元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

祖父の住んだ財部町

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祖父母が暮らしていた

家、牛小屋、田、畑、山がある

母の実家。

鹿児島県曽於市財部町。

 

今は空き家になっています。

 

そこにひみつ基地をつくっちゃおうと思っています!

 

* * *

 

母は3姉妹で、

祖父はだれか1人くらいは出戻ると

思っていたらしいのですが、笑

 

結局、誰も戻らず、

祖母が亡くなったあとも

祖父はひとりであらゆることを

自分でこなし、財部町で生きていました。

 

祖父は娘たちの勧めも聞かず、

自動車保険にも加入しなかった頑固モノでしたが、

今思えば、本当の意味で

いろいろなことをしっかり

考えていたのだと思います。

 自分の頭で。

 

わたしにとっては、

いつも変わらず、

ずっと財部町にいてくれた優しい祖父でした。

 

鹿児島支店に配属されて鹿児島で働いていたとき、

財部町の現場に行くたびに、

お昼休憩に祖父のところに顔を出すと、

とても喜んでくれたのを思い出します。

 

小さいころ、山についていって、

「誰も継ぐものはおらんかもしれんけどな」

と植樹していた祖父の背中もぼんやり覚えてる。

 

ずっとひとりで元気に生活していましたが、

わたしが長女を産んだちょうど1ヶ月後、

長年住んだ自宅で、

ひとりでひっそり亡くなりました。

 

大正・昭和・平成という激動の時代を

自分の頭でしっかり考えて生き抜き、

最後までかっこよく逝きました。

 

* * *

 

公務員時代、

空き家対策の担当課にいました。

 

直接の空き家の担当ではなかったけど、

空き家調査をしたりしました。

 

空き家って、人の人生の数だけ、

いろいろな形があるし、

いろいろな問題があったりする。

 

家族の問題だったり、

制度の問題だったり。

 

あと、山を市に寄付したいとおっしゃって

訪問される方もたまにいらっしゃいました。

誰も継ぐ方がいない、

売りたくても売れないと。

 

そういう方が来られるたびに、

TVでそういう問題が取り上げられるたびに、

あぁ、うちもこの先、

誰があの田畑・山を管理するんだろうか‥ と何度思ったか。

 

ましてや、夫も山育ち。

 

地元を離れて働き、暮らすわたしたち。

正直、

どうするのか。

どうなるのか。

答えのない問いに蓋をしとくしかありませんでした。

 

* * *

 

仕事を辞めて、何かやろうと思ったとき、

『やりたいことをやろう』 と思ったのと合わせて、

『自分たちが持っているモノでやろう』 と思いました。

 

今まで、自分が持っていないモノを 求めて生きてきました。

自分に足らないところを努力して 埋めようとしながら生きてきました。

 

でも、それって苦しい。

どこまでいっても、ずっと頑張り続けなきゃいけない。

どうなったら満足できるのだろうかってかんじ。

 

新しく何かを見つけるのはやめて

自分自身の中にあるモノ

自分たちが持っているモノ

そこに目を向けてやろうと思いました。

 

「あの人は〇〇を持っているからできるんだ」

「あの人は〇〇だからできるんだ」

ずっと、そう思って人を羨んでいました。

やらない言い訳もたくさんしていました。

 

でも、 自分にないモノを嘆いても、

他の誰かにはなれないから。

良いところも悪いところも

良いことも悪いことも、

全部引っくるめて、わたしの人生。

自分の人生を生きなきゃ。

 

自分が持っているモノを

見つめ直して、

それを大切にしたいと思います。

 

 祖父母が、父母が、 守ってくれていた場所で、

わたしたちもそこの場所を大切に守りながら、

ありのままの自分自身を大切に、

今までの自分も大切に、

家族ひとりひとりも大切に、

自分たちがやりたいことをやっていきたいと思います!