元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

フリースクールに行ってみた

自分のことに向き合ってみると、

いろいろなことが見えるようになってきました。

子どもたちの気持ちにも寄り添えるようになってきました。

 

自分の正直な気持ちが見えるようになって、

無理して頑張っていた家事を辞めたり、

以前は手を抜いても、

自分で自分を見張っていて罪悪感を感じていたので、自分へのダメ出しをやめたり。

そうしていると、

子どもが泣いている声にもイライラしなくなってきました。

 

目の前で起きている娘の課題も自分自身が

どう思うか、どう考えるか、

という自分の視点で考えられるようになってきました。

今まで学んできた、子育てや教育の点と点と

自分の考えがつながっていく感覚がありました。

 

そうやって、自分で考えていくと、

幼少期からの今までの長女への自分の親としての関わりが、

今の娘の課題に繋がっていることが身に沁み、

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

* * *

 

そんな状況を知ってか知らずか・・・

同級生のお母さんが、

長女の状況を知って、ランチに誘ってくれました。

(相談が苦手なわたし・・・

 ほんとにありがたい・・・)

そこで、近くに2020年に開校したフリースクールが

あることを教えてもらいます。

(近くにフリースクールは無いと思っていた)

 

遊び学び舎みつばちアジトです。

www.facebook.com

 

しかも代表は同級生のお母さんでした。

(話したことはなくて、顔がわかる程度のつながりでした)

しかも、2年生のとき、

同じタイミングで生き渋りをしていた子のお母さんだったのです。

 

早速、ネットで探してみる。

 

すると、考え方や子どもたちとの関わり方もとても共感できるものでした。

子どもたちもとても生き生きしていました。

 

正直、とっても複雑だった。

 

そのころ、わたしはこれまでの長女への関わりをすごく後悔していました。

 

だけど、すぐ近くに、こんなにも素晴らしい関わりをしている人がいました。

しかも、子どもたちもキラキラと輝いている。

 

人と関わるのが大好きで、

誰とでもすぐに友だちになってしまうような子だったのに、

人に会うのも少しためらうようになってしまっていた長女。

 

わたしのせいで・・・

この頃のわたしは、母親としての自分を自分で否定しまっくっていました。

 

ちらっと、このまま知らなかったことにしようかと頭をよぎりました。

・・・

 

でも、これ以上、わたしひとりで抱えたら、

長女が長女で無くなってしまうような気がして、

自分の気持ちを奮い立たせて、連絡し、体験に行きました。

 

* * *

みつばちアジトは素敵な場所でした。

 

娘にとって、間違いなくいい場所になると思いました。

 

だけど、わたしの複雑な思い、

案内を聞いて、現実的に出費が増えることへの躊躇、

まだ少し学校に通っていたので、

以前のように学校生活に戻るのではないかという期待、

そんなものが入り混じって、わたしの気持ちが決まっていませんでした。

 

そんなわたしの心の内を見抜いてか、

長女の気持ちもフリースクールへは後ろ向きでした。

 

不登校の娘とわたしの問題

仕事から離れ、

学校に行かない長女と向き合う毎日。

 

大きな問題は無くなったはずでした。

でも、まだ何かに引っ掛かっていました。

仕事から離れたのに、まだ何かに囚われているような感覚がありました。

 

* * *

 

「学校を休みたい」と長女が言い始めてから、

学校に行かないことを肯定的に捉えていたつもりでした。

でも、【そう思おうとしていた】というのが正しいかもしれません。

この先どうなるんだろうと

心の奥の奥の奥底では不安に思っていたような気がします。

だって、本当にその道が最善だと信じているのならば、

誰に何と言われても、反対されても、貫けたと思う。

だけど、反対する誰かの言葉に

いちいちグラグラと反応しているわたしがいました。

だからこそ、言葉の端々や、言動のひとつひとつの微妙なところに、

「学校に行ってくれたら・・・」と

目の前の娘を認めきれていないわたしの本心が滲み出ていたかもしれません。

 

* * *

 

フリースクールも探してみました。

でも車で1時間以上かかる場所にしか

良さそうと思うところが見つかりませんでした。

引っ越しも真剣に考えました。

 

適応指導教室も見学・体験にいきました。

 

学校とも協議を重ねました。

 

もうホームスクールでいいかなとわたしが思い始めたころ、

娘が外出するのを嫌がったり、

人の目を気にするようになっていることに気付きました。

 

* * *

 

長女は5月からオンラインでリトミックを習い始めていました。

音楽教室 ミューレです。

ikiruchikara.co.jp

 

人との接触が急激に減ったあのとき、どこかにつながりが欲しかった。

結果的に、娘は学校にも行っていなかったので、

第3者とのつながりを持つ限られた機会でした。

 

リトミックの先生に、娘の不登校についても相談していました。

するとあるタイミングで

『(娘は)全然心配ないね。あなたとご両親の問題じゃない?』

と指摘してもらいました。

 

そのときはどんなことがどんなふうに繋がっているのか、

ハッキリはわからなかったけれど、

なんとなく、そこに引っ掛かりがあるのは間違いないと思いました。

 

* * *

 

そうして、36歳にして、ようやく、

幼少期から今までのことをしっかり振り返る機会を持ちました。

幼少期、どんなことを思っていたのか、

本当はどうしたかったのか、

そのときの気持ちに立ち返って、深く深く感じました。

 

たくさん本も読んだし、

いろいろなタイプのカウンセリングも受けました。

思っていたことを書き出したり、口にして言ってみたり。

あまり得意ではないけれど、人と会って話す機会を持ってみたりもしました。

 

小さなわたしがたくさん我慢してきたことや

蓋をしてきたことを目の当たりにして、

しっかりそのときの気持ちを感じ切って、

ようやく、どうしてわたしが我慢してきたのかがやっと見えてきました。

 

どうして、余裕がなくなったときに子どもたちにイライラしていたのか。

どうして、子どもの泣き声にこんなにもイライラするのか。

そんなこともわかってきました。

 

わたしは母が我慢していたから、

母のために我慢していました。

 

親になって、自分が我慢しているから、

自由にふるまう子どもたちが許せなかった。

 

わたしはちいさいとき、グズグズ泣き続けることができなかった。

だから、小さな私が、子どもたちが泣き続けるのを見て、

ズルい!と思って、イライラしていたのだなと。

 

子どもたちにわたしのように生きてほしくないのなら、

もうわたしが我慢していきていくのはやめようと思うようになりました。

36歳の選択~2020年コロナ禍のなかで

2020年、急に訪れたコロナ禍。

 

急に全国の学校が休校になったタイミングで

わたしは職場に育休復帰しました。

(我ながら、なんてタイミング!)

 

でも、それもそういう定めだったのでしょう。

 

今までとは違う視点で子育てや教育のことを学び始めて、

2年以上経っていました。

生きる力をつける親の会の発信を含め、

本や講演会などで子育て・教育・自分自身に関わること

いろいろ学んで、職場復帰のタイミングを迎えていました。

 

職場復帰を控えて思っていたことは、

もう無理をするのはやめようということ。

 

今までは、無理な計画や必要以上に準備をして問題が起こらないようにしていました。

敵もいないのに、盾で身を守り、矛を振り回していました。

ずっとそうやって生きてきたからこそ、

自分自身の能力や得意不得意がわからずにいました。

「必要なことは準備して、それ以上のことは助けてもらおう」

「しっかり自分の気持ちと向き合おう」

そう思っての職場復帰でした。

 

復帰して、自分の能力と仕事が合わないことを痛感しました。

また、周りの人の判断を必要以上に気にして、

身動きが取れなくなる自分にも気付きました。

 

コロナ禍の中で、不自由な公務員の働き方も目の当たりにしました。

 

* * *

 

学校休校が徐々に解かれた5月。

 

何となくそんな気はしていたのですが、

小学4年生になった長女が「休みたい」と言ってきました。

 

・小学1年生秋に原因不明の心因性視力障がい

(急な視力低下・矯正しても視力があがらない・

 精神的なことが原因・女の子に特に多い)

・小学2年生秋に2カ月ほど学校生き渋り

(わたしが行きたい授業だけ連れていくなどして徐々に毎日行けるようになった)

 

過去にもいろいろとあった娘。

 

こんな大騒動のあとだから、きっと何かはあると思っていました。

 

* * *

 

長女のこと、自分のこと、いろいろ考えすぎて、

身動きが取れなくなり、しばらく仕事へ行けなくなりました。

 

このまま働いていたら、自分が自分では無くなってしまう。

そう思いました。

 

いずれ辞めるときが来るかもしれないとは思っていました。

だけど、こんなに早くその思いに至るとは思ってもみませんでした。

でも、もうこれ以上、

自分の気持ちに蓋をして生きていくのは無理だなと思いました。

 

* * *

 

2020年7月、公務員を退職しました。

とてもとても、迷惑をかけました。

長い間、自分のことに向き合わずに、

人に合わせて生きてきたばかりに。

自分の思っていることを素直に表してこなかったばかりに。

わたしがわたし自身のことをわかっていなかったばかりに。

 

でも、後悔はしていません。

長女の頭の中

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長女が小学1年生になった年。

次女を出産を控えて、産休・育休を取得していました。

やっと、長女と向き合う時間を持てるようになりました。

 

1年生。

学校生活、学校の準備、宿題、ならいごと。

今までとは全く違う生活スタイルに親も子も右往左往。

ランドセルの隅から隅まで、わたしが見てやる毎日。

夏休みまではほぼつきっきりで対応していました。

 

今から思えば、順調な学校生活が送れるように

【わたし】が必死になっていました。

優等生のユウコチャンが。

 

* * *

 

初めての夏休み。

楽しいはずの夏休み。

正直こんなにも【わたし】が苦しいとは・・・

まだ首も座るか座らないかの赤ちゃんがいる生活。

夜もまともに寝ていないのに、

なかなか予定通りに生活しない長女。

宿題もなかなか進みません。

 

当時のわたしは余裕が無かったと思います。

宿題に取り掛かるのも、

やるのも、終わるのも、何をとってもゆっくり過ぎる娘。

何度、怒った・・・いや怒鳴った・・・いや手が出たこともありました・・・

 

* * *

 

子どもの宿題なんて、みんなそんなものだろうと思っていたある秋の日。

 

長女が近所の友だちを夕方家に連れてきて遊ぶようになりました。

 

必ず「宿題をして遊ぶ 」を徹底する娘たち。

 

・・・・!!!

 

アレ・・・!?みんな宿題すんなりやっている・・・

 

宿題しないと遊んじゃダメって言われているから先に宿題するのかな?

と思っていたけど、むしろ自ら先に宿題をしてる・・・

やってないのうちの子だけ???

 

毎回なかなか宿題を始めないのも、

終わらないのも、だらだらしているのも、

宿題をする子にちょっかいをだすのも、うちの子・・・。

 

ようやく、我が子と他の子は違うということに気付きました。

(いや・・当たり前ですけどね。

 ずっと1人しか育てていなかったので、

 むしろ『育てる』ということについてまともに考えていなかったので、

 そんな当たり前のことにも気付かないほどだった・・・)

 

* * *

 

ネットに溢れているいろいろな方法で宿題をさせようと試みるも、

うまくいかない長女。

 

厳しく言いつければやるのかと思い、

宿題が終わるまで、遊べない・おやつ無いなど制限。

だけど、白紙の漢字書き取りノートを椅子に座って

30分以上ジーっと見つめるだけで一文字も書かない姿を見て、

この30分にさっさとやればすぐ遊べるのに・・・と何度思ったことか。

 

* * *

 

30分以上も見つめ続けるほど嫌なのか・・・と

少しずつ、子育てについて考えたり、学んだりするようになっていきました。

この頃出会ったのが「生きる力をつける親の会」でした。

peraichi.com


 

「生きる力をつける親の会」で、

その頃のわたしが思っている子育ての視点とは全然違う考え方

に触れるようになります。

自分の育ってきた環境が、こんな子育ての指針であれば、

わたしの人生も大きくかわったかもしれないなと思いました。

 

そして、我が子の子育てで、真っ先にしなければいけないのは、

『観察』だと思ったのです。

 

* * *

 

『今、午前11時45分です。

 雨が1時間半ふりました。何時何分に雨はやむでしょう』

 

宿題の算数プリントの中の1問です。

その日もなかなか宿題を始めずに、終わらずに、

わたしが気を揉んでいました。

 

(よし、今日は観察してみよう。)

 

いろいろな気持ちを一旦押し込んで、観察することにしました。

 

あまりにも、見つめているばかりで取り掛かれないので、

内容がわからないのかと思い

「絵に描いてかんがえてみたら?」

と声をかけました。

 

すると、

テン テン テン テン ・・・

と点を描き始めた娘。

 

(時計の問題なのに、点で考えるのか???)

なんて思っていたら、すごくたくさんの点を描いている。

娘が何をしているのか、全くわかりませんでした。

 

だけど、ただただ、観察することにしました。

 

すると、、、

かさをさす女の子・

おひさま・にじ・かさをとじてわらっている女の子

を次々に描く娘。

 

(あー!!あめだったのか!)

 

そこまで描き終えるのに、30分。

 

それからやっと時計の絵を描いて、問題を解き終えたのでした。

 

* * *

 

長女は保育園時代もとってものんびりしていました。

 

保育園から帰ってきても、廊下や階段の踊り場に寝っ転がり、

天井を見つめ、いつもぼんやりしていました。

 

いつも何を考えているかわからなくて、

そこに寄り添ってやる時間も余裕もなくて、

早く早くと追い立ててばかりいたけれど、

こんな風に娘は考えていたのか!と

初めて娘の頭の中を覗いてみたような出来事でした。

 

宿題プリントは、残りが5問以上ありましたが、十分じゃないのかと思いました。

娘にとってはもう十分じゃないかと。

 

* * *

 

このときのことをきっかけに

わたしは、わたしなりの子育ての方針を少しずつ固めていくようになりました。

このときの絵は、長女が小学4年生になった今もリビングに飾ってあります。

 

年賀状の一言

『黒木(わたしの旧姓)が一番賢く生きてる』

2019年の年賀状の返事に、かつての職場の先輩が書いてくれた言葉です。

 

* * *

 

 

市役所で働き始めたわたしは、

3年間、仕事中心の生活を送りました。

自分のこと・子どものことは後回しにして、

したくない仕事を優先してしなければならない毎日でした。

 

当時任されていた一コミュニティセンター新築の工事が

一区切りついたタイミングで

ちょうど第2子を妊娠・出産。

産休・育休を経て、そのまま第3子を妊娠していました。

 

高専進学、大学進学

大手住宅メーカーに就職、結婚、出産

公務員へ転職、第2子・3子出産・・・

失敗も無く、順風満帆な人生。

 

確かに・・・自分で言うのもなんですが、

我ながら賢く選んで生きてきたなぁと思います・・・

 

・・・・・・・・・・

 

でも!

 

でも!!

 

でも!!!

 

わたしはずっとずっとずーっつと生きているのが苦しかった!!!!!

 

小学生のときは、自由になりたくて早く大人になりたかった。

中学生のときは、孤独でさみしくて早く大人になりたかった。

大人になったら、何でも自分で好きなように選べるはず。

そう信じていました。

でも、大人になったら、子どものときよりももっともっと不自由で。

自由に選べるはずなのに、何が正解かわからなくて、

自分で選ぶことがもうできなくなっていました。

夫も子どもも大切で、家族のことは大事で、幸せなはずなのに、毎日が苦しかった。

 

生きるために仕事をしているはずなのに、

仕事をするために、生活を犠牲にしていました。

家族が、子どもがいちばん大切なのに、

いつも後回しでした。

人に迷惑をかけずに生きなければいけないと思っていました。

自分のことを優先してはいけないと思っていました。

みんな我慢しているのだから、自分勝手なことをしちゃいけないと。

自分が本当はどうしたいかということに蓋をして、

やらないといけないことはやらないといけないと。

自分を大切にできずにいました。

 

大切な子どものことも、

いろいろな情報を知ると、悩まなきゃいけなくなるのが怖くて、

子育てのこと、教育のこと、

見ないように、考えないように生きていました。

おままごとのように、子育てしていました。 

どこかで聞きかじった、誰かの子育てを切り貼りしながら。

みんな同じように悩んでいるんだよねと。

みんなと同じように子育てしているつもりでした。

 

ずっとずっとずーっと苦しくて

ぜんぜんしあわせでなかった。。。

 

ただ、なんでか自分では、全然わかっていませんでした。

自分がそういう状態だということすら、

気付くことすらできませんでした。

 

もっと頑張らなきゃ。もっと考えなきゃ。

もっと、もっと。

何年も何年も、結局20年以上、人生の大半をそう思いながら生きていました。

再び

順調にスタートしたような公務員生活でしたが、

半年も過ぎると、徐々にまわりの考えや雰囲気が見えてきました。

 

初めは、「ちょっと難しい」「わかりません」と

素直に聞けていたところが、

相手が思っていることを察して、

嫌なことでも引き受けてしまったり。

やらなければいけないと必要以上にやってしまったり

するようになっていきました。

 

自分自身が

周りの雰囲気を察しやすい・要領がいいタイプでは無いという自覚もなく、

勝手にいろいろ抱え込んでしまい、

「頑張って」乗り切らなけばいけないような状況に

自分で自分を、徐々に追い込んでいきました。

 

また直属の上司自身もも周りを察して、

我慢していろいろやってきたタイプの方でした。

ハッキリ言葉で示すわけではないのですが、

こうしてほしいと思っているんだろうなという声が

溢れて聞こえてくるようで、

つい、わたしは上司の思うように動く

都合のいい部下になっていってしまい、

次第に、仕事のウエイトが、生活の中で大きくなっていってしまいました。

 

せっかく、仕事とプライベートのバランスを考えて転職したはずなのに、

氣付いたら、結局、人のことを氣にしすぎて、

自分を大切にできていない状況に・・・。

 

朝7時過ぎに子どもを保育園に預けて、

夜7時の降園時間ギリギリに毎日お迎えに行く毎日になっていました。

娘は毎日、一番最後のお迎えでした。

 

時間が無い毎日で、わたしは常に娘にイライラしていました。

思い通りにいかなくて、のんびり過ごす娘を煩わしく思ったりしました。

 

可愛いのに、煩わしい。

1日のウエイトが仕事に偏り、生活がうまく生活を回せていないことを

娘のせいにしたかったのかもしれません。

 

* * *

 

また、一般社会で感じることとのギャップを感じていました。

 

市役所で働いていてみて思っていたのは、

・何でも、前例踏襲であるということ

・自分がこうしたい!と思っても、身動きがとりにくい構造であるということ

・結局、情報を取りに行ける、声を上げることができる人しか救えないということ

 

市役所の仕事は、何かをするときの資金源が税金であるからこそ、

ここぞというときに誰も判断ができないジレンマがある感じがしました。

 

自分がこんなことやってみたらいいのにと思っても、

上司の、それまた上司の、決裁がなければ何もできないということを痛感。

 

そして、それは自分が本当に必要なことだと判断したことだったとしても、

前例に無いと、よっぽどのことが無い限り、

本来の業務が優先されて手を出すことできなかったり。

「とりあえずやってみる」ということがなかなかできない世界でした。

 

市役所で働いても、

結局「人がどう思うか」に視点を置いて仕事をしなければいけないことが

どんどん息苦しくなっていきました。

自分自身の中で「こうしたらいいのに」「こういう風にできないかな」と思う一方で、

本来の業務とは違うことに手を出すには、

自分の業務をしっかりこなした上でなければ・・・と思ってしまい、

取り組むことができませんでした。

 

要領のいい方ではないわたしは、

またやりたくないことを優先しなければいけないという状態になっていました。

 

(何度繰り返すんだよー!しっかりしろー!わたしー!!!)

29歳の選択~公務員への転職

子育てもしながら、現場担当として働く限界を感じ、

だからといって、設計担当を希望して、奮闘する意欲も湧かずにいる中で、

住んでいた地域の市役所で建築技師の採用募集を広報で見つけました。

 

それまで、建築士試験を受けていて勉強していたことも重なって、

(公務員試験は何といっても学科試験が受からないと話にならない)

また、住宅メーカーでの7年以上の勤務経験を買われて、

運よく市役所の正規職員としての採用が決まりました。

 

まさかわたしが父と同じく市役所職員になるとは思っていませんでしたが、

生活とのバランスを取りながら、

自分の経験を活かして、何か市民のために仕事ができればいいと思い、

意欲的に仕事をスタートしました。

 

* * *

 

建築技師として任された仕事は、

公共施設の新築工事、改修工事を業者へ委託する際の、

設計や現場の監理をする仕事でした。

 

少しかみ砕いて言うと、

設計事務所と一緒に設計内容を確認・検討し、

施工業者が設計図通りに工事を行っているか、

設計事務所と一緒に監理していく仕事です。

 

1年目で担当したのは、

市内小学校のプールの新築工事や

市内小学校の大規模な空調設備設置工事

市内コミュニティセンターの外壁改修工事など

いろいろな施設の様々な工事でした。

 

今までの業務では、住宅の現場しか知らなかったわたし。

入庁した次の日、1年間の業務量を見てびっくり。

まさかこんなにたくさんの大きい工事の担当になるとは・・・!

 

でも、他の先輩たちはもっと大きい工事もあるし、量も多い。

しかも、建築技師の人数も限られている。

ごくり・・・唾を飲みました。

やるしかないのか。。。

 

掛かる予算の額、規模、材料、工法・・・

しかも民間とは違う行政の仕事・・・

いろいろなことに驚き、

思ったより大きな工事を任されることに、緊張しつつも、

充実した日々でした。

 

新築プールの壁面のアクセントカラーのパターンを検討したり、

外壁改修工事に合わせて、今後必要な屋根改修工事も行うようにしたり。

 

滑り出しは順調で、右も左もわからないからこそ、

自由に、自分なりに工事の内容も工夫して、業務に取り組めていました。