元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

2023年5月の語らう会レポート


こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

先週末5月27日(土)に、
さんすう教室コポリで、第3回目の語らう会を開催しました。

語らう会って?↓

blog.himitsukichijyajya.com

さて、2023年5月の『語らう会』のテーマは、
【何を目指して、子どもたちを育てていますか?《子育て/保育/教育》】

わたし個人のことになりますが、、、
わたしは親として、数年前まで「何かに向かって」子育てしようとは思っていませんでした。
「子どもは勝手に育つ」と思っていたし(まぁ、そういえばそうなのですが)、「子どもの未来」を親が決めてしまうようで嫌だった部分もあると思います。

でも、何より、そんなことを考えようと思ったことが無かったのです。

「妊娠した」「出産する」と初めてづくしの経験の中で、目の前のことで精一杯で、子どもたちにどんなふうになってほしいかなんて考える機会がありませんでした。

みなさんはいかがでしょうか。

* * *

今回、参加してくださったのは、
・現役の小学校の先生(しかも新任の方おふたり!)
・保育士さん
・長年学習塾をされている方
と見事にいろんな立場の方が集まってくださって!とても気づきの多いお話をすることができました。

また、
・子育てを終えた親の視点
・絶賛子育て中の親の視点
・子育てしていないからこその子ども側の視点
という多角的なお話になりました。
参加してくださったみなさん、本当に貴重なご意見をありがとうございましたっ!

* * *

まず、率直に
「あなたは、あなたの立場で、何を目指して、子どもたちを育てていますか?」
と問わせてもらいました。

立場によっていろんな意見が出ました。


■保育士さんの場合


日々
保育の中では、子どもたちが家庭と同じような安心した状態で過ごせるようにと考えていた。
(保育園でいい子にしている子もいるが、保護者さんから聞くような家庭での素顔が保育園で見られると「よっしゃ!」と思っていた。)

だけど、保育士の中でも「貸して」「いいよ」「ごめんね」「いいよ」というような表面的なやりとりを子どもたちに強要する人はまだまだ多い。


■新任の先生の場合


先々も見据えつつとは思うが、今は目の前のことで精一杯かもしれない。

年配の先生は、次の学年に渡すために、今ここをしっかりさせておかないと考えて、今しっかりさせないと思っている先生が多いと思う。

今、目の前の一人ひとりとしっかり向き合う時間がほしい。

 


■子育てを終えたお母さんの場合(子どもが就職/大学進学をしてひとまず子育てを終えた方)


社会に出るとき(18才/大学卒業時)に
 "じりつ”していることを目指していた。

※そもそも"じりつ”ってどんな状態?自立なのか、自律なのか。
深く掘り下げられなかったのが残念でした・・・
時間がなかったこともですが、わたしの力量不足。
次回、またお話しできたらいいなと思います。


■現役子育て中のお母さんの場合


特にこれといったものを目指したいとは思っていない。
(子どもをこうしなければ、ここを目指さなければというものを設定したくない。)

も、将来も「人を好きになってほしい」と思って育てている。


語らう会という場に集まってくださる方なので、教育や子どもたちのことに関心が高い方のご意見だと思いました。
そして、

■子どもの立場から考えると・・・


「あいさつがしっかりできるようになってほしい」とか「嘘をつくような人になってほしくない」「将来の目標をしっかり持ってほしい」「簡単にあきらめない我慢強い子になってほしい」みたいな、子どもを理想の姿にしたいと思うような目標は立てないでほしい!

という意見も上がりました。

それぞれの意見でも上がったとおり、親と言っても、保育士と言っても、先生と言っても、それぞれ考え方が違うわけで、この場に来られた方の意見だけが全てでは無いと思います。
それでも、この場に集まった人の意見だけでも、その目指す時期も、目指している地点も、それぞれの立場によって、価値観や考え方によって、大きく違うことがよく見えたんじゃ無いかと思います。

* * *

その上で、
初めてのお子さんの入学の際に「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」という学校からのお便りがあったというお母さんのケースを事例についてどう考えるかということをお話ししました。

わたしは、文字については「小学校に入学するときに自分の名前が読めればいい」と思っています。もちろん本人の興味にはよるけれど、親があえて先取りする必要はないと。

今、この社会では、大人が基本的には文字を使用して生活していますから(そうでないケースも一切ないわけでは無いのですが、ここでは一旦置いて考えています。)、子どもたちは、興味が湧けば、必要性が出れば、急がずともその子のタイミングで、いずれ必ず習得すると考えています。
(むしろ、先々の子どもたちを考えると、この時期に文字を覚えることに躍起になるより、その前段階の学びの土台になるような体感を伴うあそびや生活の中での実体験をゆっくりじっくりたくさんする方が絶対に必要!たくさん工夫して、遊ぶことが大切!と思っています。)

参加された保育士さんも、ひらがなの習得は幼児期にさせなければいけないものではないと考えているというお話しで、遊びや生活が大切というお考えでした。

一方で、学習塾の先生から「現実的に、小学校に入ったら、ひらがなの読み書きを完了するまでの期間が短いことから、みんなができていることができないという劣等感が自己肯定感を下げるので、子どもの興味を刺激して幼児期に習得させておいた方がいい」という意見も出ました。
ただし、それはワークブックを開いてにひらがなを覚えるというようなスタイルではなく、子どもが文字に興味を持ったときに、その興味から自然な形で広げていくと、ものすごい勢いでひらがな学んでいくのだからということでした。

繰り返しますが、わたしの考えとしては、早期にひらがなを習得させなければいけないとは全く思いません。小学校で学ぶということでいいと思います。(それでも、子どもの環境や親の考え方によって、この最初の段階で子ども自身の心が折れてしまうケースもあるのだろうなぁと感じました。)
でも、この「子どもの興味に沿って」ということは同感です。
保育士さんからも話がありましたが、やはりおてがみのやりとりをしたい女の子の方が、教えなくても文字の習得は早いわけで、今の社会の中では、ほとんどの場合、興味さえ湧けば、自然と習得して行くものだと感じます。
なので、子ども一人ひとりの興味や関心によって、あそびや生活の中で、当たり前に文字や数量を体感する機会があることが大切だと思います。

2018年度に、幼児教育に関する法令が変わり、保育園/幼稚園/子ども園に関わらず、その中で「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」が示されました。
この中で、文字や数量に関することも謳われていますが、あくまで方向性であって、卒園時/小学校入学時の「ひらがなの習得」や「数が数えられる」という到達点を設定しているわけではありません。
今回の語らう会で出たような、文字や数量への興味が沸くような関わりが、保育園/幼稚園/子ども園の期間には必要だということが示されています。

www.nhk.or.jp


こういったことをみなさんとお話ししていて、このケースでの学校側からの「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」という言葉は、もしかしたら「生活の中で文字や数量を取り入れてみてくださいね」という意図かもしれないと感じました。
わたしもこのケースを聞いたときにそう受け取っていたように、多くの親御さんは、そういったことを学校から言われたときに学校の意図をしっかりと確認せずに、「ちゃんと文字や数字を書けるようにしなければ」「幼少期からひらがなを書かせるということが必要なんだ」というふうに受け取るケースは多いのではないかと思いました。

そう考えると、学校側からの言葉「ひらがなの読み書きができるように」「数字が分かるように」をそのまま鵜呑みにして、もしくは 学校側の意図を誤解して、今までのその子やその子の性格興味、その子が今どんな状況か、なども全く無視して、子どもに「ひらがな」や「数量」を単に大人の都合で、タイミングで、大人が思うように習得させようと親が焦るのは得策ではなく、そこは先生と親とがしっかりとこまめに対話をし、協力をして、子どもにしっかりと時間をかけて対応していく必要があると思うのです。
(そんな時間が学校の先生にあるか、親にあるか、というのが、今の社会の難しいところ。みんな生きるので精一杯なのよね、という話にもなりました。それはそうなのですが、、、でも、その皺寄せは全部子どもたちがかぶっているのが現実なんですよね。)

子どもの本質的な学びにおいては「これをやったから、◯◯がすぐできる」というようなことは、ほとんどの場合ありません。
何か飛び抜けた特性がある子もいますが、誰にでも通用するわけではないし、もし「すぐできた」としても、その前段階のあそびや日常生活の中で十分な積み重ねがあって、学びの土台ができていたということです。

子どもたちがひらがなを学んでいくとき、ほとんどの場合は、本人の興味などの主体的な動機があって、読みと文字の繋がりに気付くタイミングや書き順などは気にせずに模倣するなどその子それぞれの一つ一つの段階を経て、知識として「知る」「わかる」というステップがあるからです。

「大人の都合で、大人の思うように」を求めて、仮にそれがなんらかの目に見える形になったとしても、それは本当の意味でその子自身のモノには全くなっておらず、単に周りの大人の満足だけで終わってしまう可能性が高いと思います。

「もし、そういった親と先生間の認識のズレがもしあるのだとしたら、そこを解消できるようにしてほしい」という声ももちろん上がりました。
親も先生も、お互い、子どもたちのことを思うのであれば、当然必要なことです。

ただ、学校の先生方には本当に時間的な余裕が無いという現実。

新任の先生お2人。今まさに真っ新な目で見ているリアルな教育現場の話を話してくださいました。


・一人ひとりと向き合いたくても、一度に相手するのは30人以上の子どもたち。
 1人と向き合う間に残りの子どもたちはどうするか。
・また、鹿児島県では県版テストという県下で一斉に行われるテストが独自で行われていて、学期ごとにテストが行われ、クラス単位での成績が出てその結果に敏感な保護者もいる。そこに合わせるために、遅れることができない(ようになっている)状況。
・通知表をつけなければいけないので、子どもたちに△をつけないようにしたい。
(絶対評価で、基準に達しなければ△をつけなければいけなくなっている)
・親が子どもの学びに対してちゃんと関与していればいいけれど、そうでないケースもある
・学校によっては、まだまだ長時間労働を強いるような先生や環境もあること。
・親側が、”先生”に不信感を持っているような学校のケースもあること。


* * *

わたしは、数年前まで、特に何も考えずに子育てをしてきました。

ただ、娘の不登校という現実を目の当たりにして、教育について学んで行く中で、
「子どもが18歳になったときに、
 子ども自身が、自分の基準で物事を判断し、自分らしく行動できる人にする」
ということを目指して、今は子どもたちに接しています。
我が子にもそうだし、コポリの子どもたちにも、わたしと関わる子どもたちに対して、そう思っています。

時間が無くて、深く掘り下げられませんでしたが、語らう会のご意見にもあった、「社会に出るとき(18才/大学卒業時)に、"じりつ”していることを目標にしている」ということに近いのかなと思います。
それは、「子ども自身を親が思っている理想の姿にしたい」ということではなく、だからといって「なったようにでいいよ」ということでもなく、具体的にどんな形になるかわからないけれど「自分の基準で物事を判断し、自分らしく行動できる人」という方向/方針だけを定めている感じです。

そして、わたしは、今、そのためには、子どもたちにとってどんな教育が必要か、どんな環境が理想的かといつも考えています。

実のところ、文部科学省は、通知表もテストも必須とはしていないのです。
(わたしが昨年12月に主催した上映会の映画「夢みる小学校」を観るとよくわかります。
よかったら、予告編だけでもご覧になってください→映画「夢みる小学校」上映会inたからべ

では、なんのために、通知表やテストは存在しているのでしょう。

もし、先生が接している目の前にいる子どもたちに今必要なことがあるのだとしたら、テストや通知表のために、先生たちがそこに向き合う余裕を持てないことは、子どもたちのためにはなっていないと思います。
大人が勝手に作った枠に子どもたちを当てはめることなく、子どもたちが今目を輝かせていることに取り組んでもらいたい。
話題に上がった、ひらがなができないという劣等感が自己肯定感を下げるのであれば、子どもたちがその仕組みに合わせるのでは無く、その教育の仕組みを変えてほしい。
子どもたちが合わせるのではなく、子どもたちに合わせてほしい。
今のまま、仕組みに合わせていたら、早期教育はますます進んでいきます。

わたしは、娘の不登校で学校外の学びの場を経験してきました。
「友達と過ごしたい」という娘の意思で、今は公立中学校に通っていますが、わたし自身は、学校で学ぶ選択よりも良い教育はたくさんあるし、自分で学ぶことも十分可能だと思っています。
そんな視点で、実際の学校で起っていることを見ていると、学校にはおかしいと思うことばかりです。学校目標で言葉では「自律」や「自分で考えて」と掲げられているけれど、子どもたちに「みんな同じ」を強いたり、「自分で考えない」ようにしている場面がたくさんあると感じます。
そして、わたしは、そのことで、学校の先生や教頭先生、校長先生、教育委員会の方などとも直接お話ししていて、実際に文部科学省や各教育委員会の方針が明らかに変わってきているのも肌で感じています。
そして「学校は変わらなければいけない」と感じている先生が増えているなと感じています。

それでも、こうやって現場レベルでの学校の実情を聞くと、まだまだ学校の現場はそういう状況なのだということがわかります。それが全てとは限らないけれども、もうほぼ学校現場は変わってきていますよという状況でも無いということです。
(このことは、学校や学校の先生だけの責任ではなく、国が教育にお金を割いていないことの表れです。大人一人ひとりがもっとしっかり考えなければいけないです。)

学校現場も、保育現場も、実際に子どもたちに接する先生や保育士、その環境、その教育施設や保育施設のカラーで、実際に子どもたちが受け取るものの質はガラリと変わります。

公立学校は、現実に、少しずつは変わってきた要素はあると思いますが、毎年先生の入れ替わりがありますし、多くの先生の質が一気に向上するわけでは無いし、もちろん新しい先生も入ってくる中で、急に大きく変わるわけではないということを踏まえると、現段階では「公立学校はそういう場所だ」と、親としては、しっかり受け止めなければいけないなと思うのです。

本当は、親が信頼できる先生・保育士や教育施設・保育施設に預けるのが一番だと思いますが、保育園や幼稚園はまだ選べるけれど、公立学校となるとそうはいかない。
今の学校システムではどうしても難しいわけです。
公立学校は、住んでいる場所だけで自動的に通う場所が決まってしまうわけで、そこに集まる先生がどんな集団かも、どんな先生が担任に当たるかも、毎年全くわからない「一か八かの環境」

そんな不安定な場所でしっかりと子どもたちを育むためには、やっぱり子どもたちの一番身近にいる親が、「誰か」任せにするのではなく、しっかりとした親の方針のもと、向かうべき方向を見て考えていかなければいけないと思います。

子どもたちを取り巻く環境が、大きく変わる中で、子どもたちの学びの土台は本当に築かれにくくなってきています。
「ひらがなが読める/かける」「数字がわかる」ということではなく、小学校のスタート時点で本当の意味で、学びの土台が整っている子がいるのかと思うくらいです。
言葉でどんなに説明しても、ピンと来ない子が本当に増えています。

今は、学校が変わることに期待するよりも、親自身が子どもにとってどんな教育が必要かしっかり学び、親なりの考えを保育士さんや先生に伝えていく。

その姿勢が、これからはますます必要では無いかと感じました。

学校の先生が子どもたちと接するのは、ほとんどの場合、たった1年です。
でも、子どもたちの人生はその先にずっと続きます。
しっかりと、子ども自身の、子どもの親の意見も踏まえて、その子その子にあったスタイルを子どもに関わる人全てで、作り上げていくような関係が築けたらいいなと感じます。

親としては、
運良く、教育方針が合う保育士さんや先生だったとしたらラッキー。
そのときはタッグを組んで子どもに向き合っていけたらいいと思います。
そんな先生が増えて行くことを祈るばかり。
でも、もし運悪く方針が違う先生だったとしても、お互い違う立場ということで、折り合いがつくところを見つけて、親として通したい方針は貫いたまま、なんとかやり過ごす。(ここがなんとも歯痒いですが、いろんな人がいて成り立っている世の中なので、それも良い経験かも知れません。)
親が信頼できないところに子どもを預けるなんて・・・というご意見もありました。
もし、方針があまりにも違って、悪影響だと思うなら、必要に応じて、学校に通わないという選択でもいいのでは無いかとわたしも思います。(それも、良い経験かも知れません)

「公立学校がそういう場所」である以上、「先生から言われたこと」をどうするかについては、親も、子ども自身も、しっかりと自分ごとにして考え、判断して行く。
それが必要だなと感じた語らう会となりました。

* * *

来てくださった方からは、

自由の中に学びがあるのが良かったです。
私たちの話を聞いてくださり、ありがとうございました。
いろんなことにアンテナをはっていきたいです!(20代女性)

 

いろんな場面・いろんな考えを
学ぶことができて良かったです。(20代女性)

 

話の中で、どこまでの先生が読み書きを文字として書くまで求めてるわけではなく、興味に沿って関心を深めていけるような働き方を家庭に求めているのか。言葉通り読み書きをさせてください。って言ってるのか、その意図をきちんと話すこともなく
最近の親は。。とか先生が。。とか理解し合う事に力を注がず、どちらも相手に求める状態になってるのかな?と思いました。
こんな時こそ、民主主義な話し合いが必要なのかなと前回の本も頭の中によぎりました。

あと、周りが出来ているのに自分だけ出来ないと劣等感を感じるというところもその劣等感は子どもが自ら感じているのか?、大人が与えてしまっているものなのか?が浮かびました。
早期早期で興味より先に学びを与えられ、自ら学ぶ機会がないまま育つことが子ども達の学ぶ楽しさを奪ってしまっているんじゃないかな?とも思えました。
海外では、という話もされてましたが文字を書くという結果だけではなく、学ぶ過程も違うんじゃないかな。とも。
自分が文字や数字を学んだ時、覚えることが楽しかったし、学ぶことが楽しいと感じていたなと。
劣等感を感じないために、周りと足並みを揃えるために勉強をするんじゃないですもんね。
知りたいから学ぶ、役立つから勉強すると私は考えています。

先生だけが、親だけがではなく、みんなで輪になって子どもにとってなにが最善かを考えていけたらいいのかなと思いました。(30代女性)

とご感想をいただきました。


また、レポートを読んでこんなご感想もいただきました↓

レポートを拝見させていただきました。
いつも、丁寧な文章、ありがとうございます。
参加してないけど、参加したように感じれる話でありがたいです☆

私が、何を目標として子育てしてるか?って思うと、、、やはり手元から離れて生活する時に本人が困らないようになって欲しい。その為の知識、経験を積ませたいと思ってます。
ついつい、親の価値観を押し付けてしまいそうになりますが、、、。子供は、子供の価値観があるので選択をさせたいと思ってます。

今回、学校側、保護者側、子供側からの意見が聞けて、とても参考になりました。
子供の意見、うっ!!!って思いました。
そして、入学前の案内文のひらがなや数字、、、まさに!思ってました。学校入ってからで良くない??興味ない時に無理やりさせてもどっちもストレスだし、今から学ぶ!!って楽しみを嫌な思いにさせたくないなぁと思います。でも、広い視野での書き方なら、違うけど、まんま、受け取りそうです。

次回は、リアルで参加したいですー♪(30代女性)


感想、ありがとうございます!
いろんな人がいるこの社会だからこそ、いろんな感想がありがたい。
これからも、子どもを中心に考えていく場にしたいと思います。

* * *

次回の『語らう会』は・・・
2023年7月22日(土)15:30-開催です!

注意⚠️7月は第3週はこどもたちのなつまつりとなるため、
   語らう会は第4土曜日の開催になります⚠️
たくさんお話ししたい方は、持ち寄りごはんをご持参ください♪
語らう会の後、夕食を食べながら、一緒にお話ししましょう!


次回は、今回の話を振り返りつつ、こちらの話題で語らいます!

詳しく知りたい方や参加ご希望の方は、さんすう教室コポリの公式LINEかインスタグラムのDMにメッセージお願いいたします。

 

さんすう教室コポリ 公式LINE

lin.ee

 

さんすう教室コポリInstagram

https://instagram.com/kopoli_math?igshid=YmMyMTA2M2Y=


前回2023年3月の語らう会のレポートはこちら↓

blog.himitsukichijyajya.com

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

昨年の映画「夢みる小学校」上映会を機に始めることにした《語らう会》。
今後、細ーく長ーく続けていけたらなぁと思っています。

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました