元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

不登校の娘とわたしの問題

仕事から離れ、

学校に行かない長女と向き合う毎日。

 

大きな問題は無くなったはずでした。

でも、まだ何かに引っ掛かっていました。

仕事から離れたのに、まだ何かに囚われているような感覚がありました。

 

* * *

 

「学校を休みたい」と長女が言い始めてから、

学校に行かないことを肯定的に捉えていたつもりでした。

でも、【そう思おうとしていた】というのが正しいかもしれません。

この先どうなるんだろうと

心の奥の奥の奥底では不安に思っていたような気がします。

だって、本当にその道が最善だと信じているのならば、

誰に何と言われても、反対されても、貫けたと思う。

だけど、反対する誰かの言葉に

いちいちグラグラと反応しているわたしがいました。

だからこそ、言葉の端々や、言動のひとつひとつの微妙なところに、

「学校に行ってくれたら・・・」と

目の前の娘を認めきれていないわたしの本心が滲み出ていたかもしれません。

 

* * *

 

フリースクールも探してみました。

でも車で1時間以上かかる場所にしか

良さそうと思うところが見つかりませんでした。

引っ越しも真剣に考えました。

 

適応指導教室も見学・体験にいきました。

 

学校とも協議を重ねました。

 

もうホームスクールでいいかなとわたしが思い始めたころ、

娘が外出するのを嫌がったり、

人の目を気にするようになっていることに気付きました。

 

* * *

 

長女は5月からオンラインでリトミックを習い始めていました。

音楽教室 ミューレです。

ikiruchikara.co.jp

 

人との接触が急激に減ったあのとき、どこかにつながりが欲しかった。

結果的に、娘は学校にも行っていなかったので、

第3者とのつながりを持つ限られた機会でした。

 

リトミックの先生に、娘の不登校についても相談していました。

するとあるタイミングで

『(娘は)全然心配ないね。あなたとご両親の問題じゃない?』

と指摘してもらいました。

 

そのときはどんなことがどんなふうに繋がっているのか、

ハッキリはわからなかったけれど、

なんとなく、そこに引っ掛かりがあるのは間違いないと思いました。

 

* * *

 

そうして、36歳にして、ようやく、

幼少期から今までのことをしっかり振り返る機会を持ちました。

幼少期、どんなことを思っていたのか、

本当はどうしたかったのか、

そのときの気持ちに立ち返って、深く深く感じました。

 

たくさん本も読んだし、

いろいろなタイプのカウンセリングも受けました。

思っていたことを書き出したり、口にして言ってみたり。

あまり得意ではないけれど、人と会って話す機会を持ってみたりもしました。

 

小さなわたしがたくさん我慢してきたことや

蓋をしてきたことを目の当たりにして、

しっかりそのときの気持ちを感じ切って、

ようやく、どうしてわたしが我慢してきたのかがやっと見えてきました。

 

どうして、余裕がなくなったときに子どもたちにイライラしていたのか。

どうして、子どもの泣き声にこんなにもイライラするのか。

そんなこともわかってきました。

 

わたしは母が我慢していたから、

母のために我慢していました。

 

親になって、自分が我慢しているから、

自由にふるまう子どもたちが許せなかった。

 

わたしはちいさいとき、グズグズ泣き続けることができなかった。

だから、小さな私が、子どもたちが泣き続けるのを見て、

ズルい!と思って、イライラしていたのだなと。

 

子どもたちにわたしのように生きてほしくないのなら、

もうわたしが我慢していきていくのはやめようと思うようになりました。