元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

娘が決めたこと

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


この3月、4月。
我が家にとって、ひとつの節目のとき。
4年生から不登校をやってきて、普通の小学生とはイレギュラーな生活をしてきた娘ですが、この春、無事小学校を卒業し、中学校に入学しました。

この春を迎えるにあたって、娘はあることを決めていました。
「地元の(公立)中学校へ通ってみようかな」と。

娘がそう言い出したのは、昨年の11月くらいでしょうか。

生活の中のなんでもないふとしたタイミング。
娘はふと、そう呟いたのでした。
わたしは、初めてそのひとことを聞いたとき、静かに「そう」とだけ言いました。

* * *

実を言うと、娘の親であるわたしたち夫婦は、
もう義務教育の間に、公立の学校に通わせるつもりはありませんでした。

「教育」について学べば学ぶほど、
公立の学校に、特に公立中学校に通わせることに魅力を全く感じなかったからです。
むしろ、公立学校に通うことによるデメリットの方が大きいなと感じていました。

理由はいくつもありますが、強く思っていたことは、「他と違う1人として堂々と生きてきた」娘が、「みんな同じ」という世界に少しずつ埋没して、少しずつ「人と違う」という当たり前のことを恐れていくようになるのがいちばん嫌だなということ

公立中学に通えば、制服を纏うことになり、頭のてっぺんから足の先まであらゆることを指定されていきます。
「みんな違う」個性を持つ大切な一人ひとりであるにも関わらず、「みんなおんなじ」という世界にどんどん進んでいくことになります。

わたしは、教育のことを学んでいく中で、
中学生が「制服」を定められていることにすごく抵抗を感じるようになりました。
「自分とは何か」「自分が自分であること」そんなアイデンティを形成する大事な時期であるにも関わらず、「他と全くおんなじ」ことを強要される毎日、また楽だからと「毎日自分の着るものすら自分で選ばない」毎日を過ごすことに大きな疑問を持っています。
毎日自分が着る服も選べないのに、本当に自分の人生が選べるのか!?と。

* * *

そんな想いがあり、これまでの小学校生活と同じく、福岡のフリースクールへの通学を継続させるのがいちばんかなと再確認していた頃。

blog.himitsukichijyajya.com
娘の口から、
「地元の公立中学に」と言う小さな小さな想いを聞くことになりました。

正直、寝耳に水で、親として問いただしたいような気持ちもどこかにありましたが、直感的に、これは、そっとしておかないといけないと思いました。

娘に湧いてきた想いは、そんなに強い決断でも、なんでもない、ふと湧いてきた自然な想いだと思ったのです。一時的なものかもしれないし、小さな想いが繋がっていくかもしれないと。

わたしが尊敬している方の1人である植松努さんの以前のブログで、「中学生のときの決定は恋愛のようなものかも」と書かれているものがありました。

ameblo.jp

わたしもこのブログを読んだ当時からそうだよなと思っていて、子どもたちが決めることって、「自分で決めたんだから最後までちゃんとやりなさいよ」って言えるほど、確信的なものはなくて、「できるかわからないけど、やってみようかな」くらいの淡くて儚い本当に恋愛みたいなものだと思っているのです。
わたし自身の過去を振り返ってもそうだったなと。
子どもの浅い知識の中じゃ、大人がいう「絶対!」みたいな決断なんてできない。むしろ大人だってそんなすごい決断なんてなかなかできるものでは無いとそう思うんです。
そして、きっと失敗もある。そんなこんなを経て、わかっていくことがきっとあるとそう思います。

娘がぽろっと呟いたこの想いも、そんな淡い想いなんじゃないか、この先どうなるか、そっと隣で見守らせてもらおうと思ったのです。

実は、その呟きの前、娘は同じ中学校に通うことになる4つの小学校の交流授業に参加していました。
娘が、移住してきた当初3ヶ月だけ在籍した全く通わなかった小学校の子どもたちの中に、娘のことを覚えていて「会ってみたかった」と言ってくれた子がいたと話していました。
また、通っていた小規模小学校のたった9人の全校生徒の家族みんなでキャンプをして、全校生徒の兄弟である地元中学に通う子たちと関わる機会がありました。
娘は、もともと友達づくりが得意で、友達がたくさんいる子でした。
人といるとき、友達といるときがいちばんイキイキしているような子で、フリースクールも大好きだけど、同級生の同性の友達がたくさん欲しいのだろうなとは感じていました。
こちらに移住してくるとき、「ここで新しい友達ができるのか」娘はそのことをいちばん心配していたとそう思っています。

本人から理由などを聞いたわけでは無いので、憶測に過ぎませんが、きっと娘は「青春」がしたいのでは無いかと思います。
そして、
子どもが決めることの動機なんて、そんなくだらなくって、他愛もないことで十分だよなとそう思うのです。

* * *

その後、わたしから娘に、直接そのことを問うのは絶対に辞めようと心に決めていました。
口を挟んでしまったら最後、余計な一言を言ってしまいそうで、、、
そして、その一言で、一気に、自分の考えで等身大の一歩を踏み出そうとしている娘の想いや気持ち摘むような気がしていました。

でも、公立の中学に行くにしても、フリースクールを継続するにしても、準備したり、今後のことをどうするか親として対応していかないといけないわけです。
というわけで、
「もし、公立中学に行くなら、給食はどうする?」と質問してみました。
*小学校時代は、フリースクールに通うこと、学校には終日通わないことなどを考慮して、また、食べるものに関して想うことがあり、完全に給食を止めて、昼食が必要なときは弁当を持参していました。


娘は「考えとく」と言いました。
そして、数日過ぎたある日、「給食は再開して」と娘から言ってきました。
わたしはこのときも、「そう」とだけ答えました。
そして、本気で学校に行こうと思っているんだなとだけ、受け止めさせてもらいました。

娘が決めたこと。
わたしは、すぐにひっくり返して「やっぱりフリースクールにする」と言ってもいいし、1日だけ通ってみて「やっぱり行きたくない」ってなっても全然構わない。
そう思って、最初から見つめてきました。

そして、この春から、
「公立中学校に通う」という新しい娘の生活が始まったのです。

これから、どんな毎日を娘は過ごすのでしょう。
親として、わたしたちが考えるより良い教育を受けてほしい、いろんな価値観を持つたくさんの大人と出会ってほしいという強い想いも、実のところはまだあります。
だけど、もう中学生。それ以上に、娘自身が決めた小さな小さな想いを基に、自分で決めたことをやってみるという経験を積んで欲しいと思っています。
上手くいくだけの楽しい生活ではなく、たくさん失敗もして、たくさん傷ついて、、、。
途中で心変わりしてもいい。
途中で考え直してもいい。
自分で考えて、自分で選んで、そんな毎日を過ごすことで、そんな経験を積むことで、自分とは何か知って、これから自分が生きていく道を少しずつ自分らしいものに定めて行ってほしい。そんな想いで、娘の姿を見つめる毎日です。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました