結婚しても、相変わらずの毎日でした。
結婚したこと自体はとても良かったと思います。
夫は同じ住宅の現場監督の仕事をしていたし、
悩みの共有もできました。
でも、自分の根本的な問題は何も解決されないまま、
ただ、毎日を頑張って生きていました。
当時を今思い返すと、明らかなキャパオーバーでした。
苦手な仕事を、できない量やっていました。
平気なフリを自分でしていました。
引き受ける前に、
無理に苦手な仕事をしなくてもよかったし、
この量はできませんと言ってもよかったし、
誰かに助けてもらえばよかった。
その選択は自分自身でできたはずなのです。
「割り当てられた仕事はやらなければいけない」
「人並みに仕事ができないと自分の存在価値は無い」
そう思い込んで、自分が自分の気持ちを一番無視して、
自分が一番自分を大切にできていませんでした。
生活しなければいけないから働く。
生きなければいけないからやらなければいけないことをやる。
自由に生活している人を雑誌やテレビで見かけても、
ああいう生活ができる人は一握りだよね。
生きるためには仕方ないよね。
けがや病気で働けないときのために、
将来のために、老後のために、
働かなきゃいけないって思っていました。
毎日の流れが速くて、立ち止まりたいのに、
ただ流れになんとか合わせて生きていました。
でも、それを自覚していたわけではなくて、
みんなそんな風に生きているんだ。
わたしも流れに乗っていきなければと思っていました。
* *‘ *
そんなこんなで結婚1年を経るころ、
第1子である長女を出産しました。
幸か不幸か、そのころ、ようやく
産前産後休暇・育児休暇が当たり前に、
自然に取れる流れになっていました。
そこで、仕事を辞めるという選択もできたかもしれなかったけれど、
何の疑いもなく、流れに乗って、
産休・育休1年半を取ることにしたわたしでした。
* * *
長女は、生まれてすぐから本当によく寝る子でした。
妊娠中も、自分自身のことも、
子どものこともさほど労わってやれなかったからかなと
脳裏をかすめたけど、
でも、よく泣いていく少し先に生まれた姪っ子もいたので、
ありがたく、
そして、きっと、よく泣くあの子のような子どもを受け止める用意が
わたしには無いのだなと思ったりしました。
そして、ようやく少し立ち止まれる時間ができました。
* * *
でも、出産して4か月が経過したころには、
子どもを一時保育に預けて、
毎月職場に通って、個人的に会議に出席させてもらっていました。
心の奥底では、
そうしたかったわけでは無いのに、
でも、そのまま休みボケになってしまうのが怖かった。
復帰したときにキツくないように、「今」を大事にできませんでした。
そして、1年半の育児休暇を1年に短縮して、
仕事に復帰することに。
自分なりには、どうやってこれから生活していくか
ちゃんと考えているつもりでした。
でも、子どもが生まれたのに、今までと同じ
またわたしが「頑張る」という切り札だけで、
乗り越えていこうとしていました。
(もういろいろとやめたらいいのに・・・
もう少し続きます・・・)