元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

イイ子のユウコチャン

ちいさいころ、

わたしは隣の家に住む祖母(父の母)とよく一緒に出掛けた記憶があります。

手が掛からない子だったようで、母は妹を出産した際、

2歳になったばかりのわたしをまるっきり祖母に預けたそうです。

 

祖母はおしゃべりが好きな人で、

よく知人や親せきのところに出掛けたり、

家にいても四六時中、電話していて、

叔父(父の弟)やわたしたち孫のことを自慢していました。

 

一緒に着いていくと、わたしが言う間も与えず

「こんにちはは?」

と挨拶を強要してきました。すっごく嫌でした。

 

今言おうと思っていたのに・・・

ちょっと恥ずかしくてモジモジしていたけど・・・

 

って子ども心に思っていました。

 

祖母は人に褒められるのを生きがいにしている人で、

野良仕事でも、家の庭の手入れでも、

他人に見られているということを気にしているようなことを

とても話していた印象があります。

 

他人が見ているから田畑や庭は草が生えないように整えておかないといけないとか、

祖母本人がどれだけ苦労して、頑張ってきたかとか・・

小さなわたしは祖母が発したイロイロなハナシが忘れられませんでした。

特に祖父や父や伯母(父の姉)のこんなところが

だらしないからダメだみたいなハナシが特に忘れられなかった・・・

 

このころから、わたしはイイ子でいなきゃいけないのだと思っていました。

 

* * *

 

物心つくころには保育園に通っていました。

 

家では工藤静香のマネをしたりおちゃらけていたわたしですが、

保育園でもおちゃらけていたかというと、全くで。。

ジーっと様子を伺っていた感じを覚えています。

次に何が出てくるんだろうと、

わくわくというより、

ドキドキ・・・

先生は次に何を言うんだろう・・・

お友だちは次何をするだろう・・・

 

前にお友だちとケンカになってしまったこと、

お友だちが先生に言われていたこと、

そんなことが忘れられなくて・・・

常に、アンテナを立てて、様子を伺っていたのを覚えています。

 

大人に怒られたり、指摘されるのが嫌だったわたしは、

お友だちと楽しいことをして遊ぶと大人が困った顔をする、

大人に怒られることを既に学んでいました。

ひとりはさみしいけれど、みんなで遊ぶより、

ひとりで遊ぶほうが安心して遊べました。

 

* * *

 

1年生になりました。

 

♪いっちねんせ~になった~ら~

いっちねんせ~になった~ら~

    とっもだっちひゃくにんでっきるっかなぁ~♪

1年生になったら、自然と友だち100人できると思っていたけれど、

そういうわけもなく、、、

 

しばらく学校に通っても、なかなか雰囲気に馴染めずでした。

保育園時代から引き続き、様子伺いアンテナが発動し続け、、、

保育園のお友達が全くいないクラス。

周りの子の行動にただただびっくりしていたのを覚えています。

先生のいうことを聞かない子が多くて!

今から思えば、ただの子どもらしい何気ない行動だったと思いますが、

当時のわたしには、できない行動ばかりで、、、。

ただただ、びっくり。

周りの子が先生に言われていることも忘れられずに、

自分はそんなことで怒られないように気を付けよう!

と思っていたようなイイ子チャンでした。

そして、遂に1年間、記憶残るような友だちはできませんでした・・・(トホホ)

友だちは欲しかったけど、

イイ子チャンなわたしはなんだかクラスの中で浮いていて、

なかなか安心して遊ぶことができませんでした。