母は、祖母(父の母)のことを嫌がっていました。
直接、文句を言っているのを聞いたわけではないけれど。
子どもながらに、ひしひしと感じていました。
祖母は、母に「やめてほしい」と何度言われても、
日中働きに出ている母のために、我が家の洗濯物を畳みに来ていました。
わたしや母のことを自慢がてらに人にペラペラ話していました。
そのころの母はずっとイライラしていて、
仕事から帰ってくるといつもとても不機嫌で、
わたしはどうしたらいいのかよくわかりませんでした。
小学生になると、母はわたしに
「祖母が畳む前に畳みなさい」と言いつけていたけれど、
畳みたくない上に、畳もうとするよりもずっと早く、
祖母が様子を見に来て、畳んでしまう日々でした。
母はずっと祖母に対して我慢していて、イライラしていて、
それが、わたしのせいでも、わたしのためでもなくて、
なんだか、とってもさみしかったです。
* * *
母からは、ちいさいころ、ならいごとをたくさんしたかったみたいです。
そんなこともあり、母はわたしに、
5歳になると、ピアノ
小学校にあがると、スイミング
高学年になると、そろばん
中学校目前で、英語
通信制の教材なんかもたくさんあてがってくれました。
でも、わたしはどれ一つしたいと思ったものはありませんでした。
辞めたいとか、行きたくないとか言ったこともあったかもしれませんが、
強くそう希望した記憶はありません。
母は「ならいごとしたかったのに、出来なかった」というハナシはよく聞きました。
行かせたいのだな、行かないといけないのだなと思っていました。
* * *
3姉妹の末っ子だった母。
末っ子として、姉たちが羨ましかったようで、
わたしに「お姉ちゃん」をとても求めていると感じていました。
わたしは、何かを選ぶとき、いつも先に妹に選ばせてあげました。
本当は、先に選びたかったけれど、
「お姉ちゃんでしょ」と言われるのが嫌で。
いつも我慢して、自分が思っているモノではないモノを
妹が選ぶように祈っていました。
* * *
保守的で心配性な母。
小学生になっても、家の横の国道より向こうへは、遊びにいってはいけませんでした。
国道の向こうに、学校も、公園も、友だちの家もあったのに。
1、2年生のころは「行きたい」と言って、行ったこともありました。
でも、いつも、母が困った顔をしていました。
不機嫌だったりしました。
次第に遊びに行きたいと言わなくなりました。
次第に遊びたいと思わなくなりました。
* * *
わたしは、育てやすい子だったみたいです。
わたしは、割といつもイイ子にしていました。
母は、いつも我慢していました。
母は、いつも不機嫌でした。
わたしが我慢して、母を困らせなければいいんだなと思っていました。
ただ、母に楽しく過ごしてほしかっただけでした。