元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

何にも出なかった「運動会」

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


次女5歳、年中さんの秋。

新しい環境が苦手な次女が、移住に伴って保育園を転園して半年以上が経過した頃のこと。

blog.himitsukichijyajya.com


入園して、半年以上が経過して、、、
なかなか慣れなかった保育園に、ようやくすんなり行けるように。
ようやく、自然とおともだちの名前がチラホラ出てくるようになっていて。

入園後はずっと、自分の知らないルールをただおともだちが親切で説明しているだけなのに、注意されていると思っているのか、ずっと険しい顔をして保育園に通っていました。。。
毎朝、行きたくない・・・グズグズに付き合うのもなかなか大変。
そして、しばらくの間、なかなかおともだちと遊ぶって感じじゃなくて、保育園でも弟である長男と2人連んでいるだけのように見えていたけれど、、、。

ようやくです・・・
あぁ長かったー。まぁ山は超えたかなぁ。
と、思っていたのも束の間。
あれ?なんか変だぞ・・・?
次女は、また何かぐずぐず言っている・・・?

一体何!?と思っていたら、園庭で、なんとなく運動会のようなことをやっている!?
コレか!と直感で思ったわけです。

今、通っている園では、一般的な「運動会」はやらないことになっているって聞いていました。
みんなで行進して、お遊戯して、マーチングさせてみたいなものは、子どもたちにしっかりさせるということが目的となってしまって、子どもたちにはただただ負担だからという園の方針。
これは、前に通った園もそんな考えで、次女がこの前に出たことがあるたった1回の運動会(前の園)は、田んぼでのどろんこ大会だったんです。

よくよく聞くと、フェスティバルと名前をかえて、運動会みたいなものは一応やるみたい。
普段どおりの子どもたちの遊びそのものを見てもらうという趣旨のもののよう。
練習っていう練習はせずに、普段そうやって園庭でやっていることをそのまんま、親の前でやるよって感じらしい。

でも、わたしも実際見たわけじゃないから、わたしも実際どんなものかはわからない。
コレか!と思った園庭の様子は、大人の目で見れば、まぁ運動会に向けてやっているのかなというもの。
他の子どもたちは、まぁ楽しそうに遊んでいるようには見えたけれど、いつもとはやっぱり違う!と、敏感で察しのいい次女は、その微妙な大人の温度感みたいなものを拾っちゃった様子でした。
まぁ、次女の知っている運動会(どろんこ大会)とは全く別物だから、まぁ仕方ない。

次女の様子を見ていると、先生たちの様子に、運動会に出なければいけないと察していたのだと思います。
出たくないなら、自分で「出たくない!」「出ない!」と言ってくれたら、わかりやすいし、話が早いのだけど、次女は、相手が期待しているのに出ないなんて言えない、言ったらいけないと思っているのか、はっきりとは言わない・・・。
でも、まぁ子どもだから、我慢もしきれず、またまた険しい顔をしていて、言葉にできない想いを機嫌の悪さに出して拗らせた様子。

入園のときと似たような様子に、こりゃ、このままじゃこの子が生きるのは辛くなるようなぁと危機感を持ちました。
「必ず出なさい」と先生に言われたわけでも、親であるわたしたちが言っているわけでも無い。むしろ、その練習だって、「やりたくない」と言えば、全然尊重してくださってるんです。それなのに、自分に素直な気持ちに蓋をして、「出た方がいいんだよね」と思っているから、ぐずぐずが長く続く・・・・。

ただ、次女に相手の期待を感じても、「察するな」「気にするな」と言っても無理があるのはわかる。
わたしも、つい察しよく、勝手にアレコレ考えてしまっていた子どもだったから。
でも、自分の気持ちは逆方向を向いているのに、相手に合わせて生きていく辛さをわたしは知っています。
ぐずぐず言ったって、親であるわたしはわかってやれるけど、この先、自分の身の回りの他の人にわかってもらうなんてことは正直難しいわけで。
本人がはっきり言わなければ、無かったことになってしまう。
自分が自分の気持ちを大事にしないと、自分以上に取り上げてくれる人はなかなかいないのです。
「察しが良くて」「人のために働けること」は悪いことでは無いけれど、やっぱり、「自分」を偽っていたら幸せにはなれない。
どんなに、相手の期待を裏切るかも知れなくても、「自分」は「自分」として大切にしなければ、結局のところ、相手のことだって苦しめることになるんです。
「自分だって我慢してやってるんだから、あなたも!」って。

それで、、、
わたしは親として、
たった一回でも、自分の気持ちを貫いて、自分に正直に生きても大丈夫だという経験がこの子には絶対に必要だ!と思って、
「あなたは本当はどうしたいの?
 運動会に出たくないのなら、出なくてもいいのよ」

と声をかけたのです。
すると、次女は最初はぐずぐず言いながらも、最終的には「運動会には出ない!」と決めました。

そして、担当の先生に「無理に出さなくても大丈夫です」と早めにお伝えして、そうすることで、また保育園にすんなり行くようになっていました。

* * *

運動会当日、次女は、晴れやかに保育園へ。

もう1人の主役である弟である末っ子は、運動会で主役になるタイプってことで、思いっきり運動会を楽しんでいました。
わたし自身がどんなものかわからないなと思っていた次女が出る予定だったの競技も、実際見てみると、遊びの延長を、運動会の競技としても見て参加して楽しめるように工夫されていたものでした。思っていたよりも楽しそうな内容に、次女も見ていたら出たいって思うんじゃないかと思っていました。それで、親子競技になら出るというかな・・・と思って、わたしだけ楽しんで参加させてもらってはみたものの、、、結局次女は頑なに「運動会」には何にも出ずに、誰もいない子ども席に1人座って、終始、他の子たちの参加する様子を笑顔で観覧していました。

後日、園長先生が園便りに書いてくださったこと↓

《ひとりひとりに寄り添うとは》
〜一部抜粋〜
競技に参加せずともみんなの様子を園児待機席から見ている子どもさんもいました。競技ごとに誘いましたが、余計なお世話でした。「笑顔で応援していたよ」と横にいた上司の言葉。声も出ていたそうです。
みんなと同じを強いるのではなく、その子どもなりの参加の仕方が保証される、そんな運動会(行事)が理想と考えます。乳幼児期の時代は、多様な社会を生きていく基礎の時期です。自分とは違う考えや思いを受け入れたり認めたりできる子どもを育てていくことが私達保育者の使命だと思います。


次女の運動会は、一見、【何もしなかった】運動会でしたかが、こんなふうに暖かく見守ってくださる中で、このときのありのままの次女の姿で「運動会」に参加させてもらえたことは、とても有意義だったと思います。

こういう機会に直面すると、大人はつい「せっかくの機会だから」と子どもの気持ちは無視して、無理にでも参加させた方がいいかなという気持ちがひょっこり顔を出します。
このときのわたしもそうでした。
案外楽しそうだからとわたしの価値観で、やっぱり参加させた方がよかったかなという考えが頭をよぎり、直接では無かったものの、誘おうとした気持ちがありました。
でも、娘自身が、このときはこの観覧スタイルを楽しむことを貫いてくれました。
(どうなったかはわからないけれど、直接声をかけなくて、本当によかった・・・)

娘は、「この行事はこんな会なのか」と知ると同時に、「自分が嫌だと思ったら、どんなに周りが出た方がいいと思っていても、無理に出なくても大丈夫」って経験をすることができました。

例え、子ども自身が「参加すればよかったな」という後ろ向きな気持ちになったとしても、子ども自身の心の底からそういう思いが湧き上がる経験ができたのなら、それは確実に次に繋がるステップです。

そして、同じやり方をしても、「やっぱり参加しなくてよかった」と思う子も、「少しだけなら」と思う子もいると思います。
違う方法もあると思う。

「どんなふうにすればいいか」は、その子によってまたその時によって違うとは思うけれど、ちゃんと目の前の子どもひとりひとりに寄り添って、向き合って考えないといけないなと思います。

「ちゃんと出る」「ちゃんとやる」ということだけではない、娘にとって、これからを大きく左右するような本当に大切な経験をすることができたと思っています。

* * *

運動会そのものの始まりは軍隊行事だそうです。
「子どもたちをちゃんとさせなければいけない」入場行進から始まる、組体操をしっかりする みたいな運動会は、わたしはもうやめたらどうかなと思っています。
こんな投稿もありました↓
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0vHNMFgoog9pEjgG2CL33UJj7C4BMUuaj8F8n4DthbKDJvbFoZxRGPYpdeZpM12Utl&id=100001343388488
どうせやるなら、子どもたちを真ん中においたこんな運動会がいいなと、わたしは思っています。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました