南国系の顔だよね!とよく言われます。ハイ
九州は南。南国宮崎生まれ、宮崎育ちです。
わたしが生まれたのは宮崎県都城市。
宮崎市から50km、鹿児島市から90km。
宮崎県の南西端、鹿児島県との県境に位置し、
かつて薩摩藩領だったので、薩摩の文化の色濃い地域です。
西は霧島山地、東は鰐塚山地に囲まれた盆地なので、
南国宮崎とは言え、冬はとっても寒いです。
今でこそ、人家や病院が周りに建っていますが、
当時、わたしの実家は、田んぼの中にポツンと一軒ありました。
だだっ広い田んぼの中に、
大きな杉の木が3本だけ立っていて、
そこがわたしの家でした。
冬は霧島山からの吹きおろしの風が吹き抜けて
家の中でも寒くて寒くて。
でも、さすが南国。
冬でも快晴の日が多く、
抜けるような青空と霧島山のコントラストがとても美しかった。
お正月には父と凧を作り、田んぼで一緒に凧あげをしました。
(↑↑↑これは、去年娘たちが都城の実家近くで凧あげしている様子)
春は、田んぼでれんげ草やシロツメ草を積んで
花かんむりを作って遊びました。
つくしを見つけて遊びました。
庭でふきのとうを見つけたり。
自然の中を走り回るというより、そういう遊びが好きでした。
夏は、母方の祖父母が暮らす鹿児島県財部町近くの川で遊びました。
泳ぐのはあんまり好きでなかったけど、ささの葉で舟を作って流しました。
山の空気は夏でもどこかひんやりしていて過ごしやすかったです。
疲れて、祖父母の家の縁側での昼寝も、風が抜けて気持ち良かったなぁ。
秋は、実家の庭にたくさんの実が実りました。
栗、ぶどう、柿。
台風が多い年は、栗の実がほとんど残らずで、栗ご飯は貴重。
柿は山のようになるので、たくさんたくさん食べました。
胃が痛くなるからもうやめなさいって母によく注意されました。
今から思えば、そんな四季を感じるのが好きな子ども時代でした。
* * *
実家は米の兼業農家です。
春には、家族総出で苗床を作って、
梅雨には、田植えをして、
秋には、稲刈りをして、稲こぎをする
それを毎年毎年、当たり前に繰り返していました。
庭で祖父が牛を飼っていました。
なんだか怖くて、わたしはちっとも近づけなかったけど。
それでも、競りに出す日は、なんでか涙がこぼれました。
庭で母が鶏を飼っていました。
これまた、怖くて、全く寄り付かない子どもでした。
生んだ卵は結局一度も取りにいけなかった。
庭で祖母と母が、いろんな野菜を作っていました。
季節の野菜はほとんど庭から採ってきて食べていました。
生ごみはその横に穴を掘って埋めていました。
梅干しや味噌は祖母が仕込んで分けてもらいました。
祖母が台所を仕切って、
5月には、灰汁巻き(あくまき)を作り、
年末には、餅をつきました。
庭で薪を焚いて、羽釜を使って。
祖父が包丁を研いだり、
年末にはしめ縄飾りや門松を作ってくれて。
祖母や祖父たちの手仕事を間近で見て、
すごいなぁ~っと思っていました。
祖父と祖父の持つ山へも出かけました。
「引き継ぐもんは誰もおらんかもしれんけどな」
祖父はそう呟きながら、杉の木を植樹していました。
小学校2年生のとき、住んでいた家を建て替えました。
大工さんが図面をひいて、大工さんが建てた家。
基礎屋さんが基礎工事をしていた様子や、
たくさんの大工さんがかわいがってくれたこと、
上棟式のこと、木のにおい、
今でもよく覚えています。
実家のお風呂は今でも薪を使います。
南国ならではの日照時間を利用したエコなシステム
太陽熱を使った太陽熱温水器も昔から併せて利用していました。
落ち葉や紙のゴミは庭で燃やしていました。
* * *
わたしは、大学進学で家を出るまでの20年間、
宮崎の端っこでそんな暮らしをしていた田舎モノでした。