元優等生の"人生やりなおし”物語

元優等生の30代後半までの葛藤と、"人生やりなおし”を決意したその後の日々や思いを綴っています。

移住してきてよかったこと〜移住して4ヶ月が経ちましたっ♪

\かつて子どもだった大人たちへ/

 

半年近く!おひさしぶりの投稿になります!

こんにちはっ♪

ひみつ基地Jya-Jyaの大瀬 優子です。

 

鹿児島県曽於市財部町に

家族みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくっています。

 

どうしてわたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めたのか

キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

* * * 

 

 

2021年冬至の日に、福岡県から

じいちゃんちがある鹿児島県曽於市財部町に移住してきて、

もう、4ヶ月が経ちました。

 

福岡から引っ越すときに、

「ブログ楽しみにしてますっ」って言ってくださる方がいて、

ブログ更新したい!

書きたいことたくさん!って思っていたけれど、

やりたいことだらけで、

時には何か焦ったりして、

もう半年近くもほったらかしにしてしまいました。。。

 

また読んでくださるかなぁ・・・

 

やっと、ここでの暮らしも落ち着いてきたので、

ブログもぼちぼち書き綴ろうと思いますっ!

 

なんせ、書きたいことのメモが溜まりまくっていますので笑

 

* * *

 

さて、まず何から書こうかしらと考えて、

「移住してきてよかったこと」かなと。

 

今移住して4ヶ月が経過して

わたしが移住してきてよかったと実感していることは・・・

「不便なこと」「自然が近いこと」かなと。

 

そもそも、なぜ移住を決めたかっていうと、

「自分の持っているものでやりたいことをやりたい」

っていうのももちろん大きな決意ではあったのだけど、

もう一つ、「子どもの存在」っていうのも大きかったのです。

「子どもの成長」のために移住を決めたと言っても過言では無いと思います。

 

そして、今、

「不便なこと」「自然が近いこと」が

本当に子どもたちにいいことしかないなと日々実感しています。

 

* * *

 

今はめっちゃ田舎モンみたいな毎日だけど、

実は、福岡ではデザイナーズのおしゃれな賃貸住宅に住んでいたんです。

 

ボタンを”ピッ”と押せばごはんができて、

蛇口をひねれば温かいお湯が流れてきて、

家の隣にゴミをすぐポイっとできる生活でした。

(実際、水道もレバー式で、蛇口をひねることすら無いのだけど・・・)

 

今は

なるべく電子レンジ(一応あるけどね)を使わず蒸し器で温めていたり、

まだ、ガスをひいていないので、台所の水道からは冷たい水しか出ず、

ゴミ捨て場も歩いて10分ほどかかる公民館まで持っていく。

そんな生活。

 

だから、日々刻々と、不便なことがたっくさんあります。

 

それでも、それが苦ではなく、「いいなぁ」と思うのです。

 

不便だからこそ、

いろんなことを考え、工夫して生きていて、

なんだか生きているなぁと思うんです。

 

お湯が出ず、自然素材の洗剤を使っているので、全く油汚れが落ちません。

そうすると、

「食べたものもこんなふうに体の中にこびりついているんだろうな」とか思ったり、

みかんの皮で洗うと油がスッキリ取れることに気づいて感動したり。

 

ガスをひいていないので、カセットコンロを使っていますが、

ガスボンベの金額の差が激しくって、

3本で200円のモノ、3本で300円のモノ、3本で600円のモノが

大体お店に並んでいるのだけど、

「この差はなんなんだろう?」と考えたり。

(その差はなんであるのかわかりますか?わたしはもう知っています笑

 ぜひ、”簡単に”調べたりせずに、

 色々考えたり、人と話したり、してみてほしいなぁ。)

 

「不便」だからこそ、

人間の脳みそをフル稼働して、考えたり、工夫したり、、、

その中に新しい発見やワクワクがあるのだなぁと。

 

ずっとずっと効率的で、最短で、便利な生活が

一番いいとなぜか思って生きていましたが、

もたもたと、遠回りで、不便な生活が

こんなにも豊かなんだと今、毎日感じて生きています。

 

そんな生活をしていると、

大人が便利さを追求した生活の中では、

子どもも便利で何も考えなくてもいい生活をしているんじゃないかと

思わずにはいられません。

 

通るだけで”パッ”と点く照明や

手をかざすだけで流れてくる水。

小さな小さな子どもが何も考えなくてもできてしまう機会が

この世には溢れているなぁと。

 

便利な毎日は、

「どうしたら明るくなるだろう?」

「どうしたら水が出るだろう?」

と子どもの目の前に何も起こらなければ、

自然に湧き出る子どもの「考える機会」を奪っているなぁと思うのです。

 

* * *

 

福岡に住んでいるとき、長女の不登校をきっかけに、

小6長女は自然いっぱいのフリースクールへ

4歳次女、3歳長男は昔ながらの保育園へ

通わせることにしました。

 

そこで、

長女は自然に生えている苔を見て

「気持ち悪い」と言ったそうです。

 

わたしは、

それを聞いたとき、なんだかとっても愕然としました。

 

わたしたち夫婦は田舎生まれの田舎育ちです。

正月、ゴールデンウィーク、お盆と年に3度は

福岡から宮崎鹿児島と熊本球磨村へ帰省していました。

福岡では便利で近代的な生活をしているけれど、

わたしは田舎の生活を知っているし、

そうやって自然や田舎に触れ合う機会もあるから、

きっと、親から子へ教えてあげられると思ってたんです。

 

でも、自然に当たり前にあるものを「気持ち悪い」と言っている。

 

今になればわかるけど、

娘が悪いわけでは無いんですよね。

「気持ち悪い」って思ってもまぁ別に構わないと思います。

個人の感覚なので。

 

でも、たぶんそういうことではないと思いました。

単に、それがこの子にとって”自然”ではないってことは

わたしたち親がそうしているんだって思ったのです。

田舎や自然を知った子でいてほしいと思っているのに、

自然の中に連れて行っても、

「汚れるからやめて」「危ないからやめて」と

自然は「汚いものだ」「危ないものだ」というメッセージを

ずっと子どもに伝えていたのはわたしたち親なのですから。

 

そうしてわたしは、娘の「気持ち悪い」の出来事を知ったとき、

「知識を教えてもダメなのだ」となんとなく気づいたのです。

やっぱり日々の、毎日の、体験でしか

子どもの身につくことは無いのだ!と思い、

移住の意思が徐々に確かなものになっていきました。

 

実際、こちらに移住してみると、

子どもたちは自然の空気を大いに吸って、

身近にある土、水、石や葉っぱに触れ、

また、それらを使って大いに工夫して毎日遊んでいます。

 

(もちろん、姉ちゃんのお下がりや

 じじばばにもらうおもちゃで遊ぶのも好きですけどね・・・)

 

今までは、わざわざ自然の中に行かないと

そういう機会を持てなかったけれど、

今、日々、朝起きてから夜寝るまで、

そんな生活ができるのは本当に豊かなことです。

 

* * *

 

福岡で通っていたフリースクール、保育園は、

そういったことを気づかせてくれる本当にいい場所でした。

そして、その両方が割と自宅のすぐ近くにあって、

そこにわたしは出逢うことができました。

それは、不登校になった長女がいたから出逢えました。

それこそ、人とは違う、一見遠回りしている娘のおかげです。

 

そこに通っていて感じたのは、

ただ、子どもたちを自然に放てば、

田舎に連れて行けばいいというわけではないということを痛感しました。

わたしたち夫婦は田舎育ちの田舎育ちであったけれど、

大人の「子どもの育ち」への覚悟が必要なんだなと。

 

だって、

子どもたちの顔が、カラダが、ココロが、遊び方が、全く違うのです。

聞いたり読んだりするのではわからない、

それこそ実際にわたしたちが

親子で体験したからこそ気づいたことがたくさんありました。

 

「子どもたちのために」はもちろん、

「わたしの気付きのために」も卒業、卒園まで通わせたい!と

強く思う場所ではあったけれど、

それでも、移住を決めたのは、

「毎日の体験」の積み重ねには変えられない!と思ったからです。

 

そして、これからはその一端でもいいから、

そのことをたくさんの人に伝えられたらなと思っています。

 

また、このフリースクールや保育園を通じてわたしが思ったことは

改めてブログに書く機会を持とうと思います。

このまま書くと、何について書いていたかわからなくなってしまいそうなので笑。

 

* * *

 

さて、、、

何について書いていたっけ笑。

 

移住してよかったこと。

「不便なこと」「自然に近いこと」

って話でしたっ!

 

便利さを引き換えに失ってしまうものがあるなんて、

考えたこともなかったです。

 

便利なものが悪いわけではないです。

日々の生活を助けてくれるし、

それがあるから救われていることもたくさんあるでしょう。

 

でも、

何にも考えなくても自動的にいろんなことがなされてしまう

便利な生活だけしていると、

「考える」機会はぐーんと減ってしまう。

不便な毎日の中で、

筋肉とおんなじで、使わない能力は使えなくなっちゃうんだろうなと思う日々。

便利さと引き換えに、

失いつつあるものの大きさを本当に実感しています。

子どもにとっては、便利なものを追い続けるのではなく、

あえて「不便さ」を選ぶことも大切で、

自然が近い田舎の暮らしは、

それを日々実現するには最適だなぁと思う毎日です。