元優等生の"人生やりなおし”物語

元優等生の30代後半までの葛藤と、"人生やりなおし”を決意したその後の日々や思いを綴っています。

終戦の日に思うこと(長文です!)

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

* * *

今日は、2022年8月15日。
77
年前の今日、戦争が終わった。

 

でも、日本の戦後はまだ終わってない。

わたしはそう思う。

 

   

 

今、わたしは学習支援のお手伝いをしている。

夫のミニ四駆コースを手伝っている。

そして、さんすう教室を始めることにした。

 

そんなこんなで、移住したこちらでも、

子どもたちに接する機会がチラホラ増えてきた。

 

そうして、接していて思うのは、

子どもたちがみんな我慢してるし、

頑張ってて、疲れてるなってこと。

 

やりたいことを「やりたい!」って言えずに、

やりたくないことを「嫌だ!」って言えずに、
「わかんない」って言ってみたり、

冗談みたいに笑いながら

「今日ぼく自殺します」って言ってみたり

自虐ネタみたいに

「どうせ、わたしにはムリなんです」なんて言ったりして、

誤魔化している。

 

顔は笑っているけれど、

そんな子どもたちを目の前に

それを聞いてあげるだけで、何もできない自分がいる。

 

   

 

最近、とても尊敬できるお母さんに出会った。

 

お子さんのことをよく観察して、

よく理解して、否定せずに認めて、

いつでもお子さんの味方になって、

しっかり成長を一緒に踏んでこられたような素敵なお母さん。

子どものことを純粋に思っている気持ちが伝わってきた。

 

わたしもそうなりたいと思いながら、

できていないことだらけだから、

お話し伺いながら、お腹がぎゅーっとなったけど、

でも、こんなお母さんに出会えて心強いなと思った。

 

 

でも、そんなお母さんからこんな言葉が飛び出した。

 

「将来やりたいことができるように、勉強する子がたくさんいる学校を受験させたい」と。

 

   

 

その話を聞いて、

すーーっかり忘れていた記憶がふっと蘇った。

 

そういえば、わたし、中2のとき、

「佐土原高校のデザイン科に行きたい」って

そう思って調べ倒したんだったって。

 

佐土原高校に行きたいって、

わたしは親に伝えたことがあったかな。

結局、

実家がある都城からは遠かったし。

お金かかるかなと思って。

わたしにはそこまでの力は無いかなと思って。

親に遠慮して、わたしが勝手に諦めたんじゃなかったっけ。

その後、中3になって高校を選ぶとき、
(このときのことはよく覚えている)

調理師になりたくて、都城農業高校を希望をした。

父母は大反対で、わたしの話聞いてくれなかった。

「調理師の勉強は大人になってからもできる」って伯母に説得されて、

結局、高専(建築)に進み、そのまま20年以上その道で生きてきた。

 

       

 

最近、

デザインというまではないけれど、

そんなお仕事に少し携わらせてもらっている。

わたしのインスタを見て、声をかけてくださった。

わたしにイベントの案内図つくって!と頼んでくれた友達もいる。

Jya-Jyaジャジャのロゴを作ったり、自分で写真を撮ってチラシを作ったりもしている。

よく考えたら、ずっと苦しみながら建築やってるときも、

図面を仕上げるのは好きだった。

 

直接そういうデザインを学んだわけではない。

でも、学んでなくても得意だし、好きだ。

その道でずっとやってきた人には、もちろん到底叶わないけれど。

 

そんなことを今やってると、

20年以上前のわたしの選んだ道は

間違って無かったんじゃないかとふと思う。

 

そのときはまだ子どもで、

経験が無くって、確信が無かった。

親や周りの大人、先生が言う通りにした方がいいのかなって。

押し切って、うまくいかなかったらどうなるんだろうって。

そう思って、20年以上も遠回りしてきた。

あのとき、あの道に進みたいと素直に言えていたら、

やりたいことをそのままやっていたら、

やりたくないことをやらなかったら、

わたしの今はどうだったのだろうかとそう思う。

 

   

 

「欲しがりません、勝つまでは」

 

 戦時中、繰り返された言葉。

 

当時は、

食べるものや暖をとることさえ、我慢させられていた。

限られた情報の中で、

おかしいと思ったことにも「おかしい」と言えず、

やりたくないのに「やりたくない」と言えず。

命さえ、国のために差し出さなければいけなかった。

みんなそうしているんだからと。

 

たくさんの死ぬしかなかった命が

終戦記念日前になると浮かび上がるけれど、

 

それでも、最後の最後の最後のところで、

自分の気持ちに嘘をつかず、

我慢せずに、諦めずに、

自分のために、家族のために、

歯を食いしばって、生き延びた人がいる。

そのおかげで、今に命が繋がっている。

       

 

戦争が終わって、

77年も経った今。

 

みんながしているからと我慢して

(もう我慢しているって気持ちすら麻痺しているかも)

宿題したりマスクをしたりしている子どもたち。

 

今、我慢して努力(勉強)しなきゃ、

未来は開けないって思い込まされてきた大人たち。

 

わたしだってそんな大人のひとり。

「そうじゃない!違う!」って

「それじゃ幸せになれない」って

嫌ってほどわかっているのに、

尊敬できる方がそういうなら、、、と

「将来やりたいことができるように勉強する子がいる学校を受験させたい」って言葉に

少しグラっと軸を乱された。

 

子どものことを思う純粋な気持ちから出るそんな言葉を思い返して、

「未来」そのものである子どもたちの今の姿に悔しさが込み上げる。

 

戦争が終わったあと、上は変わっても、

「欲しがりません、勝つまでは」の精神を利用されて、

わたしたちは、根強く教育されてきたんだなぁって。

 

そして、そんな大人が今の社会を作ってきたんだなぁって。

 

   

 

「わたしたちは、

 いつまで、欲しがったらいけないんだろうか」

 

モノだけは嫌ってほどばら撒かれて、

食べるものや着るものは溢れている今。

戦時中のような「生きる」に直結するような

我慢は無いかもしれない。

 

だけど!

「生きる」ために持っておきたい輝きみたいなものを

我慢することを強いられている今。
子どもらしく過ごすことや、自分らしくいること、
そして、やりたいことを今やることを制限される今。
しかも、「子どものために」っていう

あたかも聞こえの良い言葉で押し付けられている。

 

今や、日本の自殺者は年間2万人超。

10代~30代の死亡原因の第1位が自殺で、

自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は

主要先進7カ国の中で最も高くなっていると言われている。


子どもたちが今、やっているやりたいことの先に、

子どもたちの未来がある!

 

楽しくない""の先に、楽しい未来なんて無い!

 

人生、楽しんでなんぼ!

 

わたしは、強くそう思う!

 

未来をつくる子どもたちが、

人生を楽しめる世の中にシフトしていきたい。

 

「やりたい/やりたくない」ことを

素直に「やりたい/やりたくない」と言える世の中に。

「やりたい」ことを""やれる世の中に。

 

変わっていきたい。

変わっていこうよ。

わたしたちの世代で。

 

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました