元優等生のRe:スタートものがたり

元優等生の30代後半までの葛藤と、人生のRe:スタートを決意したその後の日々や想いを綴っています。

不登校娘が公立中学校に入学した

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


3年間不登校を続けてきた娘が、公立中学校へ進みたいと自分で選び、この4月、
公立中学校の入学式を迎えました。

娘よ、入学おめでとう。
いろんな選択肢があった中から、親が勧めた北九州の学校でも、今まで通ってきた親も子も安心して通い続けられるフリースクールでもなく、検討外だった公立中学校を選択した娘。
選んでみて、通ってみて、1ヶ月後には「やっぱりフリースクールに行く」でも構わない。
好きなようにやればいい。そう思っています。
わたしたちはもう見守るだけです。

* * *

そうなんですが、制服については、親の意向(私服で行ってほしい)と娘の意向(制服を着たい)を擦り合わせた形としました。

娘の学校の指定シャツは、紺色のポロシャツで胸元に赤白のラインがある独特のもの。
ですが、前のブログにも書いたとおり、親と子で対話を重ね、制服のシャツとスニーカーは指定のものを購入しませんでした。

と言うわけで、指定外の手持ちの白シャツに、制服のスカートとジャケット。
手持ちの白い靴を履いて登校した娘。

blog.himitsukichijyajya.com

わたしに言わせて貰えば、たったシャツ一枚変えただけ

それでも、娘の負担になっていないとはもちろん思っていません。
娘は、入学式の数日前から、「お腹痛い」と言っていました。
歩いて学校に向かう間も、終始「みんなと違う服だし緊張する」と言っていました。

わたしのブログを読んでいたり、わたしから娘の話を聞いている方の中には、うちの娘は「人と違うことを全く気にしない」と感じている方がよくいらっしゃるのですが、うちの娘も人間だし、年頃のふつうの女の子です。
年齢的なこともあって、周りの子や、人の目だって、気にしています。

だから正直、親としては、「娘にここまで背負わせないといかんかったかな」とも思っていました。
「3年間、まともに学校に通ってきたわけでもない娘が、せっかく自分で選んだ道」
その始まりの日。それなのに、こんな余計な荷物まで背負わせなくても本当はいいよなぁって。

* * *

でも、それでも、この娘にしかできないだろうと思っていました。
うちの子で言うと、繊細で敏感なうちの次女には到底できない。
子どもたちにもいろんなタイプがいるから、絶対できない子、そんなプレッシャーがあったら確実に学校行くのを辞めるって子もいるだろうなとは思う。
でも、うちの長女は、多少気にはしていても、他の子と比較するとまだ気にならないタイプだろうと思ったし、何より、今までも「みんなが当たり前に通う学校に一日数時間しか通ってこなかった」し、「他の子が制服着ていても(小学校も制服があったけど)制服を着ずに登校していた」から、人と違うことをする免疫がまだあると思ったから、うちがやってみるしかないと思ったのです。

* * *

会場に到着と同時に、親と子別れ、別室に入っていった娘。
(まぁ、あの子なら大丈夫。なんとかするでしょう。)とその背中を見送りました。

親としては、最悪、入学式に出席させてもらえないってことも想定していましたが、それは、明らかな権利侵害なので、その時は、きちんと抗議しようと思っていました。

席に着席すると、しばらくして教頭先生が来られました。
「確認なんですが、娘さんは制服のシャツは・・・」とおっしゃったので、わたしは臆せず「購入していません。」と答えました。

入学前に、わたしが立ち上げた団体からの校則に関する質問書を学校側へ提出していましたし、びっくりはされるかなと思いましたが、ある程度、わたしたちの意向はわかってくださるのではないかと思いました。

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娘は、入学式、無事出席できました。

そして、その日の行事は全て終えて、家に帰りました。
入学式に参加できて、本当によかった。
(参加できなかったら、それはそれで対応するしかないけれど、娘をけしかけてしまった末に入学式に参加できないと言うスタートになるのは、本当に心苦しかったと思うから。)
この1日、「みんなと違ってもいい」「自分たちのことは自分で決められるというあたりまえの権利を使う」という経験ができ、ひとまず1日を終えることができたことで、娘の心の持ちようは大きく変わったと思います。

* * *

その夜のこと。
学校からお電話をいただきました。教頭先生からでした。
要件を一つ確認されたあと、娘が着ていった靴とシャツについて、40分ほどお電話でお話しすることになりました。

質問書を提出したときにお話ししたことを中心にわたしの考えをお話しし、わたしの考えを娘に伝えた上で話し合った末に決めたことだということ、わたしは親として今後も指定シャツを購入するつもりはありませんということをお伝えしました。娘が自分のおこづかいで、シャツを買うっていうなら反対はしませんともお伝えしました。(そんなことまでして、シャツを着るなんてことは、娘はしないと思います笑。)

色々お話ししましたが、教頭先生から
「・・・高校入試の際に、校則を守らなかったということであれば、不利になるかも知れなくてもですか」という言葉が出てきました。
ずるいです・・・・ほんと。
子どものことを思う親御さんなら、こんなこと言われたら、たまらないですよね。
わたしは、もう、高校の学歴も大学の学歴もこれからの社会では不要なんじゃないかなと感じているので、「それはそれで、仕方ないことと思います。そうじゃない道もたくさんある。高校認定をとって大学に進む方法もある。こちらはそこまで覚悟しての行動です。学校側にもしっかりと考えていただきたい」とお伝えしましたが、それでも内心ちょっとドキドキしました。

全く別の機会で聞いた話ですが、現役の中学校の先生から話を聞くと、「合否に不利になるようなことはわざわざ書かない」とおっしゃっていました。
校則だって、外部からは何が定められているかは不明瞭。
うちの娘が、紺色ポロシャツを一枚、白シャツに変えていても、むしろ気付かないくらいじゃないかとわたしは思います。
それなのに、そういうことを言うのか・・・・。

* * *

教頭先生からは、個人的には制服も校則も不要と思うが、いろんな人がいる学校と言う場所では立場上「そうですか」って言うわけには行かないと、あれこれ想定の話をされました(校則の質問書を提出したときには想定では答えられないって言われたのに・・・)

その上で、わたしがお伝えしたこと。

好きな服を着てもいいって言うのは、子どもたちにあたりまえに認められた権利です。

社会でも制服を着るように言われることもあるとおっしゃいますが、職場の制服は、基本的にはちゃんと支給されます。

いろんな子、いろんなご家庭があるとおっしゃいますが、うちの子だって、今まで学校に行っていなくて、明日から学校に行かないと言うかも知れない。明日からせっかく購入した制服を着ないかも知れないんです。

それでも、子どもが自分で決めた道だから、娘がどうしても購入してほしいというものについては、決して安くはないけれど、制服を購入しました。
娘とは、わたしの考えや想いをしっかり伝え、娘にもよく考えてもらって答えを出しました。

うちの子が通うのは、どんな状況にある子でも平等に通える公立の中学校ですよね。
それなのに、どうして、自分たちがほしいわけでも着たい服でもない服を、わたしたちのお金で購入してまで着ないといけないんですか。
正直、フリースクールに通っている方は、行政からの援助は一切なく、一人当たり毎月数万円の負担を各家庭でしています。

うちはまだ、その選択ができているけれど、フリースクールに行くという選択ができない子が、たとえば制服が嫌だと言ったとき、それでも我慢して通わないといけないってことですか。

学校に合わない少数派は黙っとけ 我慢しとけ ってことですか。

わたしは、少数の意見が切り捨てられて、一部の誰かに我慢を強いて成り立つ社会はもう嫌なんです。」

すると先生は「お母さん、それでも社会は変わらないですよ」とおっしゃいました。

わたしは、学校が変われば、社会は変わると思っています。
子どもたちは未来の社会を構成する大人になります。
その子どもたちが
「自分たちのことは自分で決められる」
「自分の意見はどんなに小さくても発していい」
「誰かの我慢の上に成り立つルールではなく、みんなが合意できるルールを決めればいい」
そう心から思って社会に出れば、20年後30年後にはあっという間に社会が変わると信じています。

子どもたちの教育に携わる人には、ぜひ、そう言う責任をしっかりと感じて、子どもたちに関わってほしい。
わたしはそう思います。

そのために、少しでも、目の前がより良くなっていくように行動する。
そして、それが少しずつ学校が変わっていくきっかけとなり、やがて社会が大きく変わっていくことに繋がる。
わたしはそう信じています。

そのためには、やっぱり「目の前のおかしいものにはおかしい」って言わなきゃいけない。
わたしの想いはしっかりお伝えして、電話を終えました。

______________________

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

学校に質問してみた「制服は強制ですか」

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪



映画「夢みる小学校」の上映会を終えた12月中頃。
娘が進学することを決めた公立中学校の入学説明会の案内がありました。

* * *

話は大きく変わりますが、入学説明会の案内とほぼ同じタイミング、2022年12月16日、に岸田政権が安保関連3文書を閣議決定し、敵基地攻撃能力を保有することが可能になりました。
明確な判断基準も設定されないまま、もし、誤って先に攻撃してしまうような事態が起こったら。日本は、わたしたちが知らないところで、あっという間に、いつ戦争に巻き込まれるかわからない国に変わってしまったのです。
戦後77年、憲法の3つの原則であった「平和主義」を大きく揺るがす歴史的な大転換に関わる決定だったにも関わらず、国民に直接問われることなく、国民不在の国会であっさりと決まってしまいました。
その後、沖縄県石垣島では、その基地の建設が急ピッチで進められ、3月にはあっという間に陸上自衛隊石垣駐屯地が開設されました。
その基地は、石垣の人々の生活には、直接的に必要が全くないものです。
それでも、自分たちの意見を全く問われず、国会で決まってしまった法案のために、石垣の人たちは「いつ攻撃されることになるかわからない基地」と隣り合わせの生活を強いられています。

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www.youtube.com


石垣の人たちの不安や悔しさは、わたしたちには「関係ない」ことでしょうか。
もし、石垣がターゲットとなれば、鹿児島に爆弾が落ちるかもしれない可能性は0ではありません。
それでも、日本の国民の反応は薄いままです。
いつか大きな波になって、気づいたら巻き込まれているかもしれないのに、無関心を貫いています。

前のブログに書いたように、「自分の国や社会を変えられない」と多くの日本人が思わされていることが、今、日本をとても危機的な状況に追いやっている。
わたしはそう考えています。

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中学生の制服や校則と戦争のはなし。
全く違う話のようですが、目の前の「自分のこと」「自分の生活のこと」「自分の学校のこと」さえ、簡単には声を上げられなかった、簡単には変えられなかったことが、国の中で日本の危機がここまで迫っているのにも関わらず、多くの人が他人事のように捉えている状況を生み出していると思うのです。

だからこそ、目の前の「あたりまえ」にちゃんと心と頭を動かして、対応していかなければいけないと思います。

* * *

1月末、入学説明会。

正直、ガッカリでした。
わたしは、学校、もう少し良くなっていると思ってました・・・。
(校則って、外部からは本当によくわからない・・・。正直、入学しても、全貌は見えません。先生方と話すたびに、へー、そーなんだって思うことが出てくる。そんな、内外から見ても明確化もされていないルールを守らなければいけないなんてって思います。)

入学説明会で提示された、学校のルールは事細か。靴下の色から指定されていました。
靴下の色は、本当に定めなければいけないルールなのか・・・。

入学説明会後、配布された資料を元に、12月の映画の上映会に協力してくださった方を中心にいろんな方にご意見をいただきました。
入学説明会後に資料を見ていただいた方の中には、思っていたよりも厳しいわけじゃないとおっしゃる方もいたので、疑問を投じる必要があるほどではない、中学生における一般的なルールなのでしょう。

でも、ルールは、ルールどおりにしておけば、子どもたちは何も考えなくて良くなります。
「今日の天気」も「暑さ寒さ」も「状況」も考えずに、ルールに従っておけば済む。
「自分の好き」も「相手の苦手」も全部制服の中で埋もれてわからなくなる。
「友だちとのトラブル」も「選ぶ服を間違えたって失敗」も、「どの服にしたらいいんだろうと悩む経験」もあらゆる子どもたちの成長の機会を奪っている。
怪我をしないように、トラブルにならないように、と「子どもたちのため」と表面上は言っているけれど、結局は先生が「管理しやすいように」、親が「楽になるように」しているだけ。
わたしは、たとえトラブルが起こっても、ルールは最小限にして、それぞれの子どもたちにしっかりと考えて行動してもらうことが大切だと思っています。
学校生活の中は、自分のことなのに、自分で決められずに「先生決めてください」という機会があまりにも多いのではないかと思うのです。
未来を担う子どもたちの長い将来を見据えて、「本当に子どもたちのためになっているか」という視点でもう一度よく考えた方がいいとわたしは感じています。

* * *

いろんな意見を聞きつつ、それでも、
「自分の国のことなのに、自分たちでどうすることもできない」
「自分のことを自分で決められない」で良いわけがない!と思い、上映会を主催した団体から正式に質問してみようということになりました。

入学説明会の後日、「強制される校則はどれですか」「その理由は何ですか」とストレートに学校側へ質問書を持参させていただきました。

学校の先生方でしっかりと考えていただきたかったので、回答期限を1ヶ月半ほど設け、こちらの意図をお伝えするために、学校へ本の寄贈(2タイトル)もしました。

 

www.kinokuniya.co.jp

bookclub.kodansha.co.jp

 

* * *

質問書を提出させていただいた際の、学校側とのやりとりの一部です↓

2023年2月16日 中学校校長室にて 学校長、教頭、生徒指導の先生同席》
校長)学校側としては、今年度から制服が新しいものとなっていて、それに伴って、そもそも制服がいるのかという議論からしてきました。
その中で、保護者からも、生徒からも、やっぱり制服はいるということになった経緯があります。
その際、小学校4年生以上の方からもアンケートを取っています。
アンケートにご意見書かれたのではないですか?
(わたしの考え:学校側としてやることはやった上での校則・制服の現状だと言いたいのだろうと思います)

わたし)アンケートを取ったのはいつですか?

校長)令和3年の12月ごろです。
(わたしの考え:過去に行政側にいたわたしの視点で考えると、新制服の実施が令和4年4月からだったので、このときには既にほとんどのことは決定したあとだったのではと思います。新入生の入学説明会も目前だったと思われる時期のアンケート。どの程度、将来入学してくる児童・保護者の意見を取り入れるつもりがあったのか、疑問があります。意見を聞いて決めたというならば、もっと、もっと丁寧に、もっと意見を交わしていかなければいけない内容だとわたしは思います。意見を聞いたという形を残したのではないかなと感じます。)

わたし)わたしが引っ越してきたのが、令和3年の12月の暮れだったので、わたしは回答していません。
同行メンバー)わたしはそれは知っています。
わたし)たとえ、そうだったとしても、わたしたちのように後から入ってきた人がそれは嫌だというケースもあると思うし、どのように新制服を決定されたかがわかりませんが、もし多数決で決めたというようなことであれば、当時所属していた方でも嫌だと思う方もいるのではと思います。
そういう場合、その制服を強要されることがとても苦痛だということがある場合は、学校としてどのように考えられますか。

校長)ケースバイケースだと思います。想定ではお答えできません。

わたし)わたしは望ましい服装として制服・校則を学校側が定めることについては、反対はしていません。ただ、それを選ぶか選ばないか、その点が自由であることは日本国憲法に定められた子どもたちの権利だし、制服についての判例でも認められている子どもたちの権利です。
もし、強要されるのであれば、どのような理由があるか説明してほしいですが、今回の入学説明会では時間的な制約があったからとは思いますが、具体的な説明はなかったと思います。
入学説明会で提示された内容について、実際にお子さんを持つご家庭の意見も少し聞き取りましたが、例えば、ストレートパーマやアシンメトリーの前髪の禁止といった内容はなぜあるのだろうかという意見がありました。髪質で悩んでいる子にとっては、ストレートパーマをすることで学校に行くストレスが減るケースなどもあると思いますが、どう考えられますか。

校長)例えばですが、現状は旧制服のお下がりの利用も認めていて、実際に着てきている子もいます。来年度までの限定ですが。
また、ストレートパーマについての話もありましたが、我が校ではそういう場合、ストレートパーマは許可しています。
(生徒指導の先生に目を向けてお互いに確認)

わたし)それは事前に相談すればということですか。

校長)そうです。

わたし)子どもたちは、それが選べるということを知っていますか。知る機会があるのでしょうか。

校長)おそらく知っていると思います。
(生徒指導の先生に目を向けて確認)
ですが、周知が十分でなかったかもしれないので、今後は周知を図ります。

わたし)そうなんですね。子どもたちが自由に選べるということであれば素晴らしいことだと思います。

校長)我が校の子どもたちは、自分たちで色々考えようと意識が高まっていて、「校則検討委員会」を今年度?から実施しています。今もノーチャイムを試行しています。これからも、毎年行っていくことになっています

わたし)そうなんですね。子どもたちが改善する機会もあるということなら、良いことだと思います。

校長)というわけですが、今回のこの回答はどのようにすればいいでしょうか。

わたし)一つひとつの項目について取り上げていただくでも構いませんし、今日のお話の内容を回答いただいても構いません。この用紙に手書きでも構いませんし、別紙回答でも構わないので、書面でいただけますか。

校長)文書で解答するかは検討します。口頭になるかもしれません。

わたし)校則というのは、元々法律にも記載されていない、市から指示されているわけでもない、学校独自のものであり、本来、子どもたちの権利の方が優先されているものです。それを学校側が校則として定めてしまっているだけで、校長先生や学校側の判断一つで変わってしまうものです。運用していく上で、今後も変わっていくものではあると思いますが、口頭では言った言わないという話になってしまいますし、今この時点ではこうだったということがはっきりすることで子どもたちの選択肢も広がると思うので、ぜひ、文書でご回答お願いしたいです。

校長)検討します。

わたし)よろしくお願いします。

同行メンバー)最後に質問なのですが、旧制服の着用が認められるのが来年度までとおっしゃるのはなぜですか。(3学年以上離れている兄弟児さんが割と多いということで、せっかくお下がりで使える制服があるにも関わらず、2回購入しないといけない家庭もあるというご意見から質問されました)

校長)創立80周年を控えていて、その際は皆同じ制服が良いだろうということで、新制服を決めるときの「制服検討委員会」で決まりました。

わたし)そもそもですが、「みんな同じ」でなければなぜいけないのでしょうか。子どもたちはみな違う人間なのに。せっかく、「校則検討委員会」があるのだから、そのあたりはもう一度検討していただきたいです。そのことも含めて質問書の回答をいただきたいです。

校長)そこは、当時の制服検討委員会の皆さんの考えを尊重したいと思います。

わたし)確かに、当時考えてくださった皆さんがいるからこその今ですが、実際にその制服を着用するのは、そのときの子どもたちですよね。そこはあくまでも、そのときの「子どもたち」を中心に考えていただきたいです。改めて校則検討委員会で検討することと、ご回答をお願いしたいと思います。


こんな感じで質問書を提出しました。

そして、その後、「団体が直接の学校関係者ではないから」という理由で、文書での回答はいただけませんでした。

* * *

3月、学校に質問をする前から、ご相談に乗っていただいていた曽於市議会議員のせとぐちえりさんが、曽於市議会で校則にについて質問してくださいました。
学校教育課からの回答によると、「校則に関する権限は学校長にあること」が明確にされていますし、「校則について、学校長は、生徒・保護者・地域などの意見を聞いて、柔軟に対応するようにという旨の通知が既に各学校向けに出されている」とのことでした。
(35:20位〜が校則についての具体的な答弁になります。)

www.soo-city.stream.jfit.co.jp

曽於市教育委員会では、新しく着任された中村教育長の下、さまざまな学校改変のきっかけになる取り組みをされています。
昨年8月の教育関係者向けに行われた映画「夢みる小学校」の教育映画上映会や「学びの共同体」の考えを基にした公開授業や講演会などが行われていて、校則等への考えも、子どもたちを中心に置いた、子どもたちが「自分たちのもの」として対応できるものにしてくださるようにと先進的に考えてくださっています。

学校長の判断一つで、すぐにでも全撤廃も可能な校則。
でも、その判断をする校長先生も迷いの中にあるのかなと感じます。
質問に伺った際も、校長先生から「近くに(校則を無くすなどの)取り組みをしている学校があるのですか」と質問がありました。
校長先生も、自分の考えで新しいことを決定したことがないんだなと、わたしは思いました。

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まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

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その後2022年5月、
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目の前のことから変えていく/制服は強制なのか

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
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12月に映画「夢みる小学校」の上映会をたからべで開催しました。

「テストがない」
「宿題がない」
「成績表がない」
「校則がない」
「定期テストがない」
そんな、公立学校を2校含む3つの学校が出てくるこの映画。
学校にあって当たり前だと思っていたものは、制度上も無くても構わない、むしろ無い方がいいものなのではないか。
《学校って、もっともっとあったかくて、楽しい場所でいいんだ》
そんなことをたくさんの方に伝えてくれました。

少しでも、多くの子どもたちにとって、より良い学校に変わってほしいと思って。
実在するそんな夢みたいな学校を知ったら、いろんな人たちが動き出してくれるんじゃないかと思って。
学校を変えるのに必要なのは、「みんなの声だよ」と伝えたくて。

blog.himitsukichijyajya.com


そして、こんな感想を10歳の女の子からもらいました。

ゆめみる小学校では自分のままでいいんだなと思いました!!
子どもたちがのこぎりで木を切ったり、
くぎをうったりすることがいんしょうにのこりました。

わたしは今行っている小学校が好きです。

でも、宿題をなくしてほしいのと、
昼休みを長くしてほしいです。

あと、今、コロナでしょうがないけど、
給食をみんなで楽しくわいわい食べたいです。

でも勉強はしたいし、テストもしたいです。

学校で一回おとまりしてみたいです。(みんなで)
(10歳 女の子)


10歳の女の子のこんな健気な思い。
「宿題を無くす」
「昼休みを長くする」
「給食をわいわい食べる」
「学校で一回おとまりをする」
正直そんなに難しいことなんだろうか、とわたしは思いました。
目の前の子どもたちの声に、大人が誠実に耳を傾けようとすれば、どうにでもなりそうなのになって。

わたしは、この上映会で「学校が変わらないのは制度とか仕組みの問題じゃない」って知ったら、一気にみなさんが声をあげてくださって、それが大きな波になって、学校が変わっていくんじゃないかと思っていたんです。

でも、実際の反応は、わたしが思っていたのと少し違いました。

上映会後、たくさんの方が「こんな学校がいい」「こんな学校があったら」とおっしゃっていました。
学校関係者の方も、各自治体の議員さんも見てくださいました。
でも、「目の前の学校を変えよう」と動き出すには、大きなハードルがあるのかなと感じました。
「とは言ってもね・・・」って、感じているんだなって。

* * *

日本財団の調査で、「自分の国や社会を変えられると思う」 と答えた日本の若者はたった18%だったそうです。
アメリカは65%、インドは80%超だったにも関わらずです。 

www.nippon-foundation.or.jp


日本人の多くの人は、「社会は変えられない」って思っているんだなと感じます。
そして、その根本は、これまでの学生生活にあるんじゃないかと思うのです。

これまで、多くの中学校では、制服を定められてきました。
子どもたちは、 毎日自分が着る服すら、自分で考えて、選ぶことができずに、 多感な大切な時期を過ごしてきました。
自分たちが決めたわけでもない校則を押し付けられ、 「変だ」「嫌だ」と思っても、 制服以外の服を着ることも、校則を変えることも基本的には認められてきませんでした。

そして、今、子どもたちは本当にいい子で、 「決まっているルール」に疑問を持つ子すら、もうほとんどいないのではないか。
そんな中、多くの人が「社会は変えられない」と思っているのは、 必然ではないかと思うのです。

* * *

制服は強制なのか。
わたしなりの見解でいくと、
学校は、子どもたちに制服や校則を強制することはできません。

それは、過去の制服に関わる裁判の判例を見ても、日本国憲法を読み解いてもそうです。

過去の裁判で、学校長が模範となる服装として制服を定めることこそ認められているものの、それを着るか/着ないかは子どもたち個人の判断に委ねられています。

また、子どもたちが学校にどのような服装で通学するかは、「自己決定権」(憲法13条)、「表現の自由」(憲法21条1項)にあるとおり、本来自由なはずで、もし、指定した制服でないと学校に通学出来ないということであれば、その指導は子どもたちの「自己決定権」や「表現の自由」に対して行き過ぎたものであり、なにより子どもたちの「教育を受ける権利」(憲法26条1項)を奪うことになるからです。

時代の変遷で変わってきたのではなく、わたしたちが制服を着るのが当たり前だと思い込んでいた何十年も前から、制服も校則も、無条件に従わなければいけないものではなかったわけです。

それなのに、未だにほとんどの中高生が制服を当たり前に着ています。
なんで制服を着なければいけないかの説明も無く、なんでこの校則があるかの説明もなく、そして、当たり前に全額自己負担で制服を購入します。
子どもなら誰でも通える公の学校であるにも関わらずです。

職場の制服は基本支給されます。
公道を指定の車種や色で走りなさいなんて言われることも無いです。
なぜ子どもたちだけが、そんな変なルールに縛られなければいけないのか。
どう考えても、おかしいんです。

* * *

そんな中、娘が公立中学校に行くことを決めていました。

上映会が終わってすぐの12月中旬、
進学予定の中
学校から入学説明会の案内が配られました。
入学説明会と同時に、当たり前に制服の採寸が行われること。
「何も考えずに」当たり前に子どもたちが制服に袖をとおすこと。

そんな状況を前に、わたしは「自分の目の前の世界から変えていこう」って思っていました。
そうやって、活動を広げていこうと。
ちゃんと、好きなものは好き。嫌なものは嫌。変なものは変。違うものは違う。ってみんなが言わなきゃいけない。
全てが通るわけでは無いかもしれない。
具体的に、誰かの不利益に繋がるなら、ちゃんと話し合う必要はある。
でも、ルールだからって、ただ黙って、従わなければいけないわけじゃない。

そして、自分が納得いかないことは、ちゃんと貫いていいって。
だって、それは、わたしたちみんなに認められた当然の権利なんですから。

もちろん、娘の世界だから、わたしの考え一つで、ズカズカとはできないけれど、娘とよく話して、娘にも考えてもらって、できることをやっていこうって。

今まで、「1人だけ勝手なことをしちゃいけない」「迷惑かけちゃいけない」そんなふうに思って、みんながみんなのために、我慢して、忖度してきたことが、周りまわって、結果的に社会全体を苦しいものにしています。

制服については、今や誰もそのことに疑問すら無いし、むしろそのほうが楽だとも思っている。
でも、本当にこのままでいいのか。
「自分の国のことなのに、自分たちでどうすることもできない」
「自分のことを自分で決められない」
そんな社会でいいですか。

わたしたちの起こした波が、誰かの行動の後押しになって、またそこから新しい動きに繋がって。そんな行動の一つ一つによって、社会が変わっていくことを願って、まずは「目の前のこと」の一石を投じてみることにしたのです。

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みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

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来てくれる 大人 も 子ども も
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そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
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はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
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そのときの思いはこちらです↓

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2023年3月の語らう会レポート

 

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪

まとめがまたまた遅くなってしまいましたが、、、。
さんすう教室コポリで開催した
2023年3月に語らう会のレポートです!

語らう会って?↓

blog.himitsukichijyajya.com

さて、2023年3月の『語らう会』のテーマは、
【(子どもが/自分が)自分の意見を言えるようにするためには】

みなさんのはご自身の意見をちゃんと言えますか?
あなたのお子さんはどうでしょうか。
自分の意見が言えるって大切ですよね。

だけど、なんで大切なんでしょう?

・・・
なぜか?
それは、自分の権利を守るためです。
みんなのそれぞれの権利を守るためです。
みんなそれぞれが、ちゃんと「自分」でいるためです。
友だちにいやなことをされて、「いやだ!」って言えなかったら、我慢するしかなくなります。
本当にそれでいいですか。

というわけで・・・

本『子どもたちに民主主義を教えよう』という本を取り上げることに。
この本を読んで、それぞれ考え、語らうことにしました。

honto.jp


この本!よかったら、1人でもたくさんの方に読んでほしい!
目次を見るだけでも、Kindleで無料部分だけでも。
どうして、
この国では、大人も子どもも自分の意見が言えないのか
ってことが、わかるのではないかと思います。

この本の帯に書かれている文句をピックアップします↓↓↓

【誰かが決めてくれる。
 そんな"当事者意識"を失った
 従順な子を育てる教育は
 終わりにしよう。】

【多数決の問題点わかりますか。】

今の学校では、、学校が提示するものは、イヤなものでも従順に従うしかありません。大人も子どもも。みなさんは、どう感じていますか。
多数決、この国の政治も同じやり方です。だけど、それって、本当にみんなの意見でしょうか。

ちょっと話がずれているように感じる方もいるかと思うので、
今回のテーマに落とし込んで、わたしなりに本の内容を要約すると、、、
自分の意見を言えるようにするために大切なことは「その意見を受け入れてくれる受け皿があるか」ということだということです。
もちろん、自分の力で意見を言えるってことも大切なことなんですが、それが言える前提の環境が大切だよってことです。
自分の意見を言ってもいいんだと思える環境が大切ってこと。

本来、日本は、日本国憲法のもとで、人はそれぞれの「自由」が認められているんですよね。そのお互いの権利を、お互いに認め合おうって話です。

これは、先生と生徒という「学校」の場でもそうだし、親と子という「家庭」という場でもそう。

わたしたちは、どんな場が民主主義なのか、お互いが尊重されているってことなのか、本当に知らないんです。
知ったら、その世界の方がいいと思う人がたくさんいると思う。

本、読む時間無いって方は、この本の紹介動画↓もあるんで、そちらを見るだけでも。
ぜひ、ぜひぜひ!オススメです!

youtu.be


語らう会、人数少なかったんですが!
盛り上がりました!
少人数の方が対話は始めやすい♪

この本を読んで、いかに、本当の民主主義(多数決で決定するような少数の意見を切り捨てるものではなく、みんなの合意形成を図るっていうもの)をわたしたちは知らなかったのか、実体験、実経験を出し合いながら、対話をすることができました。

まず、そこを子どもの時に、
学校で学ぶことができたら、、、
家庭で実践してもらえていたら、、、
それぞれの立場でできることが色々と浮かんできたように思います。

みなさんは、どんな環境なら、自分の意見が言えますか?
自分の意見を言ってみようと思えますか?

ぜひ、考えてみてほしいと思います。

わたしたちは、大人として、親として、教育に関わる人として、知らないことがたくさんあります。
わたしたちはそういう教育を受けてきていませんから。
今まで、みんなが「当たり前」と思っていたことが、実は違うかもしれないってことです。
それを知っていたら、子育てや教育や社会での実生活で、本当は悩まなくてもいいことで、悩んでいるのかもしれないってことに気づくかもしれません。
わたしたち大人に染みついた価値観や「当たり前」と思っていることが、子どもたちの可能性を狭めているってことに気づくかもしれません。

まずは知ること、そして自分の頭で考えること。
語らう会をすることで、知らなかったことを学び、また語り合うことでお互いの考えが深まり、また広がり、大人も子どもも可能性が広がっていくことを願って、これからも細々でも続けていきたいなと思っています。


🎶参加された方のご感想です↓↓↓

【「語らう会」に参加してみて・・・】

ゆっくり語れたのでよかったです。対話を大人ができているか?で、子どもに伝えられるかも違ってくるので、大人の学びは大切だなと思いました。知らず知らずに忘れてしまっている選択の自由を思い出せてよかったです。
「みんなちがって、みんないい」そんな日常と学校を目指して、できるところを取り組んで行きたいなと思いました。
これからもよろしくお願いいたします。
(40代女性)


そして、お子さんの発熱で急遽来れなくなった方からは、本を読んだ上で、こんなご感想もいただきました。

こんばんは^ ^
早速、本を読んだ感想を送らせてください。

私は今までに民主主義を意識して過ごしたことはあったのかな?と自分の人生を振り返ってみました。
東京で働いていた保育園の園長が結構クセ強園長だったから、保育士達からは不満の声も多かったんです。もちろん私も沢山ぶつかったし、沢山相談もしたし、沢山飲みにも行ったのですが、私はこの園長が大好きでした。
何かを話し合ったり、指導をするときに『子どもを中心に考えなさい』ってずっと言ってたんです。
保育をするうえでいつも子どもを中心に考えてくれる人だったので、私たちも意見が割れた時に今見てる子達だったらどっちが楽しいかなとか、どんな事が出来るかと立ち止まって考えるポイントになってました。
この本で出てくる『みんながOKと言える最上位目標』を設定してくれていたのかなと思いました。
その時に働いていた同僚は今でも一緒に働いていた時を思い出して、あの頃が自分の保育の基礎になってるねって話すんです。
そしてみんななんだかんだクセ強園長の事も好きで尊敬してるんですよね。
『最上位目標』を決める事で対立にならずに対話ができるのかなと思いました。
あと、本の3つの問いかけもシンプルで分かりやすい関わり方だなと学びになりました。
(30代女性)


せっかくなので、次回、もう少し、この本についてもお話ししたいなぁと思っています。
1冊ですが、本の貸し出しも可能ですので、ぜひよかったら、次回ご参加くださいね。


そして、実は・・・
この本、わたしのこんな行動も後押ししてくれました↓
学校の先生にもこの本をお渡ししてお話ししたりしました。
この話の続き、この話の裏話を、今後もこのブログに書いていきますので、どうぞそちらもお楽しみに笑。

blog.himitsukichijyajya.com


* * *

次回の『語らう会』は・・・
2023年5月27日(土)15:30-開催です!

注意⚠️5月は第3週ではなく、第4土曜日の開催になります⚠️
語らう会の後、持ち寄りのバーベキューを開催予定です。
語らう会参加者以外の参加も可能ですので、ご希望の方はご参加ください。
(*持ち寄りですので、特に費用は発生しません)

次回は、3月語らう会のテーマを引き続きお話しするのに加え、こちらの話題。
とある動画をみんなで観て、考え、語ってみたいと思います。
お楽しみに。
(参加希望をくださった方に動画の情報などお知らせします。)



詳しく知りたい方や参加ご希望の方は、さんすう教室コポリの公式LINEかインスタグラムのDMにメッセージお願いいたします。

 

さんすう教室コポリ 公式LINE

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前回2023年1月の語らう会のレポートはこちら↓

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______________________

 

\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

昨年の映画「夢みる小学校」上映会を機に始めることにした《語らう会》。
今後、細ーく長ーく続けていけたらなぁと思っています。

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

 

 

 

自分の生きる毎日を選ぶ/選べなくても選ぶ【中学入学前にやったこと】

こんにちは
大瀬 優子です!

宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪



さて、公立中学校に進学することを自分で決めた娘。

いろんな選択肢の中から、自分で選んだってことが素晴らしいなぁと思っています。
わたしの考えとは違ったけれど、娘の決めた道。
心の底から応援しています。貫くもよし、途中での心変わりもよし。
「好きなようにやんなさい」と思っています。

blog.himitsukichijyajya.com

 

ただ、わたしの本音は
「公立中学校には弊害の方が多いのに・・・」という考え。

公立の学校の何というか・・・
「惰性」の流れに、無責任に子どもをただ任せるのはちょっと違うなと思っていました。
「学校ってこんなもん」みたいな流れに乗せても、良いことは何もないってわかっているからです。それは違うやろと。

とは言っても、もう中学生。
親の出番はもうありません。ただただ、見守ることしかできない。

どうしたもんかなぁと思いながら、娘の様子を見ながら、公立中学校への入学の道のりを進んできたわけですが、入学して半月を迎える中、こうして進んできてよかったなと思うことがあります。

入学する前に、
「自分の生きる毎日を、娘本人にしっかりと問うてきたこと」です。

* * *

◆毎日の自分が食べるものを選ぶ

前のブログにも書きましたが、公立中学校に進むにあたって、まず最初に本人に確認したこと。

【お昼ごはんはどうする?(弁当を持参するか/給食を食べるか)】

娘が小学校低学年の頃まで、一切「食」にこだわってこなかった我が家。

ですが、、、娘を通わせることになったフリースクールは「食」を大事にしていて、無農薬・無添加の食品の給食を提供してくださっていました。
娘は、素直だし、友達大好きなので、全然抵抗なく、その「食」を受け入れて、我が家も影響をじわじわ受けて、すこーしずつすこーしずつ「食」を気にするようになり、今となっては、なるべく無農薬、危険な添加物の入っていないものを選ぶ、できるだけ日本食と考えて、毎日の食事を選んでいます。
もちろん難しいときもあるし、無性に食べたくなって食べちゃおーってときもあって、「食にこだわっています!」と大きな声で言えるほど素晴らしいものではないけれど、でも「毎日食べる」給食ってことになると、今の、慣行農業の作物や一般的な食品を中心に作られている給食を食べるってことにちょっと抵抗が・・・。もし、毎日通うなら、たまに・・じゃないのでね。

いざって時は、おにぎりだけでも良いだろうし、娘が作っても夫が作ってもいいんだし、わたしとしては「弁当にしようよ!」とわたしの思いを本人にも伝えて、「あなたの毎日だから自分で考えてみて」と託しました。
「ちょっと考える」と言った娘。結局「給食を食べること」を選びました。
娘は、人が好きなんです。「食」の喜びを友だちと共有したいんだろうなぁって思います。「美味しい!」って食べることが何より大切なので、娘の選択を尊重しました。

先々、子どもたちが食べても安心できるオーガニック給食と変わっていくことを切に願っています。

ただ、一つだけ、どうしても気になることが・・・・
「牛乳はどうする?」
牛乳自体がどうかと言うことは、いろんな意見があります。
わたしは、牛乳を給食で毎日出すってことに疑問を持っています。
なぜ、牛乳ばかりが毎日出るのか?
牛乳もあって、豆乳もあって、お茶もあって、、、ならわかるけど、毎日なぜ牛乳?
(食事中の飲み物も、基本的にはやめておいた方がいいとは思っていますが・・・。)
(わたし自身、牛乳がホントは大好きです。でも、嗜好品だと思っています。だけど、子どもに毎日飲ませるものではないんじゃないかなと。)

娘は、小さい頃に牛乳飲みすぎていて(何も知ろうとしなかった頃・・・)、あるメーカーの牛乳以外はもはやもう飲めないんです。受け付けないのだそう。

というわけで、「牛乳は飲まない」と娘。

そんなこんなで、娘は、ひとまず、お昼ごはんは「給食を食べる(けど牛乳は飲まない)」という選択をしました。


◆毎日の自分が着るものを選ぶ

年が明けて、1月末に公立中学校の入学説明会があって、説明会の後に採寸をする予定になっていました。

実は、娘が通う予定の公立中学校は、昨年度からブレザーに変わっています。
でも、わたしも娘も、移住してくる前から
「(以前の)赤いラインに赤いリボンのセーラー服がかわいいよね!あの制服は着てみたいよね!」
と話していて、昨年の春、見慣れない制服の子どもたちを見かけて、制服がブレザーに変わったことを知り、親子とも愕然したのを覚えています・・・。
(その時は、中学も引き続き、フリースクールに通うつもりでした。制度上、一応、在籍は地元の中学校と言うことになるので。)

そして、前のブログに書いたとおり、わたしは制服大反対派なので笑、娘には「私服で行きなよ」とけし掛けていました。
娘は制服に憧れがあって、すでに制服っぽい服を持っているから、それでいいじゃんってずっと言っていたんです。
それか、前のセーラー服を誰かに譲ってもらって着るとか!?と話していました。

でも「みんなと同じ制服が欲しい」と娘。
普段の様子から、人ほど「みんなと同じ」にこだわる子では無いのですが、娘なりに中学へ入学する不安とか、期待とかある中で、そうしたい気持ちが往々にしてあったことは感じていました。
でも、わたしは、ここは簡単には譲りたくなかったんです。
わたしは「みんなと同じ」にこだわってほしくなかった。

制服を買ってしまったが最後。
一度「みんなと同じ」にしてしまったが最後。
そう思っていました。

この時期の子どもたちは周りが気になる。一度「みんな同じ」になってしまったあとに、たった1人で「みんなと違う」ていう世界に足を踏み入れるのは容易くないとわたしは思っていたんです。
1人でも違う子がいたら、違ってもいいんだ!って、娘だけではなくて、みんなが思える。
人と「違う」行動を実際にするか/しないかは、その子に寄って違って全然構わないけど、初めから、
認識のベースに「人は違っても構わない」って思っていることが本当に大切だから。
わたしの勝手な想いだけど、それが、みんなにとっていいことだとわたしは信じてました。

あと、これはわたし個人の好みだけど、新制服のシャツのデザインがイヤでした・・・。(わたしがね笑🤣 誰が着るんだ!?って話だけど)
全然カワイくない・・・。
これは人それぞれなので、別に制服としてそのシャツなのは全然構わないし、好きな方がいても全然いいんだけど、わたしはそれをわざわざお金出して、買うのがどうもイヤだったのです。
わたしは、わたしが着る服と子どもたちの普段着る服は、リサイクルだったり中古のものだったり、あとは譲っていただいたものとか、それか古い着物などリメイクされたものなんかを中心に選んでいます。
(夫には夫の好みがあり、長女ももう中学生、長女の好みがあるので、基本的にはそれぞれに任せてますが。)
なので、自分が納得していない(本人も本当にほしいのか?)、しかも新しいものを買うっていうのにも、かなり抵抗ありました。環境上の観点から考えると、皆同じもの、決まっているものを着なければいけないなんて、本当にナンセンスだと思います。この世の中には、うちにも、服が山のようにあるのに。

入学説明会の案内が届いた年末から、何度となく、娘と押し問答を繰り返していました。が、娘がなかなか折れない。
「絶対イヤ!」と言う始末。

わたしも最後の最後まで粘った末、
「まぁ、本人の毎日だしね・・・・」と観念して、受け入れることにしました。
入学説明会後の採寸会場の片隅で、娘と話した上、注文書の(指定されているもの)全てのものに◯をつけて、提出したのでした。

・・・・
なんですが、ここで一つ事件がありました!

体操服/ジャージの採寸会場に、なぜか、実際の体操服・ジャージが無い?!
Sサイズ、Mサイズ・・・とその箱の中に入っているのはなぜかいろんな種類の体操シャツやズボン、ジャージたち。
「え?採寸なのに、なぜ実際のものでは無いんだ(驚愕)」と思いながら、採寸は娘のことなので、ただただその様子を見ていました。

うちは長子なので、どんな体操服なのか、どんなジャージなのか、親子ともども、よく知らなかったんです。こちらがお金を出して買うのに、どんなもの買うかわからんなんてことがあるんか?!と思って、後日販売店2店のうちの片方のお店を訪ねて、見せてもらうことにしました。
娘は行かないって言っていたんですが、「あんたが着る服でしょうが!来なさい」と引っ張っていきました。

事情を話すと、快く出して試着させてくださいました。
娘がその実際のものを着てみた感想。
「思っていたのと全然違う!」
ってことで、注文書に書いた内容のサイズ変更をさせてもらいました。
そして、娘にもう一度しっかり話をしました。


お金を稼ぐのは簡単なことじゃないよ。100円でも簡単じゃない。
うちのお金は、わたしたちが一生懸命働いて稼いだお金なんだよ。

わたしたちも自分たちで直接お金をいただくようになったからわかるけど、みなさんがそんなふうに稼いだお金をいただくってことは、すごく大変なことだよね。

だから、誰かからお金をいただくときは、ちゃんと何に価値交換するのかってことは、ちゃんとお客さまの立場に立って考えて準備しないといけないとわたしは思う。

わたしは、自分が欲しいもの、やりたいこと、そして、子どもであるあんたたちの本当に欲しいもの、やりたいことには惜しまずにお金を出そうと思っている。
それは、買ってみてやっぱ違ったってことでも全然構わないって思っているけど、、、。
制服は本当にあなたが欲しいもの?
本当に必要なもの?
もう一度よく考えてみて。


娘は、しばらく、注文書の金額をじーっと眺めていました。
そのあと、自分の部屋にしばらく篭っていました。
1時間ほどして、出てきて、
「シャツと靴はあるやつでいい」と言いました。

娘は、人に指示されるのとか強制されることが嫌いです。
だから、わたしが頑なだったから、娘も頑なだったのかもしれないなと思います。
「どちらでもいい」と言うベースに立って、初めて、フラットに考えてくれたのかなと思います。

あと、「ありえない」と思った販売店の採寸だったけれど、結果、娘自身がちゃんと考えるきっかけをくれました(ありがとう!)。
やっぱり、自分が納得できないところはちゃんとこだわる。諦めちゃいけない。自分のことですから自分でちゃんと行動する。いろんなことに通じる、大切な姿勢だと思います。

そして、以前の制服であるセーラー服も着たいと本人も含めて以前から思っていたことも大切に。セーラー服も譲っていただける方を人づてに探して、譲っていただきました(本当にありがたい。感謝です!)。

というわけで、娘は、毎日着る服は「新旧両方の制服(けど新制服はシャツと靴は自分の持っているもの)」という選択をしました。

* * *

でも、、、
うちの子は別に牛乳アレルギーでもなんでもありません。
ただの、牛乳を飲まない子。で牛乳を飲ませたくない親です。

入学説明会で配られた資料には、制服のシャツは指定と書いてありました。

昔のわたしなら、「学校ってそんなもんか」と思って、
たとえ、イヤだったとしても、「イヤだ」とすら伝えてこなかった。
そんなのただのワガママだと思っていたかもしれません。
みんなそうなんだから、我慢しなきゃといけないと。

でもね、そっと、伝えていいんじゃないかと思うんです。
だって、
食べ物は、子どもの将来的な健康に関わってくる部分です。
制服だって、いくら指定されているとはいえ、支給されるわけじゃない。わたしたちが稼いだお金で買うんです。

なぜ、ただ「校則で決まっているだけ」で、しかもわたしたちが決めたわけでも、その理由を提示されたわけでも、またその理由があったとしてもその理由に納得できないかもしれないのに、無抵抗に従わなければいけないのでしょうか。
おかしいんじゃない?って言えないんでしょうか。


別に、学校と対立したり、学校と戦ったりする必要は全くなくて、ただ、「これはこういう理由でイヤなんです」と伝えるだけです。
そして、自分がそれがいいと思っているならば、それを通せばいい。
通す自由も、わたしたちには認められている権利です。

ただ、一つ気をつけないといけないことは、
自分の権利だからといって振りかざしていいわけでもない。
基本的には、人の権利は奪っちゃいけないと思います。
そこに、もし、他の人に実際の不利益がある場合は、折り合うところを探せばいい。
ちゃんと対話して、穏やかにやればいい。
それだけです。
(子どもたちが先生を舐めてしまうことになると、子どもたちが大人を敬えなくなって、いろんなことが成り立たなくなることもあるから、親が子どもの意見にただ乗っかって、不満をぶつけたり、文句を言うってのは違うと思っています。)

よく考えてみてください。
うちの子が、給食を食べようが、弁当を食べようが、誰も困らないです。
うちの子が、牛乳を飲んでも飲まなくても、誰も困らないです。
うちの子が、制服を着ようが、他の服を着ようが、誰も困らないです。
学校以外の社会では当たり前にみんなしていること。
なぜ、子どもたちだけが、その権利を奪われないといけないのでしょうか。

よく、全体の規律が乱れるとか、他の子が真似して困るとかいう話が出てくるけど、それって、うちの子が直接かける不利益でしょうか。
学校とか、世間は、本当に、そういうところで、ずるいこと言ってくる。
「経済的な理由でできない子もいますから」とか。
そこをなんとかするのは、社会の仕事です。個人の我慢に頼っちゃいけない。
そこをなんとかできる仕組みに社会を変えなきゃいけない。
「新しい制服を買う」ってことが経済的な負担になっていることもある。
淡々と、冷静に、対話していくことが本当に大切です。


別に、アレルギーとか認められていることだから言うのではなくて、認められていなくても伝える。
選べなくても、選んでいい。
だって、自分の毎日です。自分の食べるものです。自分の着るものです。
自分以上に考えてくれる人なんて、誰もいないんですから。

選べなくても、みんなが立ち止まって選んだ方がいいとわたしは思う。
だって、自分の、自分の子どもの体や心に直結する話です。
子どもたちには、「自分のことは、ちゃんと自分で選べる」そう心から思っている人に育ってほしく無いですか。

そして、そうやって、みんなの小さな小さな意見がいくつも上がれば、少しずつ少しずつ、きっとこの世界は変わっていく。
わたしはそう信じてます。

今まで、わたしたち日本人は、みんな従順過ぎたのだとわたしは思います。
わたしたちは、全体である前に、それぞれが大切な一人一人なんです。
忘れちゃいけない大切なことです。

* * *

この行動を後押ししてくれた本があります。
さんすう教室コポリで奇数月に行っている語らう会でも取り上げました。
対話についても、実践を通して、みんなで学んでいます。

よかったら、こちらのブログ↓も読んでみてくださいね。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
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はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

 

"ありのままの自分でいる”とはどういうことか

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


不登校娘が小学校を卒業するちょっと前のこと。

娘が「わたしは、自分のことが大好き」と言っていました。
そして「〇〇(娘の友だち)は自分のことが好きじゃないんだって」と言っていました。

その娘の友だちのことは、わたしもよく知っているのですが、はたから見ていて、何の申し分も無いような子です。
勉強もできる、スポーツもできる、先生からの信頼も厚い、そんな子です。
そして、わたしから見ても、「勉強」も「スポーツ」も「先生からの信頼」も全部取り除いても、十分魅力を感じるような子です。
それなのに「自分のことが好きになれない」子どもたちがいる現実。
わたしは、かつての自分がそんな子どもだったので、悲しい気持ちになりました。

自分が自分のことを好きになれない。
自分が自分らしくいることが認めれられない。
生きていく上で、いちばん辛くて、悲しいことのような気がします。

* * *

わたしは、子どもの頃から、「勉強」もできて、「先生からも信頼されていて」、大人たちから見たら、申し分の無い子どもでした。(スポーツ」は苦手だったけれど・・・)

それなのに、わたしは「自分」でいることがずっとずっと嫌でした。
わたしは、子どもの頃から、思春期、大人になってからも
ずっと、
「自分ではない誰か」になりたいと思っていました。

みんなに好かれて、性格が良くて、明るくて、テキパキできて、いろんなことをうまくこなせるような・・・「自分ではない」大人が求めているような誰かに。

いつだって、どんなことを大人が求めているのか察して、無意識に大人が求めるように振る舞っていました。
何となく「こうでなければいけない」と子ども心にそう思っていて、そのとおりにすれば、大人が喜んで褒めてくれるのを知っていました。

子どもは弱者です。
小さければ小さいほど1人では生きていけない。
親から見捨てられたら生きていけない。
だから、子どもはいつだって、親が大好きです。
親に笑ってほしい。親と一緒にいたい。
だから、本当は「嫌だ」と思っていても、親に嫌われないためには我慢しちゃうものです。
本当はすごくショックでも、心配かけないように、「何でもないよ」って見せちゃうのです。

いつだって、大人は力を持っていて、子どもの立場は弱い。
特殊なケースの話ではなくて、大人と子どもという関係である以上、どんな人もそのことを忘れてはいけないとそう思います。
それは親でも、先生でも、大人と子どもという立場の違いがあればいつだってそうです。
そのことを大人はよくわかっていないといけない。
子どもたちは、大人が思っていることに忖度して動いているって思っていなきゃいけない。

* * *

娘の卒業式の前、担任の先生から
「卒業式で読み上げる作文を書くように本人に話しています。」
と聞いていました。

わたしは、もうずっと、娘に出されている宿題については「本人がしたくないなら、しなくてもよし」と思っていて、ノータッチだったのですが、それでもさすがに予行練習直前になっても(予行練習はフリースクール通学のためお休みする予定だったのだけど)、白紙のままの原稿用紙が居間の片隅の机の上に広げられたままの様子を見て、担任の先生に
「作文書いていないみたいですけど、大丈夫ですか・・・」と尋ねてみました。
(本人がやらないのであれば、それは別に構わないけど、さすがに先生が困るのではないかなと思って、雑談ついでに聞いてみました。)

すると、
「他の卒業生の子たちも作文は書いてもらって、提出はしてもらったけど、添削はしていないんです。だから、大丈夫です。そんなに長くなくてもいいのに、みんな1枚以上書いて、卒業式の練習をしているんですけど。」
とおっしゃいました。
それを聞いて、それなら当日までにあればいいのかと思って、そのまま娘の様子を見守っていました。

そして、娘は、いつの間にか家で作文を書いていました。
そして、読んでくださった担任の先生に「うん、このくらいでちょうどいいんだよ」と言われたと言っていました。
卒業式の数日前だったのではないかと思います。


* * *

 

そして、卒業式の当日。

卒業式は、感動する場面ももちろんあったけれど、
わたしは終始「誰のための卒業式なんだろう」と思いながら卒業式の会場の空気の中にいました。

在校生から卒業生の言葉。卒業生から在校生への言葉。
小規模校なので、たった9人で、やりとりする掛け合いの言葉。

「〇〇さん、あなたの笑顔が素敵でした」(←こんな感じのセリフ)

素晴らしいシナリオだったと思う。
きっとこれを聞いて、感動する大人もたくさんいるでしょうって感じの。

でも、、、言葉とは裏腹に、子どもたちの顔がみんな死んでいました。。。

きっと何度も何度も練習したのでしょう。
立派な卒業式にすることを求められたのでしょう。
でも、そんなセリフ、本当に伝えたいのなら、卒業式が終わってから、面と向かって心からの想いを言葉にをした方が、子どもたちはきっとお互い嬉しいんじゃないかなぁとそう思いながら、子どもたちを見つめていました。
本当に、誰のための卒業式だろうなぁと何度も何度も思いました。

小規模校の少ない先生方で、本当に子どもたちを大切にしてくださったと思っています。
そのことにはとても感謝していて、先生たちを批判したいわけではないです。
だけど、先生たちも「卒業式はこうでなければいけない」そんな呪縛があるんだろうなぁ・・・とそう思います。

* * *

そして、卒業生一人ひとりからの言葉。

娘以外のみんな、作文用紙一枚以上を暗記して、大きな声で本当に立派に言っていました。
小学校6年間で頑張ってきたこと、中学校への想いが綴られた立派な作文。
あんなに小さかった子がこんなに立派に・・と感動そのものだったと思います。



そして、娘の番。

私のこの小学校での思い出は、たこあげ大会で、小学校の校庭で、たこをあげたことです。去年は、うまくたこを作れなかったけど、今年はうまく作れて、いっぱいとんだので、よかったです。みんな、このたこあげ大会でとてもたかくとばしていて、とても楽しそうでした。みんな失敗したりしていたけれど、この小学校でさいごの、楽しいたこあげ大会の、思い出が作れてよかったです。
中学校に行っても、部活や友だちづくりをがんばりたいです。


先生が、娘が書いた作文を紺の台紙に貼ってくださったようで、娘は、台紙に貼られた作文用紙半分の内容を、臆することなく、堂々と晴れ晴れと読み上げていました。
そして、別に立派でも、素晴らしくも、感動するものでもない、ふつーの作文の内容だったけれど、そのことを恥ずかしがるでも、変に遠慮したり、謙るでもなく。
他の子に合わせて、暗記しないといけないとも思わずに、ただただ等身大の娘の姿でした。

その姿に、わたしは、
あぁ、これがありのままの自分でいるってことだなと思いました。
背伸びせずに、今の自分そのものでいるってこと。

そして、娘は、ありのままの自分をちゃんと自分で認めている。
自分を変えたいとか、自分が嫌だとか思うことなく、わたしはこれだと胸を張っているなと。
人と比べたり、こうあるべきというものに縛られるわけでもなく、ただただ等身大の自分がそこにいることを自分自身が認めている姿がそこにありました。

* * *

学校は、先生は、親は、
子どもたちにたくさんの忖度をさせているって自覚しないといけないと思います。
結局は、子どもたちの健気な想いに甘えているんです。
子どもたちの気持ちをうまく利用している側面があるってことを肝に銘じないといけないと強く思う。

子どもたちの卒業式は、子どもたちのもの。
そして、
子どもたちの毎日は、子どもたちのもの。
そして、その毎日が、子どもたちのこれからを、子どもたちの人生を作っていくのだとわたしはそう思います。

わたしたち大人の中に眠る「こうでなければいけない」という呪縛が、子どもたちがありのまま過ごす日常を阻害して、子どもたち自身が「そうでなければいけない」自分を仕立てあげ、ありのままの自分を否定させている。

悪意なく、そういう現実がある学校を目の当たりにして、
やっぱり、ありのままの自分をそのまま認めて、みんなそれぞれが「自分が大好きだ」と言えるような学校に、社会に、変えていきたい!

改めて、強くそう思った卒業式となりました。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの想いはこちらです↓

さんすう教室を始めました

娘が決めたこと

こんにちは
大瀬 優子です!
宮崎県都城市のお隣、鹿児島県曽於市財部町で
ひみつ基地Jya-Jyaとさんすう教室コポリをやっています♪


この3月、4月。
我が家にとって、ひとつの節目のとき。
4年生から不登校をやってきて、普通の小学生とはイレギュラーな生活をしてきた娘ですが、この春、無事小学校を卒業し、中学校に入学しました。

この春を迎えるにあたって、娘はあることを決めていました。
「地元の(公立)中学校へ通ってみようかな」と。

娘がそう言い出したのは、昨年の11月くらいでしょうか。

生活の中のなんでもないふとしたタイミング。
娘はふと、そう呟いたのでした。
わたしは、初めてそのひとことを聞いたとき、静かに「そう」とだけ言いました。

* * *

実を言うと、娘の親であるわたしたち夫婦は、
もう義務教育の間に、公立の学校に通わせるつもりはありませんでした。

「教育」について学べば学ぶほど、
公立の学校に、特に公立中学校に通わせることに魅力を全く感じなかったからです。
むしろ、公立学校に通うことによるデメリットの方が大きいなと感じていました。

理由はいくつもありますが、強く思っていたことは、「他と違う1人として堂々と生きてきた」娘が、「みんな同じ」という世界に少しずつ埋没して、少しずつ「人と違う」という当たり前のことを恐れていくようになるのがいちばん嫌だなということ

公立中学に通えば、制服を纏うことになり、頭のてっぺんから足の先まであらゆることを指定されていきます。
「みんな違う」個性を持つ大切な一人ひとりであるにも関わらず、「みんなおんなじ」という世界にどんどん進んでいくことになります。

わたしは、教育のことを学んでいく中で、
中学生が「制服」を定められていることにすごく抵抗を感じるようになりました。
「自分とは何か」「自分が自分であること」そんなアイデンティを形成する大事な時期であるにも関わらず、「他と全くおんなじ」ことを強要される毎日、また楽だからと「毎日自分の着るものすら自分で選ばない」毎日を過ごすことに大きな疑問を持っています。
毎日自分が着る服も選べないのに、本当に自分の人生が選べるのか!?と。

* * *

そんな想いがあり、これまでの小学校生活と同じく、福岡のフリースクールへの通学を継続させるのがいちばんかなと再確認していた頃。

blog.himitsukichijyajya.com
娘の口から、
「地元の公立中学に」と言う小さな小さな想いを聞くことになりました。

正直、寝耳に水で、親として問いただしたいような気持ちもどこかにありましたが、直感的に、これは、そっとしておかないといけないと思いました。

娘に湧いてきた想いは、そんなに強い決断でも、なんでもない、ふと湧いてきた自然な想いだと思ったのです。一時的なものかもしれないし、小さな想いが繋がっていくかもしれないと。

わたしが尊敬している方の1人である植松努さんの以前のブログで、「中学生のときの決定は恋愛のようなものかも」と書かれているものがありました。

ameblo.jp

わたしもこのブログを読んだ当時からそうだよなと思っていて、子どもたちが決めることって、「自分で決めたんだから最後までちゃんとやりなさいよ」って言えるほど、確信的なものはなくて、「できるかわからないけど、やってみようかな」くらいの淡くて儚い本当に恋愛みたいなものだと思っているのです。
わたし自身の過去を振り返ってもそうだったなと。
子どもの浅い知識の中じゃ、大人がいう「絶対!」みたいな決断なんてできない。むしろ大人だってそんなすごい決断なんてなかなかできるものでは無いとそう思うんです。
そして、きっと失敗もある。そんなこんなを経て、わかっていくことがきっとあるとそう思います。

娘がぽろっと呟いたこの想いも、そんな淡い想いなんじゃないか、この先どうなるか、そっと隣で見守らせてもらおうと思ったのです。

実は、その呟きの前、娘は同じ中学校に通うことになる4つの小学校の交流授業に参加していました。
娘が、移住してきた当初3ヶ月だけ在籍した全く通わなかった小学校の子どもたちの中に、娘のことを覚えていて「会ってみたかった」と言ってくれた子がいたと話していました。
また、通っていた小規模小学校のたった9人の全校生徒の家族みんなでキャンプをして、全校生徒の兄弟である地元中学に通う子たちと関わる機会がありました。
娘は、もともと友達づくりが得意で、友達がたくさんいる子でした。
人といるとき、友達といるときがいちばんイキイキしているような子で、フリースクールも大好きだけど、同級生の同性の友達がたくさん欲しいのだろうなとは感じていました。
こちらに移住してくるとき、「ここで新しい友達ができるのか」娘はそのことをいちばん心配していたとそう思っています。

本人から理由などを聞いたわけでは無いので、憶測に過ぎませんが、きっと娘は「青春」がしたいのでは無いかと思います。
そして、
子どもが決めることの動機なんて、そんなくだらなくって、他愛もないことで十分だよなとそう思うのです。

* * *

その後、わたしから娘に、直接そのことを問うのは絶対に辞めようと心に決めていました。
口を挟んでしまったら最後、余計な一言を言ってしまいそうで、、、
そして、その一言で、一気に、自分の考えで等身大の一歩を踏み出そうとしている娘の想いや気持ち摘むような気がしていました。

でも、公立の中学に行くにしても、フリースクールを継続するにしても、準備したり、今後のことをどうするか親として対応していかないといけないわけです。
というわけで、
「もし、公立中学に行くなら、給食はどうする?」と質問してみました。
*小学校時代は、フリースクールに通うこと、学校には終日通わないことなどを考慮して、また、食べるものに関して想うことがあり、完全に給食を止めて、昼食が必要なときは弁当を持参していました。


娘は「考えとく」と言いました。
そして、数日過ぎたある日、「給食は再開して」と娘から言ってきました。
わたしはこのときも、「そう」とだけ答えました。
そして、本気で学校に行こうと思っているんだなとだけ、受け止めさせてもらいました。

娘が決めたこと。
わたしは、すぐにひっくり返して「やっぱりフリースクールにする」と言ってもいいし、1日だけ通ってみて「やっぱり行きたくない」ってなっても全然構わない。
そう思って、最初から見つめてきました。

そして、この春から、
「公立中学校に通う」という新しい娘の生活が始まったのです。

これから、どんな毎日を娘は過ごすのでしょう。
親として、わたしたちが考えるより良い教育を受けてほしい、いろんな価値観を持つたくさんの大人と出会ってほしいという強い想いも、実のところはまだあります。
だけど、もう中学生。それ以上に、娘自身が決めた小さな小さな想いを基に、自分で決めたことをやってみるという経験を積んで欲しいと思っています。
上手くいくだけの楽しい生活ではなく、たくさん失敗もして、たくさん傷ついて、、、。
途中で心変わりしてもいい。
途中で考え直してもいい。
自分で考えて、自分で選んで、そんな毎日を過ごすことで、そんな経験を積むことで、自分とは何か知って、これから自分が生きていく道を少しずつ自分らしいものに定めて行ってほしい。そんな想いで、娘の姿を見つめる毎日です。

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\かつて子どもだった大人たちへ/
2021年春、
鹿児島県曽於市『財部町』に
みんなのひみつ基地Jya-Jyaをつくろうと思い立ちました。

まだまだ、手付かずのボロ牛小屋だけど、
来てくれる 大人 も 子ども も
「自分らしく」「好きなことをして」過ごせる場所になったらな。
そして、そんな場所がこの世界に広がっていったらな。

そんなふうに思っています。

 

わたしが家族と一緒にひみつ基地をつくり始めた経緯が
キニナル方はコチラから↓

はじめまして、公務員を辞めました  

 

その後2022年5月、
さんすう教室コポリをスタートすることにしました。
そのときの思いはこちらです↓

さんすう教室を始めました