元優等生の"人生やりなおし”物語

元優等生の30代後半までの葛藤と、"人生やりなおし”を決意したその後の日々や思いを綴っています。

コロナは終わるのか

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


昨日のニュース、
新型コロナウイルスの第5類引き下げを検討しているそう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221228/k10013936641000.html

わたしとしては、コロナなんてもうとっくに終わっている。
というか、結局最初から無かったのだと今となっては思う。

先日、野草の話を聞きに行ったら、久しぶりにコロナの実情の話を聞いて(と言っても、厚生労働省から出ている数字などをただ積み重ねた話なので、誰でも調べればわかることで、かつ体感でみなさんわかっていることもたくさんあると思うのだけど)、今を生きている子どもたちのことを思うと本当に悔しい思いしか無くて、怒りが沸々と湧いてきた。

今の中学3年生、高校3年生はもうすぐ卒業を迎えるわけだけど、その子どもたちは、この3年、大事な青春の学校生活で、ほとんど友達の顔を見ることが無かったのだと思う。
マスクをしていて、知っている人に気づかないことって、今や誰にだって、経験があると思う。わたしは、マスクを外しているから、よく声をかけられるけど、わたしは気づかないことがほとんどで。
友だちや仲間との密な話・コミュニュケーションを交わして、自分という存在を深めるような大事な時期にそんな青春を過ごさせた、その状況を見過ごしてきたわたしたち大人の責任は本当に重いとわたしは思っている。

* * *

今年2022年、別に守るべき立場も無いので、スーバーでも高齢者だらけの温泉でも、何度声をかけられても、ほぼマスク無しの生活を送っていたわたし。

だけど、ただ1箇所だけマスクをしていた場所があった。

それは、子どもたちの学習の採点のお手伝いをしている教室。

わたしは、繰り返し計算とか、漢字の書き取りとか、もう本当に意味が無いと思っている。わたしには「学校」の日常は非日常になっていて、でも、世の中の多くの子どもたちはまだなおその日常の中にいるので、日々どんな勉強をしているものなのか接しておきたくて、お手伝いを始めた。

ただ、お手伝いをする中で、お手伝いをさせていいただいている先生が、目の前の子どもたちをしっかり見て、子どもたちに状況・状態によって、その子の今や将来を考え、対応されている姿は素晴らしいと思っていて、子どもたち自身もほっと息をつける場になっているのでは無いかと思って、その姿を日々学ばせてもらってきた。

その教室は、その先生の場なので、その先生の邪魔にならないようにしたいと思い、わたしはマスクをつけることにしていた。
先生は、マスクを外す子どもも認めていたし、わたしも「マスクをしてください」と一度も言われたわけでは無かったのだけど。
そんなわけで、唯一わたしがマスクをする場になっていた。

* * *

ただ、秋頃から徐々に「暗黙の了解」のうちに動いている日本人の姿が、今の生きづらい社会を作っているような気がしていて。

映画「夢みる小学校」の上映会をして、たくさんの人に映画を知ってもらえた喜びや感謝を感じつつも、「普通」とされるものに照準を合わせて、少数の意見を切り捨てて、少数を排除して成り立っている「学校」を作り上げているのは、やっぱり、一人ひとりの「小さな声」を無視し続けていること誰よりもその声を無視しているのは「自分自身」で「これくらいは我慢できるから」と(無意識の考えかも)思っていて、声に上げることも無いからでは無いかと思う)が大きいのだと痛感して、上映会を終えた後、自分に正直にいたいと思って、ついにマスクを外すことにした。

わたしが、その先生のことを信頼する気持ちにも、先生の場を大切にしたいという想いにも、何ら変わりはないのだけど、わたしは、マスクをする意味を感じていないし、子どもたちにとってマスクをしない大人の存在が、何かしらの意味を成すと思って。

先生に確認してから、マスクを外そうかとも思ったけれど、禁止されているわけでも無いのに、わざわざ聞くのもどうかと思う。そんなの、結局、責任転嫁しているだけだから。結果、もし、「マスクをしてもらわないと困る」と言われたら、残念で仕方ないけれど、そのときは「仕事を辞める」ということも致し方ないと思っていた。

日本人は、「何事も無いように」することが多くって、波風立てないように日々過ごしているけれど、「こうしなければいけない」とか「こうでなければいけない」と言うことではなくて、自分が「こうしたい」「こうでありたい」ことを、躊躇なくスッと出して、ちゃんとぶつかって(と言っても対立する必要は無くて、ただ出し合って共に向き合えばいいだけ)、前に進めばいいだけだと言うことがたくさんある気がしている。

ただ、「嫌なことは嫌と言って、好きなことやりたいことは貫けばいいだけ」ということ。


結局、マスクを外しても、先生は変わらず接してくださっている。

そして、子どもたちは、マスクを外してから反応はさまざま。

「先生、なんでマスクしてないの?」と当日から言って、
「たまには外そうと思って」とわたしがいうと、
「じゃあ、自分も外そう」といってマスクを外す子。

不思議そうに見つめるだけの子。

気づいているけど、特に反応の無かった子が、
先生がいない隙を見計らって、
「先生、マスクは?」と聞いてきて。
「普段からいつもつけていないよ」と言うと、
「こわーい!コロナになるよ。」と言うので、
「こわくないよ、コロナにも罹っていないし」と言った。
文面では難しいけれど、言葉では「こわい」と言っているけれど、本当にこわいと思っているのかなと思うようなやりとりだったと感じてる。

わたしがマスクを外したことが、小さな波になって、何か少しでも子どもたちの心に届いていることを願う。
わたしがわたしでいることでしか、わたしが与えられることは無いのだから。

* * *

第5類に引き下げられたら、コロナは終わるだろうか。

こんなわたしの小6の娘。
好きな時間だけ学校に通い、フリースクールではほぼ誰もマスクをしていない、そんな生活をしている娘。

そんな娘なのに、外出先でふと目を向けると、いつの間にかマスクをしている。

うちは夫は一般的な場所ではマスクをしている。
下の子2人にはマスクをつけさせることはほとんど無かった。
上の子だけは、どうしてもっ・・て所だけは「マスクして」と言うこともあったのだけど、気づけば、今、自らマスクをつけている。
思春期真っ只中の娘。

わたしは、今、結構強めに「マスクを外しなさい」と言っている。
「外せなくなるよ」と。

渋々、マスクを外すけれど、恥ずかしいと口元を隠す。
誰かに声をかけられるのがめんどくさいとも言う。

うちの娘でもこうです。子どものタイプにもよると思うけれど。
このマスク社会で「どうやって、キスするのか?」みたいな笑い話があったりするけれど、はっきり言って笑い事じゃない。今後の人生に大きな影響が出る子もきっとたくさんいる。

本当に、コロナは終わるでしょうか。

自分で決めるって大事だと思うけど、「マスク」は子どもたちが自分の意思でつけたわけでは無い。
大人の都合でつけることになったもの。

こんな社会になってしまった、3年間も見過ごしてきたわたしも含めた大人の責任は重い。

マスクをつけることは法律でも何でもない。
つけるか、外すか、誰の許可を得る必要もない。
自分で好きなように選べること。
薄々は気づいているけれど、
「何事も起こらないように」「自分が矢面に立たないように」
目の前の小さなぶつかり合いを避けていることが、結局、未来ある子どもたちの大事な今を奪っているということ。

国が「終わり」と言って、全てまっさら終わりになるなら良いけれど。
本当の問題が出てくるのは、忘れたころだと思う。
そのときは誰も責任なんてとってくれない。

大人が「自分がどうしたいか」一人ひとりちゃんと選んで進まなきゃいけないと思う。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました