元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

娘が通う「未来の夢みる小学校」

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

 

 

わたしは今、映画「夢みる小学校」の上映会がやりたくって突き進んでいます。
ついに12月3日(土)、4日(日)に開催を決めました。
春に、映画館で映画を観たときから、絶対にやりたいと思っていて、ついに!です。

とにかくこの映画を、ただただ、たくさんの人に観てほしい。
そんな気持ち一心です。

この映画を観ると、不登校の子の特別な子のためだけじゃなくて、どんな子にとっても本当に価値のある学び、大切なものがそこにあるって感じると思います。
そして、その結果、社会全体があたたかいものに、本当に良くなっていくってわたしは本気で思っています。

本当は上映会のサイトを作るつもりは全くなかったんですけど、なんだかいろいろ考えていたら、想いが溢れて、猛烈に作りたくなって、2時間くらいで作ってしまいました。
ぜひ、覗いて見てほしいです。
予告編だけでもどうか見てください。(←しつこい笑)。

miraiwohagukumu.hp.peraichi.com


映画を観て見て、「こんな学校がいい」ってそう思わない人がいても、もちろん構わないのですけど、こんな世界があるとも知らずに、目の前に並べられたものしか無いと思って、学校なんてこんなもんだって、たくさんの子どもたちが大切なものを後回しにして、一生懸命黒板写して宿題して、大人になってしまうのは違うと思っています。
子どもだったときのわたしは、そんな世界があるって知らなかったから。わたしは、ずっと大人が、学校が求めることをちゃんときちんとやってきた優等生でした。その結果、世の中が良いと判断しているものは手に入ったけれど、それは自分の心が求めているものではありませんでした。でもそのことに長い間気が付かずに、自分が何者かがわからなくて、本当に本当に苦しい苦しい20代30代前半を過ごしました。そんなふうに、20年以上も遠回りしてしまったんです。
子どもたちには、本当にフラットに、自由に、これから子どもたち自身がどう生きるか選べるようになってほしい。心からそう思っています。

* * *

わたしは「夢みる小学校」は夢じゃないと本気で思っています。

いつできるかわからない新しいそんな学校ができるのを夢みるより、今ある目の前の小学校自体がそんな学校に生まれ変わることがいちばんいいってそう思っています。お金もかからないし、何よりたくさんの子どもたちの"今”がより良くなるってこと。そして、それはすぐにでも実現可能だって思います。(正確には、そういう研修も先生方にしてほしいし、十分な人手がいるからお金はかけなきゃいけないんだけど。)

必要なのは、場所とか、制度とか、仕組みとかじゃないんです。
変わらないといけないのは、「社会の考え方」で、それは「親や先生や地域の考え方」で、結局「わたしたち一人ひとりの考え方」です。

何より大切なのは、目の前の子どもたちを一人ひとりの人として、大人がちゃんと向き合う、子どもたちへの誠意だと思うんです。

* * *

うちの小6娘は、不登校です。
福岡に住んでいた小2のときに一時的に、小4で完全に不登校になり、フリースクールへ移行しました。親であるわたしには苦しい苦しい期間ではありましたが、娘自身はフリースクールで、本当に楽しい素晴らしい毎日を過ごさせてもらいました。この期間があるからこその、今のわたしたち家族です。

そして、わたし自身が自分の人生を生きるために、昨年末に鹿児島県曽於市財部町へ移住しました。
(これは完全に親の都合に子どもを付き合わせました。子どもたちのことを思えば、フリースクールや下の子たちの通うこれまた素晴らしい保育園のある福岡に残るのが本当はベストだったからです。
だけど、そうしないと、移住してわたしが「わたしらしく」自分の人生を歩まないと、夫が「夫らしく」いられないと、不登校の娘が「自分らしく」生きていく姿を、本当の意味で応援できない。と、そう思ったのです。)

* * *

そして、移住後の今年の4月から、娘は、特認校制度というものを利用して、住んでいるところの校区ではない、山間の学校に在籍しています。
全校生徒で十人程度の小さな小さな学校です。

今、娘はこの学校に、1日のうち1時間か2時間か、通っています。
通っているのは、体育とか、総合の学習が主なのかな。毎日の宿題はもちろんしていません。
ですが、宿泊研修や運動会などの行事には、積極的に参加していて、友達とも仲良く過ごしています(元々友だちいっぱいの娘なので)。校区外なので送迎が必要で、わたしの都合でお迎えが本人の希望に沿わないときももちろんありますが、そのおかげで、先日の台風明けの学校清掃に参加したり、本人の意に沿わない授業に参加したり、そんなこともありながら、それでもあたたかく対応してもらって、そんなふうに学校に関われていて、とてもいい関係を築けています。

そして、実は、福岡のフリースクールにも、いまだ通い続けています。
移住後9ヶ月以上たった今ですが、それでもなお です。
月に3度ほど、泊まりがけで通う日々です。
フリースクールでは、普段から川に行き、海に行き、体を使って走り回って、みんなでキャンプをしたり、また1年を通してマルシェでお金を稼いで、自分たちで稼いだお金で修学旅行に行ったりもしています。修学旅行先は自分たちで決め、どうやって行くか、どれくらい費用がかかるか自分たちで調べて、行きたい場所が友達とぶつかったときはzoomで話し合ったり・・・そんな貴重な体験を日々積ませてもらっています。
フリースクールでは親同士も、この子は今こんな感じだとか、家ではこうだけどどう思う?、その子その子の今の課題はこの辺りだなとか、そんなやりとりをしながら、みんなでお互いの子どもたちをずっと見合ってきました。そんなふうに、子にとっても親にとっても、「大切な仲間と、信頼できるスタッフと、安心して好きなことやりたいことに取り組める場所」がそこにはあるのです。

そんな形で、週の半分の数日間は山間の公立小学校に通って、残りの日は福岡のフリースクールでのびのび過ごすという、不登校だけれど、ハイブリッドでヘンテコな楽校生活を送っている娘なのです。
(「ハイブリッド通学」は、今はうまくいっていますが、わたし個人の感覚で言うとあまりオススメではないです。その理由はまた何かで書きたいと思いますが、もし気になる方は直接ご連絡ください。)

* * *

そんな一般的に言うとかなりへんちくりんな生活をしている娘なのですが、小学校の先生方もお友達も、ありがたいことに、それがうちの娘だと認めて接してくださっています。そんな子、普通はいないでしょうから、最初はびっくりはしたと思うのですが、本当に自然に受け入れてくださって、感謝しかありません。

クラスの友達に「なんで学校来ないの?もっと来てよ」って言われることもあるようです。
数年前の不登校当初は、その言葉がわたしも娘も辛いときがありました。
当時は「みんな学校に来てるのにずるい」って言われているような気がしていました。
でも、今、友だちから掛けられているそんな言葉を、娘は、純粋に「もっと娘と遊びたいのに」っていう気持ちからだと思っているようで、そう言われてほんと嬉しそうにしています。

福岡に住んでいる頃の小学校は、1学年が30人×2クラスくらいの規模の学校でした。
先生方も一生懸命考えて対応してくださってたと思いますが、(学校に数時間だけ登校して)途中で帰るとき、
担任の先生が「はい、さようならです。皆さん!」と声をかけられて、
「(独特なイントネーションの)さ よ う な ら 」と
挨拶をしてもらっていました。そんな「娘」と「娘の友達である同級生たち」の姿に、わたしはいつも心を痛めていました。良かれと思ってなのでしょうが、そんな無理に言わせなくても・・・と心の中で思っていました。

今は、授業の終わり(3時間目とかの終わり)に「さようなら」「じゃーねー」「バイバイ」と子どもたち同士の自然なやりとりの声が教室から聞こえてきます。
帰る前に、娘は校長先生にも声をかけて少しやりとりをしてから帰ります。
そして、毎回ではないけれど、担任の先生が娘と談笑しながら階段を降りて靴箱まで送ってくださいます。そして、親であるわたしともたわいもないコミュニケーションをとってくださっています。そんな形式張らないそんなやりとりの一コマ一コマが、とっても自然で、あたたかくて、本当に本当にありがたいのです。そんなへんちくりんな通い方をしている娘でも、特別に対応してもらっているのではなく、ちゃんとここに存在している『ひとりの生徒』として認めてもらっているなと思うのです。

こうしないとダメってことではなくて、そこにそれぞれがそれぞれを思う「気持ち」がちゃんとあるなぁと思うんです。

ただ、大人数が通う学校で、こんなやりとりを先生方に求めるのは本当に酷だとわたしも思います。先生方が少ない人数で、下手したら担任の先生1人で、何十人という子たちを束ねて、定められた学習を全てこなさなければならない。先生方も必死なのだと思います。

でも、それでも、子どももみんなそれぞれ違う人間です。学校の当たり前の波に乗れない子もいる。その波がゆっくり過ぎてつまんない子もいる。
それなのに、ほとんどの全ての子が「みんな」と一緒に同じところに注目させられて、みんな同じように学ばなければいけない。
書くのが得意な子は書いて覚えて、見て覚えるのが得意なら見て覚えるでいいと思うのですが、未だに漢字ドリルは全部埋めるのが基本で、早く綺麗に全部埋められた子が誉められる世界です。
そのように、学習面だけでなく、色々な面で、「みんな同じようにする」ことが求められているという現実があります。(特別支援学級などもありますが、あくまで、「普通クラスでは難しいので」と言う対応で、「みんな」「普通」と言うものが「通常」であって、「そうでない」場合と区別される感じにわたしは違和感があります。)

そんな中で、今、通っている山間の学校には、「みんな」が存在していないとわたしは感じています。
人数が少ないから、「みんな」ではなく「ひとり一人の集まり」という感じがするんです。
違う考えや生き方のひとりひとりが集まっている場所だなって。
「学校に普通に行っている子」も「そうでない娘」も、当たり前にそこにいて、自然にやりとりしている。
社会でも学校でも、こんなふうな考え方で成り立ったら、こんなに素晴らしいことはないと思います。


* * *

こんなエピソードもあります。

娘は、夏休み明けにに小学校のお友達からもらってきたというお土産のクッキーを本当に嬉しそうに大切にしていました。「本当に美味しかったから、みんなにも食べてほしい」とお友達が学校のみんなと先生たちに持ってきてくれたのだそうです。
そして、担任の先生もこの間、離島へ戻られたとき(奥さまが離島の学校の先生)にお土産のお菓子をクラスの子どもたちにも買ってきてくださいました。

とびきりの出来事では無いけれど、なんだか、とってもあったかいやりとりですよね。
学校でこんなやりとりが自然とあることが本当に貴重だなと、こんな心の交流を子どもたちにはたくさん心に刻んでほしいとわたしは思うのです。

だけど、ほんの少し大きな学校になると、「学校にお菓子は持ってこない」と言うルールのもと、一蹴されてしまうことでは無いでしょうか。そうでなかったとしても、「ルール」だからって、勝手に忖度して?お土産持っていかないのが当たり前になってたりしませんか。「お土産を持っていく/いかない」ってことではないんです。「『みんなに食べてほしい』だから持っていこう」っていう子どもたちの本当に自然な優しい気持ちを素直に出せないのって本当に残念だなってことです。小さな小さなことだけれど、本当はあたたかくて子どもたちに必要で大切な交流が、今の一般的な学校では、本当にたくさんのルールで全て封じ込まれてしまっているのでは無いかと感じます。

「ルール」や「きまり」で縛るのは簡単です。「ルール」だから守りなさいと言えば済む。でも、そうではない目の前の人と人同士のやりとりや交流の中で、落とし所を見つけていくような感じでいいのでは無いかと思うのです。「ルール」は本来そういう人と人がスムーズにことを進めるためのツールで、「ルール」通りで無くても、そこにいる人がそれでいいと思えるなら、別に「ルール」を守ること自体には深い意味は無いのではないかとわたしは思うのです。「ルール」は守らなくてもいいと言いたいのでは無くて、そこにいる「人」が「人」を想えば、きっとそんなギスギスしたものではない「あたたかい」解決策がきっとあると思うのです。

結局は、子どもたちそれぞれがそれぞれの一人ひとりの人として大切にされているかと言うことに尽きると思います。

* * *

今の学校に通わせる前に、わたしは校長先生に話をしに行きました。

わたしは、娘が不登校になったからと言って、学校にもう通わなくてもいいと思っているからと言って、娘の未来を諦めたわけでは無いんです。と。
娘は学校には通わないけれど、でもわたしは娘は何にだってなれると思っています。と。
なりたい職業があるのなら、どんな道でもきっと叶える方法はあると思う。と。
ただ、そのときに、今、「学校」に通っていなくて、「長期欠席」だったと言うことが「欠席日数が多い」ということが、不利になることがあるかもしれないことが気がかりです。と。

そうしたら、校長先生は色々調べた上で、連絡してきてくださり、フリースクールに通う日は学校は出席扱いにしますとおっしゃってくれました。

(前提として、本来は通知表を付けることは文科省は定めていないはずなので、出席日数が高校受験の際に調査票と称して提出されなければいけないこと自体がわたしはおかしいとは思ってはいます。ただ、特例的な対応はあるとしても、慣習として、少なくても宮崎・鹿児島では未だにそういった仕組みとなっている事実があります。)

* * *

わたしは、今、娘が通うこの小学校は、「未来の夢みる小学校」の原形では無いかと感じています。

今、娘は、今の国の制度の中でも、仕組みの中でも、校長先生が認めてくださって、担任の先生や周りの先生方も、お友達も、保護者の皆さんも、娘を「普通に学校に通わないそのままの娘」として受け入れてくださっているので、「時間割」とか「通知表」とかそんなものに縛られずに、ありのままの娘のままでも「学校」の中に居場所があります。
そして、それが特別なことではなくて、娘以外の子どもたちもそうやって大切にされていると感じます。
そんなあたたかいやりとりを日々目の当たりにしていると、関わる大人(親・先生・地域・周り)が、「学校は行かないといけない」とか「宿題はしなければいけない」とかそんな凝り固まった価値観ではなくて、「その子にとってどうか」ということに誠意を持って、真心を持って、対応すれば、解決できないことなんてほとんど無いとそう思うのです。

* * *

今、世の中一般で、普通の学校で、それができないのは、狭い教室に、子どもたちを押し込んでいるからです。ひとりの先生が、たくさんの子どもたちを見なければいけないからです。

子ども一人ひとりに真摯に向き合う時間が、学校の先生方には無いのです。
いろいろな業務に追われていることもあると思うけれど、何より、一人で見なければいけない人数が多すぎると思います。人数が少なければ心を配って対応できることも、忙殺されてしまうような状況となれば「みんな一緒」で「ルール」を定めて、効率的にできる方が良くなって当然だと思います。

そんなふうに、みんな違って当たり前なのに、「みんな同じ」を子どもたちに要求しているのが、今の「学校」なのです。

昨年3月31日、学級編成の法律が可決され、小学校の学級の人数を5年間かけて40人(1年生は元々35人でした)から35人に引き下げられることがようやく決まりました。学級の人数が引き下げられたのは、教育現場から長い間出され続けた強い要望であったのに、昭和55年以来のことだったそうです。
そう、40年かかってやっとです。
移住にあたって、公立小学校もたくさん見学して回りましたが、やっぱり40人は多すぎると思います。見ためでも、ぎゅーぎゅーです。でも、少なすぎるのも、手をかけすぎてしまうと思うので、クラスの中で色々な子を見渡して対応していくなら、1クラス15人とか20人くらいがいちばん良いのでは無いかと、個人的には思っています。

少子化で、子どもたちは減り続けているのに、子どもが少なくて大人が多くなっているのに、子どもたちの環境は40年も、わたしたちが生まれる前からほとんど変わっていないんです。いつまで経っても、そうやって狭い教室に閉じ込めて先生が子どもたちを管理しようとしている状況なのです。

でも、これって、先生のせいではない。
こんな学校を作っているのは、わたしたち一人ひとりが作ってきた社会なんだと思います。
これから先の未来は、今の子どもたちが作っていきます。
その「未来そのものである子どもたちにとって、どんな"今”が必要か」一人ひとりの大人がしっかり考えないといけないのでは無いかと思います。
少しでもよりよくなっていくように、関心を持ち続けないといけないと思います。

ずっと、人々は便利さを求めて、山間を離れています。
今、わたしが住む曽於市の山間の学校はどんどんどんどん学校が閉校になって、どこかの学校に統合されていっています。
40人学級が40年かけてようやく35人学級になろうとしている一方で、山間の学校は急速に無くなってどこかに集約されていっている。
曽於市の現市長が市長判断で閉校を指示されることはありません。曽於市のどの小中学校の閉校も、各学校の子どもの人数が減りに減ってしまい、仕方なく地域から要望が出て決まるという状況です。
学校が無くなるときは、長い長い歴史があった学校でも、本当に簡単であっけない。でも、新しい学校ができるのは本当に容易なことでは無いのです。無くなってから気づいても遅いけれど、その現実は刻一刻と進行しています。
今あるものを活かして、活用する手立ては、本当に無いのでしょうか。視点を変えれば、今、わたしたち一人ひとりができることはまだまだ山ほどあるんじゃないかとわたしは思うのです。

「夢みる小学校」はすぐにでも、明日からでも、目の前の公立小学校で実現できる。そう私は思っています。

ルールや慣習にこだわらずに、その場所にいるその時々の子どもたちの興味や関心、その子たちらしさによって「学校」が形成されていくことが当たり前に行われれば、どんな学校も、結果「夢みる小学校」になっていけるのではないかとそう思うのです。
これからの学校は、今までのように学校に子どもたちが合わせるのではなく、子どもたちに大人が寄り添っていく形に変わっていかなければいけないのでは無いかと思うのです。

「学校は行かなければならない」「宿題はしなければならない」「ルールは守らなければならない」目の前の子どもを置き去りにして、そのことを議論しても、全く意味はありません。
わたしたち大人一人ひとりが誠実に真摯に、この社会を見つめて、目の前の子どもたち一人ひとりと向き合って、その子その子を大切にできるそんな社会になればと願って、わたしは今、突き進んでいます。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました