元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

「宿題」を子どもの成長の機会にするために

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


宿題は誰のため?
子どもたちは「自分のため・・・」と渋々答えます。
学校では、そう、言われていますからね。

では、おとなのみなさん。
宿題のおかげで今のあなたがあると思いますか?

わたしはそうは思いません。
わたしが、学生時代に勉強ができたのは宿題をやったからじゃなかったからです。
自分なりにノートにまとめたり、自分が覚えやすいように工夫したり。
宿題のおかげでは無いし、宿題をしなかったからといって、そんなに変わらなかったんじゃないかなぁと思うわけです。

まして、学校で学んだことで、今身になっていることがどれくらいあるだろう。
学校で教えてくれたらよかったのに!と思っている もっと大切なことの方が山ほどあるなと思っているくらいです。
小中高校で学んでいることって、受験のためのもので、本当にそんなに長い時間かけてやらないといけないのかなって思っています。

話が逸れましたが、みなさんの場合はどうでしょう。
「宿題」があったから、今のわたしはあるって言えるくらい、重要なものだったと思いますか?

* * *

学校の先生が、クラスのみんなに出す宿題は、クラス30人〜40人全員に向けたものです。
クラスの中には、成績のいい子もいるし、地頭のいい子もいる。
勉強はあんまりだけどスポーツが得意な子もいますし、勉強嫌だけど絵を描くのが好きな子もいます。
みんな理解度も、関心も違うのに、みんなおんなじ宿題。
なんなら、一度代わりにやってみましょう。
そうやって、少し考えたら、「あれ?本当に宿題って自分の子のためになっている?」
そう気づくのでは無いでしょうか。

もし、目の前の子が、やっている宿題の問題の前の単元でつまづいていて、今やっている宿題が全くチンプンカンプンだったとしたら、「今やっている宿題をちゃんと終わらせる」ことは、その子にとって何も意味が無いことはわかると思います。

それでも、

毎日、たった1枚の宿題でしょ。深く考えずにやらせておけばいい。
わたしたちもそうやってきたでしょう?

って意見が聞こえてきそうですが、、、、
本当にそうでしょうか。

昔は、不便だったり、楽しいものがこんなに溢れていませんでした。
だから、宿題をしていたって、どうしても自分で考えないといけない場面があったんです。
だけど、今は、とっても便利だし、楽しませてくれるものばかりだし、おとなが常にあれこれ指示して安全だし。
子どもが何にも考えなくても、なんでもうまく、安全にことが過ぎてしまいます。
その中で、やりたくもない宿題。
子どもたちは、日常生活の中で、考える(必要がある)時間がありません。
遊ぶために、ゲームをするために、「いかに考えずに、簡単に宿題を終わらせることができるか」この技をどんどん身につけていきます。

たかが宿題だけれども。
1日30分・週に5日やったとしたら、1ヶ月で10時間。
1年で120時間。
義務教育の9年間で1080時間です。
高学年になったら、もっと求められますよね。
それだけの時間を、「考えない」ために使っているなんて・・・。
本当に子どもたちの力になるものに使うことができたなら・・・。

わたしは、今、お金云々よりも、子どもたちには「時間」が足らないと思っています。情報が多くなって、サービスも多くなって、子どもたちが本当に忙しい。
ゆっくり、心を動かして、あそぶ中でしか育てることができない体・心・頭があるはずなのに。

その中で、「学校に通う時間」「学校の宿題に割く時間」が
本当に《子どもたちのため》になっているか、よく考える必要があると思っています。

「自分」のことを心底考えてくれる人は「自分」以外にはなかなかいません。
宿題を出している学校の担任の先生が、「自分の子」のことだけを心底考えてくれるとは限らないのです。
担任の先生は、大体1年で変わります。
10年後、20年後まで責任を持ってくれるわけじゃない。

「宿題を(自分にとって本当に必要かどうか何も考えずに)言われたとおりにする」ということは、「自分の人生を他人に任せている」ということなんです。

子どもは子どもだから、宿題が何かなんて知りません。
宿題がこの先にどう繋がっているのかも知りません。
大好きな親が『自分を通わせている学校』の先生が「良いものだからやりなさい」「ちゃんとやってきてね」と言われたら、「そういうもんか」とやってしまうものです。

だから、年齢が小さいうちの環境設定は、誰よりも我が子のことをいちばん考えている親が、真剣に考えて選ばないといけないとわたしは思います。

* * *

さんすう教室コポリで扱っている「どんぐり問題」。
その問題を考案した糸山先生は「学校の宿題はさせないで!」とおっしゃっています。
「しなくてもいい」じゃなくて「宿題はさせてはいけない」と。

自動宿題しますマシーン(親が宿題を代行する)を稼働させても、させたらいけないとおっしゃっています。

それは、無意味どころか、子どもたちの考える力を奪うからです。
さんすう教室コポリのサイトにも書いていますが、わたしも、心からそう思っています。

kopolimath.hp.peraichi.com


学校から出る宿題が、本当に「自分の子どものためになっているか」「自分のためになっているか」、一度しっかり立ち止まって考えてみませんか。

いきなり「宿題はしない」って選択でなくても、

毎日、「これは我が子の今の状態にあっているものか」「これは自分にとって必要か」ちゃんと向き合って考えてみる。

「これはやらせるけど、これはいい」と子どもの様子をみて、まずは親が決めてみる。

そのうち、子どもも自分で考えて、学びを選ぶようになれば、大したものです!

それを毎日週に5回やったら、
月に20回、年間240回、9年間で2000回以上、
人任せにせず、自分で自分のことをしっかり考える、自分に向き合う時間をとることになります。

毎日のことですから、そこに取り組むか/そうでないかが、5年後、10年後の子どもの考え方、在り方に大きな影響を与えるのは間違いのないことです。

せっかく毎日やってくる「学校の宿題」。
子どもが少しずつでも確実に、大きく成長するの機会にしませんか。
そういった我が子の身近なことを、自分でしっかり考えて取り組む材料にする。
それが、必ず、子どもの人生を支えてくれるとわたしは思います。

* * *

追伸:
学校の先生との摩擦は、親がしっかりフォローしましょう。
家庭訪問や普段のやりとりの中で親の考えをしっかり伝えておけば、「親の責任で宿題をさせていません」と言えば、わかってくださる先生方もたくさんいます。
また、そう言った考えの人が増えてくれば、学校側も変わって行かざるを得なくなる。

今まで、学校のいうことに対して、わたしたち多くの大人が従順に従ってきてしまったがために、学校は変わるチャンスを逃してきたのだとわたしは思っています。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました