元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

わたしの半生

父と仕事

父は、かつて、東芝関連のエンジニアでした。 大学にはいっていませんが、専門学校で電気を学んでいて、 電気のことが好きだったんだろうと思います。 わたしが知っている限りはずっと、毎月、専門雑誌を購読して読んでいて、 居間に山積みになっていました…

夜中の製図室

高専では、 毎年、秋に、『高専祭』というイベントが開催されました。 まぁ文化祭ですね 4年生では各学科ごとに研究発表を行うのが定番でした。 わたしは、それをすごーーく楽しみにしていました。 毎年、先輩たちが本当に楽しそうにやっていたからです。 …

高専生活

高専ってどんなとこか知ってます? そこにわたしは通いました。 国立(当時)工業高等専門学校です。 高校1年生から5年制の学校です。 地方では県に1校程度の学校です。 ロボコンとかで有名ですが、わたしが学んだのは「建築」でした。 建築を学んだのは…

15歳の選択~高校進学

中学2年生のころ、 中学卒業後の進路として、 食品や被服を学べる高校をとても探していました。 県内だけど、電車で通うような遠くの学校も探していました。 (田舎だから、電車で高校に通う子は限られている) 当時のワタシは、早くオトナになりたくて! …

13歳の選択~中学の部活

「何部にする?」 子どものころから、友だちのあんまりいなかったユウコチャンですが、 唯一、結婚後も未だに仲良くしてくれている友だちがいます。 中学に入ったとき、その友だちが、 「ユウコが決めた部活に一緒に入る!」と言ってくれました。 ほんとは、…

優等生のユウコチャン

小学校5年生のとき、初めて、順位が出るテストがありました。 40人のクラスで4位! それまで、学校のテストは何にもしなくても、 みんな90点くらいとれるものだと思っていました。 意外といい成績に、我ながらすごいじゃんと思いました。 でも一回きり…

家の中がワタシの聖地②

母に抵抗して外に遊びにいくパワーを使うのも、 なかなかなじめない友だちに気を遣うのも、 もうめんどくさくなっていたわたし。(←まだ小学生なのに。。。) わたしの聖地、家の中。 その中で、いろいろと開拓していました。 高学年になると、お菓子づくり…

家の中がワタシの聖地①

家の外でも、親の前でもイイ子をしていたワタシ。。。 唯一のワタシの聖地は家の中でした。 しかも、オトナが仕事でいない時間! 夏休みなんか最高でしたー! 母が朝仕事に出かけるまではおとなしくしておいて、 母の車が出かけて行ったのをトイレの窓からし…

父とワタシ

小学校低学年のころまでを思い返すと、 わたしは黙っていられない子でした。 それがわたしの根っこの性格なのでしょう。 思っていることは黙っていられない。 * * * 小学1年生のときのこと。 【14-9】がわからなくて、父に教えてもらいました。 でも…

母とワタシ

母は、祖母(父の母)のことを嫌がっていました。 直接、文句を言っているのを聞いたわけではないけれど。 子どもながらに、ひしひしと感じていました。 祖母は、母に「やめてほしい」と何度言われても、 日中働きに出ている母のために、我が家の洗濯物を畳…

イイ子のユウコチャン

ちいさいころ、 わたしは隣の家に住む祖母(父の母)とよく一緒に出掛けた記憶があります。 手が掛からない子だったようで、母は妹を出産した際、 2歳になったばかりのわたしをまるっきり祖母に預けたそうです。 祖母はおしゃべりが好きな人で、 よく知人や…

うたと工藤静香とワタシ

わたし 0歳です。 自分でいうのもなんだけど、 ほんとに可愛い赤ちゃん、幼少期でした。笑 母曰く、 よく「かわいいねー」「お人形さんみたいね」と すれ違う人に声をかけてもらっていたそうです。 かつて、幼稚園教諭だった母は、 よく童謡を歌ってくれま…

田舎モノです

南国系の顔だよね!とよく言われます。ハイ 九州は南。南国宮崎生まれ、宮崎育ちです。 わたしが生まれたのは宮崎県都城市。 宮崎市から50km、鹿児島市から90km。 宮崎県の南西端、鹿児島県との県境に位置し、 かつて薩摩藩領だったので、薩摩の文化の色…

はじめまして、公務員を辞めました

2020年7月 36歳の夏、公務員を辞めました。 子どものころから、ずっーと続けてきた【優等生】な自分をやめて、 自分の気持ちに正直に生きたいと思って。 2021年1月 わたしのココロがワクワクすることをして生きていきたいと 動き始めることにし…