元優等生の"人生やりなおし”物語

元優等生の30代後半までの葛藤と、"人生やりなおし”を決意したその後の日々や思いを綴っています。

なぜ学校は変われないのか

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、
鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリを
やっています♪

 


年内か年度内に、
映画「夢みる小学校」の自主上映を
たからべ!でやりたいと考えています。

わたしは、子どもたちの学びのベースである学校を変えたい!とそう強く思っています。

昨日、曽於市教育委員会主催で、教育映画自主上映研修会と称して開催された、「夢みる小学校」の上映会。
曽於市末吉町で開催され、そのことを知ったわたしは家族を連れて行ってきました!
(3月にガーデンズシネマでわたしと小6娘だけ観てたけど、夫にも観て欲しかったから!よかった!)

曽於市市議のせとぐちえりさんから教えていただいたこの上映会。
なんと発案者は教育長とのこと!!!!素敵過ぎる!
2部上映の1部には市長も来られていたそうで!

冒頭、教育委員会の方からこんなお話しがありました。

全国20万人とも言われる不登校の児童数。
学校が子どもたちに合わなくなっているのではないか。
学校が子どもたちが行きたいと思うような
魅力的なもので無くなっているのではないか。
どうしていくのがいいのか考えていきたい。
その一助になればと開催しました。

自戒も込めて、そうおっしゃっていました。

このことを聞いて、
そうだよな・・・行政も変わりたいんだよな。
ってすごくすごく!そう思いました。

* * *

わたしは以前、公務員でした。
福岡のとある市役所に勤めていました。
公務員だったころ、すごく思っていたことがありました。

行政って、弱い人のためには働けないんだなって。
声が大きい人の声に動かされているんだなって。

国も県も市も、
行政がやることは基本的に税金から支出されます。
みんなのお金でやるってこと。
だから、失敗できないし、みんなが納得できる使い方をしなきゃいけない。
説明のつく使い方をする必要があるってこと。

だからどうしても、前例主義になります。
今まで特に意見が出てこなかったことだから。
行政側は安心して取り組めるんです。

何か直接的な問題があれば、
変えていくとは思うけど、
特段、目に見えるような大きな問題がなければ、行政側だって、なかなか変えていくには勇気がいります。

もし、変えてしまって、少しでも問題が起これば、
「なんで変えたのか!?」
「誰が変えたのか!?」
「誰が責任を取るのか!?」
と言われてしまうから、これを変えようと思うと、変えようとするための根拠がいるんですよね。

そんな感じなので、
何か市民の意見や声みたいなものがあると、変わっていきやすい。
というか、変わらざるを得なくなる。

* * *

声が大きい人っていうのは、
行政側に話をしに行けるような力のある人のこと。
例えば、政治家。
議員さんなんて市民・県民・国民に選ばれているのだからまさにって感じ。
あとは行政に話ができるような間柄の人だったり、
行政にかけ合えば何かできると行動力のある人だったり、
行政が何をやっているか調べて意見できる力がある人だったり。
何か癒着してるとかそういうことではなくて、
行政で働く人だって人だから、目の前で訴えている人に心は動くわけで。
だから、そういう力を持っている人は、そういう力を与えられたのだから、そういう場があるのだから、社会の全体を見渡して、ちゃんと弱い立場の声も聞き取って、発してあげないといけないとわたしは思います。

本当は誰だって、声を上げていいと思うだけれど。
でも、
今の日本人はそういうことを小さいとき押さえ込まれているから、とてもじゃ無いけど、、、ってやらない人、できない人がほとんどだと思う。

事実、行政がいくらパブリックコメントをって情報を出しても、意見が上がらないことがほとんどです。

形だけのパブリックコメントになりがちなのも、このせいだと思います。
わたしは、意見が上がらないことを利用しているんじゃないかと思う場面をいくつか見たことがあります。
そんなふうに行政主導で進められた事業をいくつか見てきました。
本当にいいの?って思いながら、何も意見が出なかったんだからと進められていくのを。


でも、だからって行政が完全な悪だとも思いません。
志をしっかり持ってやっている人も現場もたくさんあるからです。
それも見てきました。
市民側は知らされていないって思うけど、行政側も広報やHPや市民ラジオやら色々駆使してやるし。
それでも、それもお金がかかるから、大々的にはできなかったり。

そんなふうに良い理由、悪い理由色々あるけど、いろんな事情で、一人一人がしっかり調べなきゃ、たくさんの人が知らないことや制度が本当にたくさんあり過ぎるのが行政の現状で、声が上がらなければ、一部の人の考えで、一部の声でいろんなことが決まってしまいます。
そんなふうに行政の仕事は進んでいるなというのがわたしが見てきたことなのです。

住民説明会なんてやっても、ほとんどの人はやってこないのです。
自己責任ってそれぞれに押し付けれることばかりで、みんな自分以外のことには関心がほとんど無いからじゃないかな。
それはわたしもそうなのだけど。

ほとんどの人は今の現状に大きな不満は無いのだと思います。
いや、ないわけでもないと思うんだけど、もうめんどくさいって思ってるんだと思う。
じんわりじんわり居心地が悪くなってきているのに、まー自分は大して困っていないと思っている。
だから、まぁいいやって黙っている。

そして、本当に困っている弱い人は、声を上げられない。。
生活に精一杯とか、目の前のことで精一杯とかで、そんな余裕は全く無かったり、声を上げればいいってことも知らないのだと思います。
どう声を上げればいいかもわからないのだと。
そうやって、ただただ我慢するしかない毎日を送っているんじゃないかと。
もしかしたら、
我慢しているって意識もないままに過ごしているのかもしれないと。

* * *

そんなふうに、この世の中は、
少しの 声が大きい人 と
たくさんの 黙っている人 と
これまた少しの 声を上げられない声の小さい人で
成り立っています。

声を上げられない人って、
生活が苦しい人もそうだし、
子どもや動物や植物なんかの環境だってそう。
わたしたちは、そういう直接声を上げないものをたくさん犠牲にしているってことだと思います。

* * *

小6娘が不登校になったころ。
学校のやり方と、娘の特徴というか特性というか、娘の個性が合わないんだなって思ったとき、
学校がもっと自由だったら行けるのに・・・
ってすごく思っていた時期があります。

学校が変わってくれたら。
先生が変わってくれたら。
って。

でも、今は行政も学校も先生も苦しい。
一番苦しいのは子どもたちです。
みんな変わりたいんだよね。
じゃ、なんで学校は変わらないのか。変われないのか。

わたしは、みんなの、世間の声だと思います。
特に大人の1人1人の意識や考え方なんだと思っています。
世間が、わたしたち一人ひとりの意識が変われば、
きっと学校も、社会も、誰もが生きやすく楽しいモノに大きく変わっていく!
そう思っています。

黙っていたらいけないんです。
どんなに小さな小さな不満でも、声を上げていかなきゃいけない。
自分で声を上げられなければ、隣の人に話して、聞いた人は議員さんに繋いであげるとか、そんなふうに小さな小さな声を上げていかないといけない。

学校でも、どうしても、正論と思い込まされている言葉にみんな飲み込まれてしまいます。
「隣のクラスは、こんなに授業が進んでいるんだから、平等に学ばせてくれ」
「子どもたちに学習習慣をつけるために、宿題をもっと出してくれ」
「危ないからやらせないでくれ」
確かにもっともらしいけれど、それはわたしたちがそれがいいのだと小さい頃から言われ続けながら育ってきたからそう思っているだけで、
「人は皆違うんだから、クラスごとで違って当然」とか
「宿題は少なくして、遊ぶ時間を確保したい」とか
「多少怪我しても、経験させたい」とか
理由が正しくないと思われるような意見も大事だと思うのです。
心の中でそう思っている人はたくさんいるんです。
だけど、声を上げない人はたくさんいるんじゃないかとわたしは思っています。
うまく言えないけど、そう感じている人はたくさんいるんだと。

でも、それが当たり前だと、結局、声を上げる人の意見に、先生も学校も流されてしまうのです。

どんなに正論(と思われていること)と逆行しても、先生が言うことと逆行しても、小さな小さな意見を声を上げていくことから、そんな声に耳を傾けることから、変わっていくのだと思います。
どんな意見も、いろんな人がやってくる学校には大切な意見だからです。
この社会もそう。
学校でいいと評価される人ばかりでなく、どんな人も大切にされないといけないんです。

大人が思う学校は、過去にわたしたちが通ってきた今までの学校です。
我慢して、先生の言うこと聞いて、やりたくない宿題をして、今頑張らなきゃ未来が開けないって思わされてきた学校。
それが当たり前だからって思っていて、変えた方がいいってことすら大半の人は思っていません。
そう思わないように、わたしたちは育てれられてきたんです。

* * *

映画「夢みる小学校」は、大人も子どもも行きたいと思うようなそんな夢みたいな学校が本当にあるんだと言うことを教えてくれます。
そして、それでいいと、それがいいと思えます!
どこか遠くの私立の学校だけにできることじゃない。
わたしたちの近くの学校もそうなれるって教えてくれるんです。

だから、わたしはたくさんの人に見てほしいのです。

* * *

市議せとぐちえりさんの娘さんが映画を見て「うらやましい〜!」と言っていたと投稿されていました。
娘さんとはわたしも面識があって、普段関わらせてもらっています。

そうなんです!
知ったら、みんなそっちがいいって思うはずなんです!


うちの小6不登校娘は本当に、そんな生活をしています。
わたしの目の前で!
そして、そんな子どもたちをわたしはたくさん知っています。

でも一方で、わたしの目の前で、
「学校に行きたくない」「宿題やりたくない」「わからない」「わたしにはできない」と言う子どもたちもたくさんいます。
そんな学校があると言うことさえ、わたしたち大人も、子どもも知らないのです。
わたしだって、「学校のような世界が全てだ」と半ば思って、30代前半まで生きてきました。
なんでかわからない、生きにくさ、苦しさを抱えながら。

映画の中で、
「夢みる小学校」の学園長である堀 真一郎さんが
「わたし、この学校にいると、わたしでいられるの」
と言う子どものことを話しながら、
「自分が自分でいられない と言うことは一番辛いことかもしれない」
とおっしゃっていました。
わたしは「自分が自分でいられない」まま、30代前半まで生きてきたんだな。
だから苦しかったんだってそう思いました。

そんな思いを、子どもたちにはして欲しくない。
遠回りせずに、その子その子がその子らしく生きていけば、きっと素晴らしい能力がこの世界に満ちてくるのだと思います。
そうすれば、きっと自ずと社会も素晴らしいものになるとわたしは信じています。

「それぞれの子どもがそれぞれの子どもらしく」
 いられる学校に是非とも変わっていってほしい!
 そして、それを望む世の中になったら!
 それを望む大人が、そんな声を上げられる大人が増えたらなと思っています。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました