元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

高専生活

高専ってどんなとこか知ってます?

 

そこにわたしは通いました。

 

国立(当時)工業高等専門学校です。

高校1年生から5年制の学校です。

地方では県に1校程度の学校です。

ロボコンとかで有名ですが、わたしが学んだのは「建築」でした。

 

 

建築を学んだのは、高専の中の学科が

「機械」「電気」「化学」「建築」

しかなかったから消去法です。

 だけど、今から思えば、

わたしの得意な「模様替え」からちゃんと通じていたんだな。

当時、そういうことに気付けていたら、

もう少し考え方が変わっていたかもしれません。

 

* * *

 

高専って、中学校を卒業したての子にはなかなか刺激的な場所でした。

いきなり大学みたいな感じなのです。

「生徒」ではなく「学生」でした。

一人の学生として、授業を受ける感じでした。

大学になれば、当たり前ですが、自分でしっかり講義を受けて単位を取る感じです。

まぁ稀でしたけど、ギリギリの単位いいやって子は、講義に出ていなかったり、

途中でやっぱり違うと普通高校を受験し直した友だちもいました。

鹿児島には「建築」学科が無かったので、

鹿児島・宮崎のいろいろな場所から集まってきていて、

大半は寮生活をしていました。

加えて、それまで担任の先生の管理の中で動いていた中学校とは全くシステムが違い、

すごく戸惑ったのを覚えています。

すでに、親がどう思うか、大人がどう思うかを中心にいろいろな選択をしてきて、

「自分で考える」ということから遠ざかりまくっていたわたしは、

どうしたらいいのかよくわかりませんでした。

 

かつ、先生方(正確には、教授、准教授などなどですが)がかなり個性的。

各先生が研究室を持っていらっしゃって、

畳を敷き詰めた研究室でいつもお香を焚いているインド通の先生もいれば、

講義で何言ってんだか、何書いてんだか、、、呪文を唱えていた先生もいました。

(授業聞いても、わからーん!初めて試験勉強に苦戦した!)

 

久しぶりに思い出して、こう書き並べてみると、、、

すごく魅力的な学校です・・ね!?

でも当時のわたしは、その魅力にはあまり気付けていませんでした。

優等生のユウコチャンは

「みんなと同じ」教にかなり洗脳されていた気がします。。

 

もったいない!もったいなさすぎる!!!

 

* * *

 

建築学科では製図をします。

設計課題が出て、住宅や小学校や図書館や、

いろんな施設の設計をやってみて、それを図面化します。

 

当時も今も、パソコンでCADを使って図面を引くのが一般的だと思いますが

わたしが通っていた高専では、当時は製図の基本はまず「手書き」という方針でした。

課題が出るたびに、製図室で、設計に向かい、製図をする日々でした。

 

「建築」という学科を選んで集まってはいるものの、

「建築」への熱量はみんな様々でした。

15歳の選択ってそんなものなのかもしれません。

 

わたしは、実際使う人の目線で、

こうしたら使いやすいなということを考えるのが好きでした。

図面を見やすく書くのも好きでした。

でも、理想の表現がわからずに苦悩することもたくさんありました。

建築が好きで好きで仕方が無いのなら、

自分で「建築やりたい!」と選んだのなら、

そこを追及し続けることができたのかもしれませんが、

そこを頑張り切れずにいました。

 

 一方で、安藤忠雄氏の建築物が大好きな友だちは、飽きることなく、

ずーっと建築雑誌を読み漁っていて、授業の成績が良い子ではなかったけれど、

安藤氏の建築物の構造やデザインのことはほんとによく勉強していました。

「建築が好きでたまらない」という子には絶対適わないなと思っていました。

 

逆に、設計とかにはあんまり興味が無くて、

コンクリートの配合とかに興味があったり、

構造計算が得意な子がいたり。

 

あと、建築には全く興味はないけど、

とりあえず卒業すると言っていた子もいました。