父は、かつて、東芝関連のエンジニアでした。
大学にはいっていませんが、専門学校で電気を学んでいて、
電気のことが好きだったんだろうと思います。
わたしが知っている限りはずっと、毎月、専門雑誌を購読して読んでいて、
居間に山積みになっていました。
パソコンも割と早い時期から家に何台もありました。
分解したり、組み立てたりしているパソコンも何台も家にあって。
父は何か好きなことがあるんだなと子ども心に思っていました。
母は、かつては幼稚園教諭をしていましたが、
平日に休める仕事がしたいとデパートで働いたり、
結婚してからはパートに出ていました。
父と母は結婚してすぐ、父の仕事の関係で、
大分県に住んでいたそうですが、
母が地元に戻りたがっていたり、
祖母(父の母)が戻ってほしいと思っていたのを尊重してなのか、
父は仕事を辞めて、地元の市役所の採用試験を受け、
都城市に戻ることにしたようです。
母曰く、市役所に勤務していた父は、
働き始めた1日目から仕事に行きたくなかったようです。
父は好きなことがあって、十分それを活かして
仕事を得ることができるように私には思えていました。
わたしがちいさかったころは、水道局の勤務で、
割と父が好きな電気のことを活かして仕事をしていたと感じていました。
ただ、わたしが中高生になったころには、
異動して建築課で働くようになり、
そのうち管理職になったころには我慢して市役所に通っていたように思います。
わたしにとって、最も身近な大人がそうだったので、
働くということはそういうことなんだなと思い込んでいました。