として大切にされているかと言うことに尽きると思います。

* * *

今の学校に通わせる前に、わたしは校長先生に話をしに行きました。

わたしは、娘が不登校になったからと言って、学校にもう通わなくてもいいと思っているからと言って、娘の未来を諦めたわけでは無いんです。と。
娘は学校には通わないけれど、でもわたしは娘は何にだってなれると思っています。と。
なりたい職業があるのなら、どんな道でもきっと叶える方法はあると思う。と。
ただ、そのときに、今、「学校」に通っていなくて、「長期欠席」だったと言うことが「欠席日数が多い」ということが、不利になることがあるかもしれないことが気がかりです。と。

そうしたら、校長先生は色々調べた上で、連絡してきてくださり、フリースクールに通う日は学校は出席扱いにしますとおっしゃってくれました。

(前提として、本来は通知表を付けることは文科省は定めていないはずなので、出席日数が高校受験の際に調査票と称して提出されなければいけないこと自体がわたしはおかしいとは思ってはいます。ただ、特例的な対応はあるとしても、慣習として、少なくても宮崎・鹿児島では未だにそういった仕組みとなっている事実があります。)

* * *

わたしは、今、娘が通うこの小学校は、「未来の夢みる小学校」の原形では無いかと感じています。

今、娘は、今の国の制度の中でも、仕組みの中でも、校長先生が認めてくださって、担任の先生や周りの先生方も、お友達も、保護者の皆さんも、娘を「普通に学校に通わないそのままの娘」として受け入れてくださっているので、「時間割」とか「通知表」とかそんなものに縛られずに、ありのままの娘のままでも「学校」の中に居場所があります。
そして、それが特別なことではなくて、娘以外の子どもたちもそうやって大切にされていると感じます。
そんなあたたかいやりとりを日々目の当たりにしていると、関わる大人(親・先生・地域・周り)が、「学校は行かないといけない」とか「宿題はしなければいけない」とかそんな凝り固まった価値観ではなくて、「その子にとってどうか」ということに誠意を持って、真心を持って、対応すれば、解決できないことなんてほとんど無いとそう思うのです。

* * *

今、世の中一般で、普通の学校で、それができないのは、狭い教室に、子どもたちを押し込んでいるからです。ひとりの先生が、たくさんの子どもたちを見なければいけないからです。

子ども一人ひとりに真摯に向き合う時間が、学校の先生方には無いのです。
いろいろな業務に追われていることもあると思うけれど、何より、一人で見なければいけない人数が多すぎると思います。人数が少なければ心を配って対応できることも、忙殺されてしまうような状況となれば「みんな一緒」で「ルール」を定めて、効率的にできる方が良くなって当然だと思います。

そんなふうに、みんな違って当たり前なのに、「みんな同じ」を子どもたちに要求しているのが、今の「学校」なのです。

昨年3月31日、学級編成の法律が可決され、小学校の学級の人数を5年間かけて40人(1年生は元々35人でした)から35人に引き下げられることがようやく決まりました。学級の人数が引き下げられたのは、教育現場から長い間出され続けた強い要望であったのに、昭和55年以来のことだったそうです。
そう、40年かかってやっとです。
移住にあたって、公立小学校もたくさん見学して回りましたが、やっぱり40人は多すぎると思います。見ためでも、ぎゅーぎゅーです。でも、少なすぎるのも、手をかけすぎてしまうと思うので、クラスの中で色々な子を見渡して対応していくなら、1クラス15人とか20人くらいがいちばん良いのでは無いかと、個人的には思っています。

少子化で、子どもたちは減り続けているのに、子どもが少なくて大人が多くなっているのに、子どもたちの環境は40年も、わたしたちが生まれる前からほとんど変わっていないんです。いつまで経っても、そうやって狭い教室に閉じ込めて先生が子どもたちを管理しようとしている状況なのです。

でも、これって、先生のせいではない。
こんな学校を作っているのは、わたしたち一人ひとりが作ってきた社会なんだと思います。
これから先の未来は、今の子どもたちが作っていきます。
その「未来そのものである子どもたちにとって、どんな"今”が必要か」一人ひとりの大人がしっかり考えないといけないのでは無いかと思います。
少しでもよりよくなっていくように、関心を持ち続けないといけないと思います。

ずっと、人々は便利さを求めて、山間を離れています。
今、わたしが住む曽於市の山間の学校はどんどんどんどん学校が閉校になって、どこかの学校に統合されていっています。
40人学級が40年かけてようやく35人学級になろうとしている一方で、山間の学校は急速に無くなってどこかに集約されていっている。
曽於市の現市長が市長判断で閉校を指示されることはありません。曽於市のどの小中学校の閉校も、各学校の子どもの人数が減りに減ってしまい、仕方なく地域から要望が出て決まるという状況です。
学校が無くなるときは、長い長い歴史があった学校でも、本当に簡単であっけない。でも、新しい学校ができるのは本当に容易なことでは無いのです。無くなってから気づいても遅いけれど、その現実は刻一刻と進行しています。
今あるものを活かして、活用する手立ては、本当に無いのでしょうか。視点を変えれば、今、わたしたち一人ひとりができることはまだまだ山ほどあるんじゃないかとわたしは思うのです。

「夢みる小学校」はすぐにでも、明日からでも、目の前の公立小学校で実現できる。そう私は思っています。

ルールや慣習にこだわらずに、その場所にいるその時々の子どもたちの興味や関心、その子たちらしさによって「学校」が形成されていくことが当たり前に行われれば、どんな学校も、結果「夢みる小学校」になっていけるのではないかとそう思うのです。
これからの学校は、今までのように学校に子どもたちが合わせるのではなく、子どもたちに大人が寄り添っていく形に変わっていかなければいけないのでは無いかと思うのです。

「学校は行かなければならない」「宿題はしなければならない」「ルールは守らなければならない」目の前の子どもを置き去りにして、そのことを議論しても、全く意味はありません。
わたしたち大人一人ひとりが誠実に真摯に、この社会を見つめて、目の前の子どもたち一人ひとりと向き合って、その子その子を大切にできるそんな社会になればと願って、わたしは今、突き進んでいます。

___________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

みんなが黙っていることの怖さ

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

 

「何か意見はありませんか?」
と問われて、意見が全く出ない場面に出会うことはよくあること。
割と大人数の会場の方がその傾向が強いのかなと思うけど、でも、たくさん人がいるのに、誰も意見が全く無いなんてことは無いわけで、結局、いろんな理由でみんな「意見を言わない」「黙っている」と言う選択をしているってことだと思います。

その理由は、「恥ずかしい」とか、「目立ちたくない」とか「特に意見がない」とか、「クレームと思われたら嫌だな」とか?他はなんだろうな・・・・
色々あると思うけど、結局その色々でやってくる出来事だったり、人との摩擦だったり、自分の中の葛藤だったり、そういうのに直面するのを「めんどくさい」って避けていることのが根底にあるかもしれない。

わたしは割と思ったら黙っていられない方で、日本社会の中では「意見を言う」方だと思うけれど、それでも、特に主張したい意見が無いときに、黙っていることもよくあります。
いや、、、特に意見がないときだけじゃない。
実際は話したいことがあるけれど、
「こんなことわざわざ言わなくてもいいか」って思って言わなかったり、「毎回わたしが言うのもなぁ・・・」って思って言わなかったり、「時間長引くと迷惑かなぁ・・・」って思って言わなかったりみたいなケースもあるわけです。

* * *

つい、最近、とあるテレビ番組の特集を目にしました。
2022年8月31日に富山県の北日本放送さんで放送されたものだそうです。
いつまでWEB上でこの番組が公開されているか分からないので、よかったら、ぜひ、早めに見て考えてほしいと思います↓↓↓
(動画は、2本に分けられていますので2本あります。
 どちらも大切な内容ですので、ぜひ見てほしい!!!)

※20220929追記 
動画が見れなくなっているみたいです🥲
すごく考えるきっかけになる動画だったのに、
残念すぎる。。。

www.knb.ne.jp

内容は「”統一協会”と性教育」。「統一協会」も「性教育」も嫌煙する人もいるかもしれないけれど、ぐっと我慢して最後まで見て考えてほしいです。

* * *

ちょっと本題とズレてしまうので、「性教育」については横に置いておきたいのだけど、でもそこ置いといたら重要性が伝わらない気もするので、本題に入る前に、前提として「性教育」について少し触れたいと思います。

学校現場で「性行為」について触れられないと言うことはわたしは本当に大問題だと思っていて、しっかり学校現場で取り上げてほしいとわたしは思っています。
わたしは小6娘には、命が生まれる仕組みを伝えていて、行為自体のことも既に直接話しています。娘がどの程度理解できているかは分からないけれど、大人が子どもたちにしっかり伝えなければいけないことと考えています。

わたしたち、大人も「性教育」をしっかり受けてきていません。
そのことを知って、わたし自身が学び直したのですが、わたし自身も全く知らないことがたくさんありました。

あってほしくはないけれど、強姦されたときどうすればいいのか。
きちんと知っていますか?
知っていたら、「妊娠」だけでも回避することができるかもしれない。

別に、非合法なことでも、難しいことでもない。普通にできることです。
でも、それを教えてくれる場所は、今の子どもたちには基本無いのです。
女の子がいる家庭では他人事ではない話です。
男の子の家庭でも、大切なパートナーがそう言うことに巻き込まれるかもしれない。

心身ともに傷ついたとき、何も知らないところから、正常な判断ができるとは思いません。


そんなふうに「性教育」として、子どもたちにしっかり伝えておかないといけないことが山ほどあると思うのです。


* * *

”統一協会”って今、テレビでは持ちきりの話題なのかな?
テレビをほぼ見ないので(特にニュース)世間の話題にかなーり疎いのですが、そう思って書きます笑

”統一協会” わたしも、小さいころワイドショーとかで合同結婚式とかを取り上げているのを見たりしてましたが、何のことかさっぱり分からなかったし、いまだに蔓延っていたなんて、びっくりしています。
「”統一協会”わたしには直接関係ないし・・・」とか「政治も遠い世界の話だし、、、」とか思う人が多いとは思うけれど、この番組を見て、本当に身近な「わたしたち」の問題だし、わたしたち一人一人がしっかりと考えていかないといけないと思ったので、ブログに取り上げることにしました。

* * *

番組を見た方はぜひ、どう思ったかコメントや公式LINEででもいいので教えてほしいです。


わたしは、本当に怖いなと思いました。

もし、これが事実なら、、、いや事実なのではないかとわたしは思うのですが、本当に日本って大丈夫なのか?って思う深刻な問題です。

以前ブログにも取り上げましたが、行政は「声」の大きい方に動かされていきます。

blog.himitsukichijyajya.com

PTA役員や、国会議員などの権力を持っている人が、【一部の偏った人たちの思惑のある意見】を基に世間の流れを作ってしまったら、どんなに子どもたちにとって必要なことも、どんなに現場に近い人が必要だと思っていても、子どもたちの目の前から無くなってしまうのだということです。

そのことで、知っていれば回避できることなのに、知らなかったがために、子どもたちの未来が大きく変わるかもしれないってことです。

悲しいし、本当に怒りが込み上げてきます。

* * *

そして、今回、
特に考えてほしいのは、2本目の動画の出来事です


普通の学校の「性教育」の講演会で起こった一コマの話です。
わたしたちの生活にグッと近い場面です。
この番組で取り上げられたような場面で、意見を求められて、意見を述べた端と端に座った”統一協会”の夫婦が、「子どもたちにこんな教育されたら困る」と意見を述べ、そのほかの人たちがみんなで黙っていたら、どうなるでしょうか。

その小さな小さな意見でも、全くない意見の中で出た意見がそれしかなかったとしたら、行政はその意見を基に考えていく可能性は0ではありません。もし、教育委員会や、市や、県や、国が、【一部の偏った人たちの思惑のある意見】を基に、子どもたちに本当は伝えなければいけない教育を、学校から無くなってしまったのだとしたら・・・「わたしたちがみんなで黙っていること」の罪は本当に重い。

直接的にそういう判断にならなかったとしても、その一部の意見を聞いて、子ども自身が「そういうことは大人は教えてほしくないことなんだ」と思うかもしれない。大人も「確かにそうだよな」って感化される人もいるかもしれない。

だから、みんな黙っていたらいけない。

海外では意見を求められたとき、「自分の意見」が飛び交うと聞きます。
わたしは、このことって、本当に日本のいろんな問題を象徴することだと思っています。
日本は、「和を大切にする」文化です。「空気を読む」文化です。良い面もある大切な文化だけど、こう言うときは極めて悪い方に動くと思う。小さな小さな空気を読む行動や忖度が重なって、そうやって、その流れは加速されていくのだと思います。

すごい意見でなくても、「わたしはいいと思うけどなぁ」って意見でも、「こう言うことは伝えても良いけど、こう言うことは伝えてほしくないと思うけどなんで伝えるんですか」って質問でも何でも良いと思います。
何でも良いから、みんな、黙っていたらいけないんです。

聞いている人が「あーそう思う人もいるんだな」「いろんな考えがあるよな」と思えれば、きっと【一部の偏った人たちの思惑のある意見】で世の中の流れが偏っていくことは無いとわたしは思います。
行政だって、いろんな意見があれば、一部の意見に流されて行くことは無いはずです。
政治家(国会議員・県会議員・市会議員)からの影響は大です。なぜなら、政治家は市民に選ばれた人だからです。政治家の意見=市民の意見として行政は取り上げざるを得なくなるのです。だから、わたしたちは大人の責任として、(子どもたちは選びたくても選べないのだから)選挙でしっかり選びましょう。選挙に行きましょう!!!)

この世界は、いろんな人がいて成り立っています。どんな意見も大事な意見なのです。
大きいも小さいも無いし、深いも浅いも無い!
でも、発せられなければ、分からないし、取り上げようが無いのです。
何を思っているのかが分からなければ、お互いの意見に隔たりがあっても、折り合うところを見つけれることもできません。
【一部の偏った人たちの思惑のある意見】しか無かったら、少しずつ少しずつそちらに傾いていくのです。それが世の中で横行しているとしたら・・・

”統一協会”や加担した政治家へのバッシングが加熱していると思いますが、(政治家の罪はかなり重いのは間違いない!!!)わたしたち一人ひとりがそれを許す社会を作っている象徴的な話です。

わたしたちができることは、どんなに小さな場面でも、「何か意見はありませんか?」と問われたら、それを発していくことです。その場でできるに越したことは無いけれど、難しかったら、後で伝えるでも、手紙を書くでもいい。アンケートに書くでもいい。何年か経って、思うことがあったら伝えてもいい。まずは「何か意見はありませんか?」と問われて、「自分はこう思う」って意見を自覚することからスタートしたらいい。少しずつ、人に話すようにしたら、少しずつ自分の意見がすんなり出るようになって、発せられるようになっていきます。

日本では、学校でも多数決になってしまって、小さい意見は取り上げられないことが多くって、みんな「ダンマリが徳!」って染み付いてしまって、大人になると意見すら出せなくなってしまうと思います。わたしもそうでした。でも、発しているうちに、少しずつ、少しずつ、発せられるようになってきました(思いが溢れすぎて詰め込みすぎるけど・・・)。

社会を作っているのはわたしたち一人ひとりだってこと。
忘れてはいけないと思います。
遠い世界の話じゃない。一人ひとりの意見が、わたしたち大人がこれからの未来をつくっていくんだって自覚して、わたしはみんなで前に進んで行きたいです。

「何か意見はありませんか?」
ぜひ、このブログを読んだあなたの感想や意見を教えてください。
このブログのコメントでも、公式LINEやインスタDMでも頂けたら嬉しいです。
  個人インスタ https://instagram.com/yukose.slowly?igshid=YmMyMTA2M2Y=
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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
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はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

夏休みが終わった〜2022

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

夏休みが終わりました!
もう草むらの草が少しずつ秋めいてきています。
あっという間。
親も子も楽しんだ夏!
子どもと朝から晩まで自由に過ごしてホントに楽しかったので、
すっごく名残惜しい!

あーまた親も子も社会に揉まれる毎日かぁぁw

* * *

夏休み明け9月1日。我が家の朝。
朝は、大体6時半頃に起きてくる不登校時小6娘ですが、5時前に起きて一言。
娘  「わたし宿題終わってないよ」
わたし「あ、そう」

「普段から宿題なんてしていないじゃないの」とそう思う母です。
それなのに、なぜか夏休みの宿題だけ夏休み初日から燃えている娘。
それなのに、夏休みが終わっても宿題が終わっていない娘。
何かと不思議です。。。

* * *

一旦、わたしの親としての宿題談。
思い返せば・・・
「宿題は親がさせなければ!」と思って親であるわたしが必死こいて宿題をやらせた時期もあったし、あまりに宿題が手に付かない娘に気づいて、宿題なんてなければ!と学校やもっと宿題を出してほしいという他の保護者さんを恨んだ日もありました。

でも、今はもう、先生が子どもたちのためにと出すならば、勝手に出してくれればいいし、もっとやらせたい保護者がいれば勝手に個別に保護者判断で増やせばいいし、(わたしとしては、宿題なんてむしろしない方がいいと思っているけれど)、その上でやるかやらないかは子どもによるし、子どもが決めていいと思うし、ちゃんとやったかどうかなんて、先生が追う必要なんて全くないと思うのです。無くしてくれて一向に構わないけれど、どうしても出さなきゃって思うなら、宿題なんて出しっぱなしにしたらどう?って思ってます。
提出義務を設けるから、先生は宿題を見なきゃいけなくて、チェックしなきゃいけなくて、負担が増える。それならもっと、子どもたちが真に学べる授業を充実することに力を注いでほしい。
(多分結果、宿題をやらない子もたくさん、もちろんやる子もたくさん出るでしょうが、それはそれで良くないですか?違って当たりまえ!一番平和な解決法だと思うんだけどなぁ)

* * *

既にわたしがそんな考えなので、
我が子が燃えている夏休みの宿題だけれども、算数や国語を中心にしたプリントの類は娘本人のやる気の分だけ終わったようです。(親から見ても、この子はそれで十分と思います。)

そのほか、「自由研究」やら「絵」やら、「習字」に「作文」、「俳句」に「朝食作り」など、いわゆる【お勉強】の類に入らないものは夏休みに入った途端、どれをしようかな、絵は3枚、自由研究は2つ・・なんて言っていて。やる気満々。

やる気があるのだから、つい、やってほしい!と思うし、いろいろと欲が出るのが親心なのですが、うちの子はコレまたやらないのです。
やりたいことがありすぎて、目の前に現れた楽しそうなことに心奪われて忘れてしまうタチです。

それなのに、マイペースでゆっくり。
手際がいいわけでもないまぁ普通の子です。

その辺はこの子の課題だと思います。
どんなふうに生きていくのかな。
こうやって娘の人生が垣間見えるのも夏休みのおかげです。
(夏休みの宿題の作文にも将来の夢を10個近く書いていました・・・
 そんなにたくさん、何回人生やる気なの!?そう思うけれど。
 それでもこの子なら、
 やってしまうかもなぁなんて本気で思っていたりする母です。)

* * *

さてさて、結局、夏休み最終日まで、
頭の中で「こうしようかなぁ」とぼんやり考えていただけの長女の「夏休みの宿題」。
夏休み最終日ですら、焦らない娘。
肝が据わっています。図太い!(羨ましい!)


ひとまず朝から「朝食作り」だけやっていたけれど、その後、ゆっくり見たい動画を見て、漫画を見て、合間にちょこちょこと写真を撮っているだけ。

わたしの用事があって、わたしの実家に行こうとしていたので、写真プリントだけコンビニに連れていくつもりが、実家に宿題を持って行ってやるというので、途中コンビニに寄って娘も一緒に実家に向かいました。
もう実家まですぐそこのコンビニに到着して、娘に声をかけると車の中で読んでいた漫画を片手に「あー!忘れたー」というのです。
何か一つ忘れたものでもあるのかなと思ったら、宿題に必要なもの一式忘れたとのこと。
えー!!そのとき、既に3時過ぎ。家に帰るのは少なくても夜7時ごろ。
どうすんのよ!!!(←パニックでこんなこと思っているけど、それは娘が考えることですよ。わたし!)
いろいろ想定の範囲内だったわたしも一時軽くパニックに・・・
(「寝ずにやる」というのは親として認めていません。健康が第一だから。)

でも、うちの子は小さな頃からそんな子。
本当にずっと変わらない。

* * *

そんなやりとりの中、わたしは娘のとある出来事を思い出していました。
数年前にとある企画で海にカヤックをしに連れて行ってもらったときに水着などを入れたバックをバックごと忘れたのです。
すっごく楽しみにして前日からバッチリ準備していたのに、一式全て忘れて行ったことを。

そのときのことは詳しく聞いていなかったけれど、なんだかふと気になって、海に水着を忘れて行ったときのことをもう一度娘に聞いて見ました。

・バッグごと忘れたのに気づいたのは、お菓子とかを買い出しするためにお店に寄った直後で出発からだいぶ経ってからだったこと。
・忘れたことを車の中でつぶやくと、車を運転して下さっていた方が「なんとかなるよ」と言ってくれて、すぐ他の話題で盛り上がったこと。
・到着して、あーどうしようと思っていたら、予備の水着がなぜか出てきて借りたこと。
借りた水着を「洗って返さなきゃな」と思ったけれど、いいよいいよと奪われてしまったこと。

そんな話を聞いて、あーこういう子なんだなぁ。
それでも、誰かに助けてもらえる子なんだなぁ。
と思いました。
忘れ物王で、マイペースだけど、
こうやって、人に助けてもらえる気質を持って生まれてきたんだなぁと。

だから、親として、
「忘れ物をしないように工夫はしなきゃいけないと思う。
それでも、どうしても夢中なことがあったりすると忘れてしまうことは、どんなに気をつけても、あなたにはこれからもたくさんあると思う。
その度にきっと誰かに助けてもらんだと思う。
だから周りの人を大切に、周りの人にいつも感謝しないといけないよ。」と伝えました。
 そしたら、「今まで、いろんな人に助けてもらったから、恩がいっぱいあるけど、もう会わない人もいるから返せないな」と娘が言ったので、
「そういう恩は、その人にじゃなくて、今度あなたの目の前に現れた困っている人に、あなたが無理せずできること得意なことをしてあげて返していきな。」と話しました。

* * *

結局、そんな話をしながら、一旦家に忘れ物を取りに戻りました。

一言付け加えておくと、正直最初、すっごく腹が立ちました。
わたしが一瞬パニックになって、台風前の蒸し暑さ(暑いとイライラが増すわたし)と、少し自分のせいでちょっと出かけるのが遅くなったのもあって、言わなくてもいいことをいくつか娘にぶつけてしまいました。

娘のマイペースも忘れ物も仕方がないとわかっているのに。
自分に余裕がなくなると、どんなに気をつけていても、
時々ひょっこりそんな悪い親がムクムクと起き上がってきてしまう。
それでも、わたしは娘のおかげで、娘がありのままでいてくれることで、いろんなことに気付けているだけのふつうのお母さんです。
今までもそんな後悔がたくさんあるのに、それでも、教わることばかり。
長女に対しては本当に反省することばかりです。

それでも、怒っているうちに、次第に笑えてきました。
冷静になって、親として伝えたいことを整理するための、そのための往復の時間だったのかもしれません。

「夏休みの宿題しようと思って出かけてきたのに、一式忘れてくるなんて、そんなことある!?」って言って、娘と一緒に笑い合いました。
わたしには想定も理解も全くできない事態だけど、自分のせっまい認識をぐいーっと広げてくれる娘にいつも感謝しかありません。

娘に「またこういうことが起こったらどうなると思う?」と聞いたら、
「今まで、何かあってもどうにかなってきて、どうにかならなかったことないから、どうなるんだろう」と言っていました。
そうかそうか・・・娘よ、いつもたくさんの人に助けてもらって生きているんだね。
周りの皆さま、これまで関わって下さった皆さん、本当にありがとうございます。

そんなありがたさに改めて気づいた夏休み最終日でした。

* * *

そして、9月1日の朝。
せっかく早起きしたのに、マイペースに動画をみて、漫画を見て、「あと1時間で学校だよ!」と声をかけるとようやく重い腰をあげて、宿題をサラサラサラと終わらせて、結局、一通り(課題プリントは一部で、結果「絵」は1枚、「自由研究」は1つでしたが)全て揃えて登校していきました。

もちろん、ここはこうした方がいいんじゃない!?と親として思うこともたくさんあったし、実際、最終日に終わらないだろうと思って、「今ここまで終わらせた方がいいんじゃない!?」と親としてアドバイスしたりもしたのですが、結局、自分の意志を貫いてやらず、焦るわけでも慌てるわけでもなく、自分が程々に満足する内容まで自分のペースで宿題を仕上げて、等身大で先生に「出来立てホヤホヤです」と言っちゃう我が子。
わたしにはそんな図太さ微塵もなかったから、尊敬してしまいます。

いかに、わたしが親として、余計な手出し口出しばかりしているか改めて振り返る2日間でした。そんな機会をもらえて有難い限りです。

そんなふうに、終わった我が家の夏休み。
名残惜しいけれど、また、来年も楽しみたいと、
今からわくわくしています♪

______________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

なぜ学校は変われないのか

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、
鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリを
やっています♪

 


年内か年度内に、
映画「夢みる小学校」の自主上映を
たからべ!でやりたいと考えています。

わたしは、子どもたちの学びのベースである学校を変えたい!とそう強く思っています。

昨日、曽於市教育委員会主催で、教育映画自主上映研修会と称して開催された、「夢みる小学校」の上映会。
曽於市末吉町で開催され、そのことを知ったわたしは家族を連れて行ってきました!
(3月にガーデンズシネマでわたしと小6娘だけ観てたけど、夫にも観て欲しかったから!よかった!)

曽於市市議のせとぐちえりさんから教えていただいたこの上映会。
なんと発案者は教育長とのこと!!!!素敵過ぎる!
2部上映の1部には市長も来られていたそうで!

冒頭、教育委員会の方からこんなお話しがありました。

全国20万人とも言われる不登校の児童数。
学校が子どもたちに合わなくなっているのではないか。
学校が子どもたちが行きたいと思うような
魅力的なもので無くなっているのではないか。
どうしていくのがいいのか考えていきたい。
その一助になればと開催しました。

自戒も込めて、そうおっしゃっていました。

このことを聞いて、
そうだよな・・・行政も変わりたいんだよな。
ってすごくすごく!そう思いました。

* * *

わたしは以前、公務員でした。
福岡のとある市役所に勤めていました。
公務員だったころ、すごく思っていたことがありました。

行政って、弱い人のためには働けないんだなって。
声が大きい人の声に動かされているんだなって。

国も県も市も、
行政がやることは基本的に税金から支出されます。
みんなのお金でやるってこと。
だから、失敗できないし、みんなが納得できる使い方をしなきゃいけない。
説明のつく使い方をする必要があるってこと。

だからどうしても、前例主義になります。
今まで特に意見が出てこなかったことだから。
行政側は安心して取り組めるんです。

何か直接的な問題があれば、
変えていくとは思うけど、
特段、目に見えるような大きな問題がなければ、行政側だって、なかなか変えていくには勇気がいります。

もし、変えてしまって、少しでも問題が起これば、
「なんで変えたのか!?」
「誰が変えたのか!?」
「誰が責任を取るのか!?」
と言われてしまうから、これを変えようと思うと、変えようとするための根拠がいるんですよね。

そんな感じなので、
何か市民の意見や声みたいなものがあると、変わっていきやすい。
というか、変わらざるを得なくなる。

* * *

声が大きい人っていうのは、
行政側に話をしに行けるような力のある人のこと。
例えば、政治家。
議員さんなんて市民・県民・国民に選ばれているのだからまさにって感じ。
あとは行政に話ができるような間柄の人だったり、
行政にかけ合えば何かできると行動力のある人だったり、
行政が何をやっているか調べて意見できる力がある人だったり。
何か癒着してるとかそういうことではなくて、
行政で働く人だって人だから、目の前で訴えている人に心は動くわけで。
だから、そういう力を持っている人は、そういう力を与えられたのだから、そういう場があるのだから、社会の全体を見渡して、ちゃんと弱い立場の声も聞き取って、発してあげないといけないとわたしは思います。

本当は誰だって、声を上げていいと思うだけれど。
でも、
今の日本人はそういうことを小さいとき押さえ込まれているから、とてもじゃ無いけど、、、ってやらない人、できない人がほとんどだと思う。

事実、行政がいくらパブリックコメントをって情報を出しても、意見が上がらないことがほとんどです。

形だけのパブリックコメントになりがちなのも、このせいだと思います。
わたしは、意見が上がらないことを利用しているんじゃないかと思う場面をいくつか見たことがあります。
そんなふうに行政主導で進められた事業をいくつか見てきました。
本当にいいの?って思いながら、何も意見が出なかったんだからと進められていくのを。


でも、だからって行政が完全な悪だとも思いません。
志をしっかり持ってやっている人も現場もたくさんあるからです。
それも見てきました。
市民側は知らされていないって思うけど、行政側も広報やHPや市民ラジオやら色々駆使してやるし。
それでも、それもお金がかかるから、大々的にはできなかったり。

そんなふうに良い理由、悪い理由色々あるけど、いろんな事情で、一人一人がしっかり調べなきゃ、たくさんの人が知らないことや制度が本当にたくさんあり過ぎるのが行政の現状で、声が上がらなければ、一部の人の考えで、一部の声でいろんなことが決まってしまいます。
そんなふうに行政の仕事は進んでいるなというのがわたしが見てきたことなのです。

住民説明会なんてやっても、ほとんどの人はやってこないのです。
自己責任ってそれぞれに押し付けれることばかりで、みんな自分以外のことには関心がほとんど無いからじゃないかな。
それはわたしもそうなのだけど。

ほとんどの人は今の現状に大きな不満は無いのだと思います。
いや、ないわけでもないと思うんだけど、もうめんどくさいって思ってるんだと思う。
じんわりじんわり居心地が悪くなってきているのに、まー自分は大して困っていないと思っている。
だから、まぁいいやって黙っている。

そして、本当に困っている弱い人は、声を上げられない。。
生活に精一杯とか、目の前のことで精一杯とかで、そんな余裕は全く無かったり、声を上げればいいってことも知らないのだと思います。
どう声を上げればいいかもわからないのだと。
そうやって、ただただ我慢するしかない毎日を送っているんじゃないかと。
もしかしたら、
我慢しているって意識もないままに過ごしているのかもしれないと。

* * *

そんなふうに、この世の中は、
少しの 声が大きい人 と
たくさんの 黙っている人 と
これまた少しの 声を上げられない声の小さい人で
成り立っています。

声を上げられない人って、
生活が苦しい人もそうだし、
子どもや動物や植物なんかの環境だってそう。
わたしたちは、そういう直接声を上げないものをたくさん犠牲にしているってことだと思います。

* * *

小6娘が不登校になったころ。
学校のやり方と、娘の特徴というか特性というか、娘の個性が合わないんだなって思ったとき、
学校がもっと自由だったら行けるのに・・・
ってすごく思っていた時期があります。

学校が変わってくれたら。
先生が変わってくれたら。
って。

でも、今は行政も学校も先生も苦しい。
一番苦しいのは子どもたちです。
みんな変わりたいんだよね。
じゃ、なんで学校は変わらないのか。変われないのか。

わたしは、みんなの、世間の声だと思います。
特に大人の1人1人の意識や考え方なんだと思っています。
世間が、わたしたち一人ひとりの意識が変われば、
きっと学校も、社会も、誰もが生きやすく楽しいモノに大きく変わっていく!
そう思っています。

黙っていたらいけないんです。
どんなに小さな小さな不満でも、声を上げていかなきゃいけない。
自分で声を上げられなければ、隣の人に話して、聞いた人は議員さんに繋いであげるとか、そんなふうに小さな小さな声を上げていかないといけない。

学校でも、どうしても、正論と思い込まされている言葉にみんな飲み込まれてしまいます。
「隣のクラスは、こんなに授業が進んでいるんだから、平等に学ばせてくれ」
「子どもたちに学習習慣をつけるために、宿題をもっと出してくれ」
「危ないからやらせないでくれ」
確かにもっともらしいけれど、それはわたしたちがそれがいいのだと小さい頃から言われ続けながら育ってきたからそう思っているだけで、
「人は皆違うんだから、クラスごとで違って当然」とか
「宿題は少なくして、遊ぶ時間を確保したい」とか
「多少怪我しても、経験させたい」とか
理由が正しくないと思われるような意見も大事だと思うのです。
心の中でそう思っている人はたくさんいるんです。
だけど、声を上げない人はたくさんいるんじゃないかとわたしは思っています。
うまく言えないけど、そう感じている人はたくさんいるんだと。

でも、それが当たり前だと、結局、声を上げる人の意見に、先生も学校も流されてしまうのです。

どんなに正論(と思われていること)と逆行しても、先生が言うことと逆行しても、小さな小さな意見を声を上げていくことから、そんな声に耳を傾けることから、変わっていくのだと思います。
どんな意見も、いろんな人がやってくる学校には大切な意見だからです。
この社会もそう。
学校でいいと評価される人ばかりでなく、どんな人も大切にされないといけないんです。

大人が思う学校は、過去にわたしたちが通ってきた今までの学校です。
我慢して、先生の言うこと聞いて、やりたくない宿題をして、今頑張らなきゃ未来が開けないって思わされてきた学校。
それが当たり前だからって思っていて、変えた方がいいってことすら大半の人は思っていません。
そう思わないように、わたしたちは育てれられてきたんです。

* * *

映画「夢みる小学校」は、大人も子どもも行きたいと思うようなそんな夢みたいな学校が本当にあるんだと言うことを教えてくれます。
そして、それでいいと、それがいいと思えます!
どこか遠くの私立の学校だけにできることじゃない。
わたしたちの近くの学校もそうなれるって教えてくれるんです。

だから、わたしはたくさんの人に見てほしいのです。

* * *

市議せとぐちえりさんの娘さんが映画を見て「うらやましい〜!」と言っていたと投稿されていました。
娘さんとはわたしも面識があって、普段関わらせてもらっています。

そうなんです!
知ったら、みんなそっちがいいって思うはずなんです!


うちの小6不登校娘は本当に、そんな生活をしています。
わたしの目の前で!
そして、そんな子どもたちをわたしはたくさん知っています。

でも一方で、わたしの目の前で、
「学校に行きたくない」「宿題やりたくない」「わからない」「わたしにはできない」と言う子どもたちもたくさんいます。
そんな学校があると言うことさえ、わたしたち大人も、子どもも知らないのです。
わたしだって、「学校のような世界が全てだ」と半ば思って、30代前半まで生きてきました。
なんでかわからない、生きにくさ、苦しさを抱えながら。

映画の中で、
「夢みる小学校」の学園長である堀 真一郎さんが
「わたし、この学校にいると、わたしでいられるの」
と言う子どものことを話しながら、
「自分が自分でいられない と言うことは一番辛いことかもしれない」
とおっしゃっていました。
わたしは「自分が自分でいられない」まま、30代前半まで生きてきたんだな。
だから苦しかったんだってそう思いました。

そんな思いを、子どもたちにはして欲しくない。
遠回りせずに、その子その子がその子らしく生きていけば、きっと素晴らしい能力がこの世界に満ちてくるのだと思います。
そうすれば、きっと自ずと社会も素晴らしいものになるとわたしは信じています。

「それぞれの子どもがそれぞれの子どもらしく」
 いられる学校に是非とも変わっていってほしい!
 そして、それを望む世の中になったら!
 それを望む大人が、そんな声を上げられる大人が増えたらなと思っています。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

終戦の日に思うこと(長文です!)

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

* * *

今日は、2022年8月15日。
77
年前の今日、戦争が終わった。

 

でも、日本の戦後はまだ終わってない。

わたしはそう思う。

 

   

 

今、わたしは学習支援のお手伝いをしている。

夫のミニ四駆コースを手伝っている。

そして、さんすう教室を始めることにした。

 

そんなこんなで、移住したこちらでも、

子どもたちに接する機会がチラホラ増えてきた。

 

そうして、接していて思うのは、

子どもたちがみんな我慢してるし、

頑張ってて、疲れてるなってこと。

 

やりたいことを「やりたい!」って言えずに、

やりたくないことを「嫌だ!」って言えずに、
「わかんない」って言ってみたり、

冗談みたいに笑いながら

「今日ぼく自殺します」って言ってみたり

自虐ネタみたいに

「どうせ、わたしにはムリなんです」なんて言ったりして、

誤魔化している。

 

顔は笑っているけれど、

そんな子どもたちを目の前に

それを聞いてあげるだけで、何もできない自分がいる。

 

   

 

最近、とても尊敬できるお母さんに出会った。

 

お子さんのことをよく観察して、

よく理解して、否定せずに認めて、

いつでもお子さんの味方になって、

しっかり成長を一緒に踏んでこられたような素敵なお母さん。

子どものことを純粋に思っている気持ちが伝わってきた。

 

わたしもそうなりたいと思いながら、

できていないことだらけだから、

お話し伺いながら、お腹がぎゅーっとなったけど、

でも、こんなお母さんに出会えて心強いなと思った。

 

 

でも、そんなお母さんからこんな言葉が飛び出した。

 

「将来やりたいことができるように、勉強する子がたくさんいる学校を受験させたい」と。

 

   

 

その話を聞いて、

すーーっかり忘れていた記憶がふっと蘇った。

 

そういえば、わたし、中2のとき、

「佐土原高校のデザイン科に行きたい」って

そう思って調べ倒したんだったって。

 

佐土原高校に行きたいって、

わたしは親に伝えたことがあったかな。

結局、

実家がある都城からは遠かったし。

お金かかるかなと思って。

わたしにはそこまでの力は無いかなと思って。

親に遠慮して、わたしが勝手に諦めたんじゃなかったっけ。

その後、中3になって高校を選ぶとき、
(このときのことはよく覚えている)

調理師になりたくて、都城農業高校を希望をした。

父母は大反対で、わたしの話聞いてくれなかった。

「調理師の勉強は大人になってからもできる」って伯母に説得されて、

結局、高専(建築)に進み、そのまま20年以上その道で生きてきた。

 

       

 

最近、

デザインというまではないけれど、

そんなお仕事に少し携わらせてもらっている。

わたしのインスタを見て、声をかけてくださった。

わたしにイベントの案内図つくって!と頼んでくれた友達もいる。

Jya-Jyaジャジャのロゴを作ったり、自分で写真を撮ってチラシを作ったりもしている。

よく考えたら、ずっと苦しみながら建築やってるときも、

図面を仕上げるのは好きだった。

 

直接そういうデザインを学んだわけではない。

でも、学んでなくても得意だし、好きだ。

その道でずっとやってきた人には、もちろん到底叶わないけれど。

 

そんなことを今やってると、

20年以上前のわたしの選んだ道は

間違って無かったんじゃないかとふと思う。

 

そのときはまだ子どもで、

経験が無くって、確信が無かった。

親や周りの大人、先生が言う通りにした方がいいのかなって。

押し切って、うまくいかなかったらどうなるんだろうって。

そう思って、20年以上も遠回りしてきた。

あのとき、あの道に進みたいと素直に言えていたら、

やりたいことをそのままやっていたら、

やりたくないことをやらなかったら、

わたしの今はどうだったのだろうかとそう思う。

 

   

 

「欲しがりません、勝つまでは」

 

 戦時中、繰り返された言葉。

 

当時は、

食べるものや暖をとることさえ、我慢させられていた。

限られた情報の中で、

おかしいと思ったことにも「おかしい」と言えず、

やりたくないのに「やりたくない」と言えず。

命さえ、国のために差し出さなければいけなかった。

みんなそうしているんだからと。

 

たくさんの死ぬしかなかった命が

終戦記念日前になると浮かび上がるけれど、

 

それでも、最後の最後の最後のところで、

自分の気持ちに嘘をつかず、

我慢せずに、諦めずに、

自分のために、家族のために、

歯を食いしばって、生き延びた人がいる。

そのおかげで、今に命が繋がっている。

       

 

戦争が終わって、

77年も経った今。

 

みんながしているからと我慢して

(もう我慢しているって気持ちすら麻痺しているかも)

宿題したりマスクをしたりしている子どもたち。

 

今、我慢して努力(勉強)しなきゃ、

未来は開けないって思い込まされてきた大人たち。

 

わたしだってそんな大人のひとり。

「そうじゃない!違う!」って

「それじゃ幸せになれない」って

嫌ってほどわかっているのに、

尊敬できる方がそういうなら、、、と

「将来やりたいことができるように勉強する子がいる学校を受験させたい」って言葉に

少しグラっと軸を乱された。

 

子どものことを思う純粋な気持ちから出るそんな言葉を思い返して、

「未来」そのものである子どもたちの今の姿に悔しさが込み上げる。

 

戦争が終わったあと、上は変わっても、

「欲しがりません、勝つまでは」の精神を利用されて、

わたしたちは、根強く教育されてきたんだなぁって。

 

そして、そんな大人が今の社会を作ってきたんだなぁって。

 

   

 

「わたしたちは、

 いつまで、欲しがったらいけないんだろうか」

 

モノだけは嫌ってほどばら撒かれて、

食べるものや着るものは溢れている今。

戦時中のような「生きる」に直結するような

我慢は無いかもしれない。

 

だけど!

「生きる」ために持っておきたい輝きみたいなものを

我慢することを強いられている今。
子どもらしく過ごすことや、自分らしくいること、
そして、やりたいことを今やることを制限される今。
しかも、「子どものために」っていう

あたかも聞こえの良い言葉で押し付けられている。

 

今や、日本の自殺者は年間2万人超。

10代~30代の死亡原因の第1位が自殺で、

自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は

主要先進7カ国の中で最も高くなっていると言われている。


子どもたちが今、やっているやりたいことの先に、

子どもたちの未来がある!

 

楽しくない""の先に、楽しい未来なんて無い!

 

人生、楽しんでなんぼ!

 

わたしは、強くそう思う!

 

未来をつくる子どもたちが、

人生を楽しめる世の中にシフトしていきたい。

 

「やりたい/やりたくない」ことを

素直に「やりたい/やりたくない」と言える世の中に。

「やりたい」ことを""やれる世の中に。

 

変わっていきたい。

変わっていこうよ。

わたしたちの世代で。

 

______________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

少しずつ変わっていく

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

 

小6長女の歯並び問題。

詳しく知りたい方は下記blog↓参照で!

blog.himitsukichijyajya.com

 

 

* * *

 

さて、都城でいい歯医者さんに出会いました!
わたしの方針と合う歯医者さんが、果たしてこの近辺にいるかなと思っていたのですが、ちゃんと辿り着けたー。
まぁやってみないとわからない部分もたくさんあるけれど、信頼できそうな先生です。
本当によかった。

 

* * *

 

福岡に住んでいた頃、新しい交友関係の中で、とっても良い歯医者さんを紹介していただいて、1度お話を聞きに伺いました。

「治療」とは、「原因を取り除く」ことが大前提と教えていただきました。
虫歯にしても、歯並びにしても、根本的な問題があって、それが繋がって繋がって、虫歯になったり、歯並びが悪くなったりしている。
いくら虫歯だけを削っても、歯を抜いて強制的に歯並びを整えても、根本的な原因が解決されなかったら、いずれ他の問題でまた出てくるだけ。ってお話です。

まさに、その通りなんだけど、そんなことを教えてくれるお医者さんってなかなかいないと思います。
それは、お医者さん自身がそのことを知らないのかもしれないし、教えたくないのかもしれないけれど。

 

* * *

 

今回新しく出会った歯医者さんは、娘の話、わたしの話、よくよく聞いてくださって。
そして、よくよく説明してくださいました。

4歳のときの扁桃腺摘出手術も、
小さいときなかなか治らなかったおねしょも、
歯並びも、、、
もしかしたら、全部同じ原因なのかもしれない・・・。

扁桃腺の摘出をするとき、
「娘さんは扁桃腺がこんな感じでおっきいです」
「今、手術した方が、大人になってからするより楽ですよ」
「麻酔の危険性は・・・」
こんな説明はたくさんしてもらったけれど、
「なんで扁桃腺があるのか、なんで娘が扁桃腺が大っきいのか」
その辺の説明は無かったし、わたしもそれを聞きもしませんでした。
というより、そんな質問が思いつかなかった・・・

「病院の先生がそういうんだから、そうしようかな」
安易に決めたつもりじゃないけど、、、
結局そんなふうに手術を決めてしまいました。

娘にとっては必要なモノだから、持ち合わせて生まれてきたかもしれないし、必要なサインだったのに・・・

でもね。向き合ってこなかったわけではない。
調べなかったわけでもない。
手術だって、我が家にとっては一大事だったし。
生まれてすぐに指摘された「難聴」の定期検査で勧められた手術だったので。

でも、やっぱり、勉強の仕方は良く無かったんでしょう。
WEBやメディアなどの世の中の大体の情報はやっぱり偏っていると思います。
そちらの情報も得つつ、もっと違う見方の情報も得つつ考えないと、本当に大切なことは見えてこない。
「知ること」って本当に大切。
そして、「知るためのつながり」が本当に大切。
でも、大体同じような情報源の人と繋がっているんですよね。
人って。だからなかなか出会えない。

そんなことって往々にあるのだと思います。
だって、わたし、35歳を過ぎて、新しい交友関係で、知ったこと、知った世界がかなりある。
知っている人は知っているのに、知らない人は永遠に知らない。
わたしの父母に限っては、60歳超えても知らないだけじゃなくって、「こんなのあるよ!」って伝えても、なかなか受け入れられない。
どんなに有益なことでも、変化を嫌うのです。人って。
その辺をもっと多くの人に少しずつ伝えていけたらなって。
いろいろ知った上で、選んでいるなら、それはその人にとっての幸せですもんね。
でも、違う選択肢を知らないで、選ばざるを得ない場面がたくさんあるのを嫌っていうほどこの数年で感じてるんです。

って、かなり脱線してる・・・
話を戻します・・・

 

* * *

 

今回そんな教訓を得て親として少し成長した?わたしは、歯並びが悪い根本的な原因に、素人ながらいろいろ勉強したり、情報を集めて、わたしなりにこんな治療がしたいなというイメージを持って、病院を探しました。

病院選びって大事。
でも、どうやって選んだらいいかって難しい。
信頼できそうな方に聞いて探そうかとも思ったけれど、以前そうしてみて教えてもらった病院が他に比べたらもちろん良さげではあったけど、ま、「良い」と思う基準も人それぞれだから。やっぱり、そういう情報も得つつ、自分で見て、考えて探さなきゃと。

思っていた治療をしてそうな病院は、鹿児島市内にしか無さそうで、仕方ない出かけていくか!と腹を決めていたわけなんだけど、そこの歯医者さんがなんと春に診療をやめていて・・・

仕方ないので、「近くの現実的に通える歯医者さんで少しでも良いところを!」と思って、WEB上で探していたら、なんとなく方針(原因を取り除く)の合うんじゃないか!?って歯医者さんを見つけたので、まぁ行ってみようと半信半疑で今回行ってみたわけです。

そしたら!
思っていた治療を前面には宣伝していないけど(いろいろあるそう)、その治療やってますって言われて、、、。わたしスゴ!引きが強い!
でも、出会いたい!って思って動けば、着実にその方向に進むんだなと思います。
この治療を開始するのにはギリギリの遅めって言われたけれども、まぁ今からできることをやるしかないので!

面白い変わった先生?だけれども、本当にわたしたちの丁寧に話を聞いて、説明をしてくださいました。

 

* * *

 

実は妹が歯科衛生士でして、娘の歯並びが悪いことに気づいたのはもう数年前で、チラチラっと相談をしていました。
それで、一度福岡でも矯正歯科に連れて行って相談して、そのときの結論は、「歯が全て生え揃ってから、矯正治療をやろう」ってことでした。
歯が出揃っていないのに、部分的に固定をしても、結局やり直さないといけないから、時間もお金ももったいないって話。
全ての歯の状態が把握できるようになってから、固定して揃えた方が効率的ってことです。
わたしもそれはそうだなと思って、矯正治療を保留にしていたのだけど・・・。


(裏話)
それでも、今は小学2、3年の早期からそういった形の矯正治療をする人が多いのだそうです。
みんな心配だし、不安なのですよね。わからないから。
矯正歯科の立場で言うと、それってかなりウレシイらしいです。
まだ今後歯がどうやって生えるか不確定だから、効果は約束できませんけど、、、って言って、年齢が上がってからの治療を勧めても、それでもって治療を受けてくれるお客様ってことで。
長く通ってもらうことができるんですから。


でも、よくよくよくよくよーく考えると、
結局、そういう一般的な矯正治療って、始める時期云々ではなくて、根本的なことには全然踏み込んでいないですよね。。。

例えば、熱がある、苦しそう←解熱剤処方 と同じで。

歯並びが悪い
←歯を良さげな位置に固定しよう!
←お、歯に対して上顎が小さい
←ハマりきらないので歯を抜きましょう
みたいな感じの治療ってわけです。

解熱剤って効き目が切れたら、またすぐ熱が上がります。
だって、熱は、原因であるウイルスと戦うために出ているんだから、ウイルスがいなくなるまでは熱が出ますよね。

だからって、ウイルスが根本原因でも無いとわたしは思います。
どんなに対策しても、ウイルスはやってきますよ。
ウイルスだって生きてるんだから。そんな簡単には無くならない。
となると、本質的な根本は「体の免疫」であって。
めっちゃ地味ですけど。
でも、それをしないと結局困るのは誰かって話で。

解熱剤だけでなく、抗生剤を併用して一時凌ぎでウイルスをやっつけても、それも根本的な解決にはなってないですよね。
(でも、その薬が実際何のために飲むのか、しっかり考えて飲んでいるのかな。
少なくても数年前のわたしは、処方されたから飲むって感じだったなぁ。)

 

だから今は極力、熱を出し切って、ウイルスと戦うようにしています。
状況によっては、もちろん薬に頼ることもあるけれど、理解した上で、選べるようになりました。

(って、話がアチコチしてる。。うーすみません。)

 

* * *

 

妹のことは信頼してるのでフォローしますが、専門的な資格を持っていても、恐らく、根本的なことには踏み込んでは学ばないのだろうと思います。
(建築士としてのわたしもそうだったし。)
あまりにも多角的になると思うし、医者ではないから、治療方針はお医者さんが決めるし。
そこを本質的に追い求めて、医者なり、衛生士なりが学べば、話は違うのでしょうが。少なくても、学校では率先して教えるわけでは無いのだと思います。

結局、お客さんが来てくれないと元も子もないわけで。
目に見えて結果が出やすい治療を進めるのは想像がつく。
まぁ、社会一般がそういうことを・・・表面的な解決を求めているってこと。

そうなると、今、主流の矯正治療自体が、間違ってるって話では無いのだと思います。
言っても、世の中のニーズには応えているわけで。
でも、本当の本当に、より良くしようと思うと、お金にもならないし、地味で時間もかかるし、、、みたいな世界がどうしてもあるってことです。

 

* * *

 

で話を大元に戻すと、娘の歯並びについては、
歯並びが悪い
←上顎が小さい
←上顎を大きくしましょう
←どうして上顎が小さいのか
←娘の体の特徴やクセなど
←そこを改善しましょう
って治療をすることになりました。
この治療は、7.8歳頃のスタートがベストみたい。
体が出来上がらないうちの方がいい治療ってこと。

とってつけたような治療ではなくって、骨格やカラダ全体を改善しましょうって話。
そのための良い治療法があって、わたしもその治療を受けたいと思っていたのでした。

病院任せでは、治療はきっとうまくいかないし、わたしや娘の地味な努力も必要なのですが、でも娘も「きれいにしたい」と目的がはっきりしているのでできると思う!
何より、方針の合う専門的な先生が着いている!

コツコツやって、
少しずつ、より良く変わっていくんだと思う。
数年前から今のわたしたちもそうやって変わってきた。

娘の人生はまだまだこれから。
今、そこの根本がしっかり治せたら、きっと娘の進む道も明るいと思うからこの道を選んでみます。

だって、根本的なことが解決されなければ、また他の病気になるかもしれないわけで。
矯正の治療で、これから先の健康的な体まで作れるなら、願ってもない!
結果的にお得ですよね。何より、子どもにとってはこんなに有益なことは無いです。

先生は2年での治療完了を目指しましょうって言ってくれた。
わたしが11年以上でやり残したことを、たった2年で取り戻してくれるなら、しっかり親としてもそこに向き合ってやらなきゃと思うのです。

* * *

 

うぉ!軽く書くつもりがついつい長くなりました。
サクッと書きたい!っていつも思っているのにー!!!

今日はこのへんで。

 

______________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

「自由研究」って

こんにちは

大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で

ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

 

 

さて、早くも8月ですね。

夏休みも中盤!

 

我が家の11歳長女は、不登校児(※注記)でして、

夏休みも通常もほぼ変わらない日常の延長の毎日なのですが、

変わることといえば・・・・

なぜか、長女が夏休みの宿題に燃えること

 

普段は宿題やってません。まぁ、不登校児ですから。

(この子の特徴と宿題については過去のブログに書いていますので、

 よかったら読んでみてください↓

 長女の頭の中 - ひみつ基地Jya-Jyaのものがたり )

 

* * *

 

中でも、いつも張り切ってやっているのは「自由研究」

去年は、選ばれて自由研究展に出展しました。

本人の力でできないところは、

もちろん親としてフォローしますが、

基本的には「何をやるか」から「どうまとめるか」まで、

毎回、本人主導でやっています。

 

んでもって!

いつもやってて楽しそう!

ってのが親としての「自由研究」の感想。

 

去年も、出展されるなんて夢にも思っていませんでしたが、

(だって、学校に行っていないのですから・・・)

その「楽しさ」があふれていたからか、

出展作品に選んでくださいました。

 

今年は、2個やろっかな。

なんて、言っています。

さてさて、どんなことをやるんでしょうか。

 

* * *

 

7月初旬、通っている小学校の保護者懇談会で、

担任の先生から夏休みの宿題についてお話があり、

「プリントはいいんですが、自由研究って、

 何をしたらいいかわからないから指定してくれた方が・・・」

と保護者さんから話題に上がりました。

 

そんなこともあったからでしょうか・・・。

居間に放置された宿題をチラッと覗いたところ、、、

自由研究の資料が大量に!

「何をするか」というヒントがたくさん。

それから、

「どうやって進めていくか」「どうやってまとめるか」まで・・・

これが「正解!」と言わんばっかりの充実した内容。

 

なかなか素晴らしい内容だけれども・・・

でも「自由」なんてちっとも無いのネ・・・・。

 

* * *

 

夏休みの宿題って、

生き方に通じているかもって、ぼんやり思っています。

 

世の中の小学生たちは、

「自由」研究なのに、

「どんなことをやるか」も「どんなことを発見するか」も

自分で「自由」には選べていないのかもと。

 

固定化された「正解」を求められているのだなぁと。

 

プリントに並んだ漢字の書き取りや計算問題は正解が明確です。

覚えれば、間違いなく正解だし、

パターンを習得してしまえば、簡単に終えることができる。

 

でも、仕事に置き換えて考えると、

パターン通り、マニュアル通りにできる仕事は限られています。

人によって、環境によって、さまざまなことは起こるし、

臨機応変に対応できる力の方が、社会では確実に重宝されます。

 

まして、既に終身雇用も約束されない社会です。

 

子どもたちが生きるこれからの未来、

子どもたちがどう生きるかは「自由」そのものです。

どんなことでもできるし、どんな働き方もできる。

 

「自由」研究は、

「自由」に生きるための第一歩なのかもしれません。

 

* * *

 

さて、そんな「自由研究」!

どんなふうに取り組めば、毎年、子ども主導でできるのでしょうか。

一朝一夕にできるようになるとは断言できませんが、

毎年、子どもに任せておいても、

確実に子ども主導でやっているウチのやり方を

↓↓↓こちらのイベント↓↓↓でわたしがお話しします♪

 

 

「自由研究」の今回の題材は、

我らが40歳少年がやっているミニ四駆!

奥が深いなぁと思っていて、

ミニ四駆の先には、

エンジニアも、デザイナーも、研究者も、整備士も、レーサーも

いろんな道がわたしには見えます♪

ぜひ、楽しんでくれる子どもたちが増えたら!

という40歳少年の思いもあり、

今回コラボで企画させてもらいました!

 

「ミニ四駆」

ただのおもちゃって高を括ってももちろん構いませんが、

子どものキラキラ輝く姿を信じて、

その中の道を極めていくのもひとつの道!

 

子どもがどんな人生を選ぶか、

その一端を親は確実に握っています。

そのことをよくよく自覚して、どんな選択をするか、

親としてしっかり考えていきたいなとわたしは思います。

 

* * *

注記:

ウチの娘、文部科学省の定義する不登校児童に

正式には該当していません。

※文部科学省「不登校児童生徒」とは

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/futoukou/03070701/002.pdf

 

まぁ、でも世間一般の子どもたちとは、

全く違う日常であることは間違いありません。

ですので、わかりやすく、称させていただいています。

その辺の日常はまた改めて記事にしますね!

 

キニナルことはなんでもお答えしますので、

コメント欄でも公式LINEにでも、

インスタDMでもメッセージくださいませ。

プライバシーに関わる内容の場合は、

個別メッセージで質問くださると助かります!

 

* * *

 

\かつて子どもだった大人たちへ/

2021年春、

鹿児島県曽於市『財部町』に

みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

 

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、

来てくれる 大人 も 子ども も

「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。

そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

 

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が

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はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、

さんすう教室コポリをスタートすることにしました。

そのときの思いはこちらです↓

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