元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

不登校娘が公立中学校に入学した

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


3年間不登校を続けてきた娘が、公立中学校へ進みたいと自分で選び、この4月、
公立中学校の入学式を迎えました。

娘よ、入学おめでとう。
いろんな選択肢があった中から、親が勧めた北九州の学校でも、今まで通ってきた親も子も安心して通い続けられるフリースクールでもなく、検討外だった公立中学校を選択した娘。
選んでみて、通ってみて、1ヶ月後には「やっぱりフリースクールに行く」でも構わない。
好きなようにやればいい。そう思っています。
わたしたちはもう見守るだけです。

* * *

そうなんですが、制服については、親の意向(私服で行ってほしい)と娘の意向(制服を着たい)を擦り合わせた形としました。

娘の学校の指定シャツは、紺色のポロシャツで胸元に赤白のラインがある独特のもの。
ですが、前のブログにも書いたとおり、親と子で対話を重ね、制服のシャツとスニーカーは指定のものを購入しませんでした。

と言うわけで、指定外の手持ちの白シャツに、制服のスカートとジャケット。
手持ちの白い靴を履いて登校した娘。

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わたしに言わせて貰えば、たったシャツ一枚変えただけ

それでも、娘の負担になっていないとはもちろん思っていません。
娘は、入学式の数日前から、「お腹痛い」と言っていました。
歩いて学校に向かう間も、終始「みんなと違う服だし緊張する」と言っていました。

わたしのブログを読んでいたり、わたしから娘の話を聞いている方の中には、うちの娘は「人と違うことを全く気にしない」と感じている方がよくいらっしゃるのですが、うちの娘も人間だし、年頃のふつうの女の子です。
年齢的なこともあって、周りの子や、人の目だって、気にしています。

だから正直、親としては、「娘にここまで背負わせないといかんかったかな」とも思っていました。
「3年間、まともに学校に通ってきたわけでもない娘が、せっかく自分で選んだ道」
その始まりの日。それなのに、こんな余計な荷物まで背負わせなくても本当はいいよなぁって。

* * *

でも、それでも、この娘にしかできないだろうと思っていました。
うちの子で言うと、繊細で敏感なうちの次女には到底できない。
子どもたちにもいろんなタイプがいるから、絶対できない子、そんなプレッシャーがあったら確実に学校行くのを辞めるって子もいるだろうなとは思う。
でも、うちの長女は、多少気にはしていても、他の子と比較するとまだ気にならないタイプだろうと思ったし、何より、今までも「みんなが当たり前に通う学校に一日数時間しか通ってこなかった」し、「他の子が制服着ていても(小学校も制服があったけど)制服を着ずに登校していた」から、人と違うことをする免疫がまだあると思ったから、うちがやってみるしかないと思ったのです。

* * *

会場に到着と同時に、親と子別れ、別室に入っていった娘。
(まぁ、あの子なら大丈夫。なんとかするでしょう。)とその背中を見送りました。

親としては、最悪、入学式に出席させてもらえないってことも想定していましたが、それは、明らかな権利侵害なので、その時は、きちんと抗議しようと思っていました。

席に着席すると、しばらくして教頭先生が来られました。
「確認なんですが、娘さんは制服のシャツは・・・」とおっしゃったので、わたしは臆せず「購入していません。」と答えました。

入学前に、わたしが立ち上げた団体からの校則に関する質問書を学校側へ提出していましたし、びっくりはされるかなと思いましたが、ある程度、わたしたちの意向はわかってくださるのではないかと思いました。

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娘は、入学式、無事出席できました。

そして、その日の行事は全て終えて、家に帰りました。
入学式に参加できて、本当によかった。
(参加できなかったら、それはそれで対応するしかないけれど、娘をけしかけてしまった末に入学式に参加できないと言うスタートになるのは、本当に心苦しかったと思うから。)
この1日、「みんなと違ってもいい」「自分たちのことは自分で決められるというあたりまえの権利を使う」という経験ができ、ひとまず1日を終えることができたことで、娘の心の持ちようは大きく変わったと思います。

* * *

その夜のこと。
学校からお電話をいただきました。教頭先生からでした。
要件を一つ確認されたあと、娘が着ていった靴とシャツについて、40分ほどお電話でお話しすることになりました。

質問書を提出したときにお話ししたことを中心にわたしの考えをお話しし、わたしの考えを娘に伝えた上で話し合った末に決めたことだということ、わたしは親として今後も指定シャツを購入するつもりはありませんということをお伝えしました。娘が自分のおこづかいで、シャツを買うっていうなら反対はしませんともお伝えしました。(そんなことまでして、シャツを着るなんてことは、娘はしないと思います笑。)

色々お話ししましたが、教頭先生から
「・・・高校入試の際に、校則を守らなかったということであれば、不利になるかも知れなくてもですか」という言葉が出てきました。
ずるいです・・・・ほんと。
子どものことを思う親御さんなら、こんなこと言われたら、たまらないですよね。
わたしは、もう、高校の学歴も大学の学歴もこれからの社会では不要なんじゃないかなと感じているので、「それはそれで、仕方ないことと思います。そうじゃない道もたくさんある。高校認定をとって大学に進む方法もある。こちらはそこまで覚悟しての行動です。学校側にもしっかりと考えていただきたい」とお伝えしましたが、それでも内心ちょっとドキドキしました。

全く別の機会で聞いた話ですが、現役の中学校の先生から話を聞くと、「合否に不利になるようなことはわざわざ書かない」とおっしゃっていました。
校則だって、外部からは何が定められているかは不明瞭。
うちの娘が、紺色ポロシャツを一枚、白シャツに変えていても、むしろ気付かないくらいじゃないかとわたしは思います。
それなのに、そういうことを言うのか・・・・。

* * *

教頭先生からは、個人的には制服も校則も不要と思うが、いろんな人がいる学校と言う場所では立場上「そうですか」って言うわけには行かないと、あれこれ想定の話をされました(校則の質問書を提出したときには想定では答えられないって言われたのに・・・)

その上で、わたしがお伝えしたこと。

好きな服を着てもいいって言うのは、子どもたちにあたりまえに認められた権利です。

社会でも制服を着るように言われることもあるとおっしゃいますが、職場の制服は、基本的にはちゃんと支給されます。

いろんな子、いろんなご家庭があるとおっしゃいますが、うちの子だって、今まで学校に行っていなくて、明日から学校に行かないと言うかも知れない。明日からせっかく購入した制服を着ないかも知れないんです。

それでも、子どもが自分で決めた道だから、娘がどうしても購入してほしいというものについては、決して安くはないけれど、制服を購入しました。
娘とは、わたしの考えや想いをしっかり伝え、娘にもよく考えてもらって答えを出しました。

うちの子が通うのは、どんな状況にある子でも平等に通える公立の中学校ですよね。
それなのに、どうして、自分たちがほしいわけでも着たい服でもない服を、わたしたちのお金で購入してまで着ないといけないんですか。
正直、フリースクールに通っている方は、行政からの援助は一切なく、一人当たり毎月数万円の負担を各家庭でしています。

うちはまだ、その選択ができているけれど、フリースクールに行くという選択ができない子が、たとえば制服が嫌だと言ったとき、それでも我慢して通わないといけないってことですか。

学校に合わない少数派は黙っとけ 我慢しとけ ってことですか。

わたしは、少数の意見が切り捨てられて、一部の誰かに我慢を強いて成り立つ社会はもう嫌なんです。」

すると先生は「お母さん、それでも社会は変わらないですよ」とおっしゃいました。

わたしは、学校が変われば、社会は変わると思っています。
子どもたちは未来の社会を構成する大人になります。
その子どもたちが
「自分たちのことは自分で決められる」
「自分の意見はどんなに小さくても発していい」
「誰かの我慢の上に成り立つルールではなく、みんなが合意できるルールを決めればいい」
そう心から思って社会に出れば、20年後30年後にはあっという間に社会が変わると信じています。

子どもたちの教育に携わる人には、ぜひ、そう言う責任をしっかりと感じて、子どもたちに関わってほしい。
わたしはそう思います。

そのために、少しでも、目の前がより良くなっていくように行動する。
そして、それが少しずつ学校が変わっていくきっかけとなり、やがて社会が大きく変わっていくことに繋がる。
わたしはそう信じています。

そのためには、やっぱり「目の前のおかしいものにはおかしい」って言わなきゃいけない。
わたしの想いはしっかりお伝えして、電話を終えました。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました