元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

"ありのままの自分でいる”とはどういうことか

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


不登校娘が小学校を卒業するちょっと前のこと。

娘が「わたしは、自分のことが大好き」と言っていました。
そして「〇〇(娘の友だち)は自分のことが好きじゃないんだって」と言っていました。

その娘の友だちのことは、わたしもよく知っているのですが、はたから見ていて、何の申し分も無いような子です。
勉強もできる、スポーツもできる、先生からの信頼も厚い、そんな子です。
そして、わたしから見ても、「勉強」も「スポーツ」も「先生からの信頼」も全部取り除いても、十分魅力を感じるような子です。
それなのに「自分のことが好きになれない」子どもたちがいる現実。
わたしは、かつての自分がそんな子どもだったので、悲しい気持ちになりました。

自分が自分のことを好きになれない。
自分が自分らしくいることが認めれられない。
生きていく上で、いちばん辛くて、悲しいことのような気がします。

* * *

わたしは、子どもの頃から、「勉強」もできて、「先生からも信頼されていて」、大人たちから見たら、申し分の無い子どもでした。(スポーツ」は苦手だったけれど・・・)

それなのに、わたしは「自分」でいることがずっとずっと嫌でした。
わたしは、子どもの頃から、思春期、大人になってからも
ずっと、
「自分ではない誰か」になりたいと思っていました。

みんなに好かれて、性格が良くて、明るくて、テキパキできて、いろんなことをうまくこなせるような・・・「自分ではない」大人が求めているような誰かに。

いつだって、どんなことを大人が求めているのか察して、無意識に大人が求めるように振る舞っていました。
何となく「こうでなければいけない」と子ども心にそう思っていて、そのとおりにすれば、大人が喜んで褒めてくれるのを知っていました。

子どもは弱者です。
小さければ小さいほど1人では生きていけない。
親から見捨てられたら生きていけない。
だから、子どもはいつだって、親が大好きです。
親に笑ってほしい。親と一緒にいたい。
だから、本当は「嫌だ」と思っていても、親に嫌われないためには我慢しちゃうものです。
本当はすごくショックでも、心配かけないように、「何でもないよ」って見せちゃうのです。

いつだって、大人は力を持っていて、子どもの立場は弱い。
特殊なケースの話ではなくて、大人と子どもという関係である以上、どんな人もそのことを忘れてはいけないとそう思います。
それは親でも、先生でも、大人と子どもという立場の違いがあればいつだってそうです。
そのことを大人はよくわかっていないといけない。
子どもたちは、大人が思っていることに忖度して動いているって思っていなきゃいけない。

* * *

娘の卒業式の前、担任の先生から
「卒業式で読み上げる作文を書くように本人に話しています。」
と聞いていました。

わたしは、もうずっと、娘に出されている宿題については「本人がしたくないなら、しなくてもよし」と思っていて、ノータッチだったのですが、それでもさすがに予行練習直前になっても(予行練習はフリースクール通学のためお休みする予定だったのだけど)、白紙のままの原稿用紙が居間の片隅の机の上に広げられたままの様子を見て、担任の先生に
「作文書いていないみたいですけど、大丈夫ですか・・・」と尋ねてみました。
(本人がやらないのであれば、それは別に構わないけど、さすがに先生が困るのではないかなと思って、雑談ついでに聞いてみました。)

すると、
「他の卒業生の子たちも作文は書いてもらって、提出はしてもらったけど、添削はしていないんです。だから、大丈夫です。そんなに長くなくてもいいのに、みんな1枚以上書いて、卒業式の練習をしているんですけど。」
とおっしゃいました。
それを聞いて、それなら当日までにあればいいのかと思って、そのまま娘の様子を見守っていました。

そして、娘は、いつの間にか家で作文を書いていました。
そして、読んでくださった担任の先生に「うん、このくらいでちょうどいいんだよ」と言われたと言っていました。
卒業式の数日前だったのではないかと思います。


* * *

 

そして、卒業式の当日。

卒業式は、感動する場面ももちろんあったけれど、
わたしは終始「誰のための卒業式なんだろう」と思いながら卒業式の会場の空気の中にいました。

在校生から卒業生の言葉。卒業生から在校生への言葉。
小規模校なので、たった9人で、やりとりする掛け合いの言葉。

「〇〇さん、あなたの笑顔が素敵でした」(←こんな感じのセリフ)

素晴らしいシナリオだったと思う。
きっとこれを聞いて、感動する大人もたくさんいるでしょうって感じの。

でも、、、言葉とは裏腹に、子どもたちの顔がみんな死んでいました。。。

きっと何度も何度も練習したのでしょう。
立派な卒業式にすることを求められたのでしょう。
でも、そんなセリフ、本当に伝えたいのなら、卒業式が終わってから、面と向かって心からの想いを言葉にをした方が、子どもたちはきっとお互い嬉しいんじゃないかなぁとそう思いながら、子どもたちを見つめていました。
本当に、誰のための卒業式だろうなぁと何度も何度も思いました。

小規模校の少ない先生方で、本当に子どもたちを大切にしてくださったと思っています。
そのことにはとても感謝していて、先生たちを批判したいわけではないです。
だけど、先生たちも「卒業式はこうでなければいけない」そんな呪縛があるんだろうなぁ・・・とそう思います。

* * *

そして、卒業生一人ひとりからの言葉。

娘以外のみんな、作文用紙一枚以上を暗記して、大きな声で本当に立派に言っていました。
小学校6年間で頑張ってきたこと、中学校への想いが綴られた立派な作文。
あんなに小さかった子がこんなに立派に・・と感動そのものだったと思います。



そして、娘の番。

私のこの小学校での思い出は、たこあげ大会で、小学校の校庭で、たこをあげたことです。去年は、うまくたこを作れなかったけど、今年はうまく作れて、いっぱいとんだので、よかったです。みんな、このたこあげ大会でとてもたかくとばしていて、とても楽しそうでした。みんな失敗したりしていたけれど、この小学校でさいごの、楽しいたこあげ大会の、思い出が作れてよかったです。
中学校に行っても、部活や友だちづくりをがんばりたいです。


先生が、娘が書いた作文を紺の台紙に貼ってくださったようで、娘は、台紙に貼られた作文用紙半分の内容を、臆することなく、堂々と晴れ晴れと読み上げていました。
そして、別に立派でも、素晴らしくも、感動するものでもない、ふつーの作文の内容だったけれど、そのことを恥ずかしがるでも、変に遠慮したり、謙るでもなく。
他の子に合わせて、暗記しないといけないとも思わずに、ただただ等身大の娘の姿でした。

その姿に、わたしは、
あぁ、これがありのままの自分でいるってことだなと思いました。
背伸びせずに、今の自分そのものでいるってこと。

そして、娘は、ありのままの自分をちゃんと自分で認めている。
自分を変えたいとか、自分が嫌だとか思うことなく、わたしはこれだと胸を張っているなと。
人と比べたり、こうあるべきというものに縛られるわけでもなく、ただただ等身大の自分がそこにいることを自分自身が認めている姿がそこにありました。

* * *

学校は、先生は、親は、
子どもたちにたくさんの忖度をさせているって自覚しないといけないと思います。
結局は、子どもたちの健気な想いに甘えているんです。
子どもたちの気持ちをうまく利用している側面があるってことを肝に銘じないといけないと強く思う。

子どもたちの卒業式は、子どもたちのもの。
そして、
子どもたちの毎日は、子どもたちのもの。
そして、その毎日が、子どもたちのこれからを、子どもたちの人生を作っていくのだとわたしはそう思います。

わたしたち大人の中に眠る「こうでなければいけない」という呪縛が、子どもたちがありのまま過ごす日常を阻害して、子どもたち自身が「そうでなければいけない」自分を仕立てあげ、ありのままの自分を否定させている。

悪意なく、そういう現実がある学校を目の当たりにして、
やっぱり、ありのままの自分をそのまま認めて、みんなそれぞれが「自分が大好きだ」と言えるような学校に、社会に、変えていきたい!

改めて、強くそう思った卒業式となりました。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの想いはこちらです↓

さんすう教室を始めました