元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

再び

順調にスタートしたような公務員生活でしたが、

半年も過ぎると、徐々にまわりの考えや雰囲気が見えてきました。

 

初めは、「ちょっと難しい」「わかりません」と

素直に聞けていたところが、

相手が思っていることを察して、

嫌なことでも引き受けてしまったり。

やらなければいけないと必要以上にやってしまったり

するようになっていきました。

 

自分自身が

周りの雰囲気を察しやすい・要領がいいタイプでは無いという自覚もなく、

勝手にいろいろ抱え込んでしまい、

「頑張って」乗り切らなけばいけないような状況に

自分で自分を、徐々に追い込んでいきました。

 

また直属の上司自身もも周りを察して、

我慢していろいろやってきたタイプの方でした。

ハッキリ言葉で示すわけではないのですが、

こうしてほしいと思っているんだろうなという声が

溢れて聞こえてくるようで、

つい、わたしは上司の思うように動く

都合のいい部下になっていってしまい、

次第に、仕事のウエイトが、生活の中で大きくなっていってしまいました。

 

せっかく、仕事とプライベートのバランスを考えて転職したはずなのに、

氣付いたら、結局、人のことを氣にしすぎて、

自分を大切にできていない状況に・・・。

 

朝7時過ぎに子どもを保育園に預けて、

夜7時の降園時間ギリギリに毎日お迎えに行く毎日になっていました。

娘は毎日、一番最後のお迎えでした。

 

時間が無い毎日で、わたしは常に娘にイライラしていました。

思い通りにいかなくて、のんびり過ごす娘を煩わしく思ったりしました。

 

可愛いのに、煩わしい。

1日のウエイトが仕事に偏り、生活がうまく生活を回せていないことを

娘のせいにしたかったのかもしれません。

 

* * *

 

また、一般社会で感じることとのギャップを感じていました。

 

市役所で働いていてみて思っていたのは、

・何でも、前例踏襲であるということ

・自分がこうしたい!と思っても、身動きがとりにくい構造であるということ

・結局、情報を取りに行ける、声を上げることができる人しか救えないということ

 

市役所の仕事は、何かをするときの資金源が税金であるからこそ、

ここぞというときに誰も判断ができないジレンマがある感じがしました。

 

自分がこんなことやってみたらいいのにと思っても、

上司の、それまた上司の、決裁がなければ何もできないということを痛感。

 

そして、それは自分が本当に必要なことだと判断したことだったとしても、

前例に無いと、よっぽどのことが無い限り、

本来の業務が優先されて手を出すことできなかったり。

「とりあえずやってみる」ということがなかなかできない世界でした。

 

市役所で働いても、

結局「人がどう思うか」に視点を置いて仕事をしなければいけないことが

どんどん息苦しくなっていきました。

自分自身の中で「こうしたらいいのに」「こういう風にできないかな」と思う一方で、

本来の業務とは違うことに手を出すには、

自分の業務をしっかりこなした上でなければ・・・と思ってしまい、

取り組むことができませんでした。

 

要領のいい方ではないわたしは、

またやりたくないことを優先しなければいけないという状態になっていました。

 

(何度繰り返すんだよー!しっかりしろー!わたしー!!!)